第5話 腹踊りとメル君

 山田は、シャツの裾を頭上まで高々とまくり上げた。

 顔は完全に見えない。

 黒々とした墨で、胸にはくりくりとした両眼が描かれている。腹には赤い染料でこれまた大きな口が描いてあった。

 リンゴ型肥満で突き出た腹を歪めつつ、踊る山田。

「はい!はい!はい!」

 乳輪から生えた乱れ毛が揺れる。

 突き出た腹はまるで本物の口のように動き、下半身はエイトビートで軽やかなリズムを刻む。八十年代ディスコミュージックと腹踊りの華麗なる合体であった。

 流石である。


 これは爆笑……と思った瞬間、田中は宴会場の雰囲気が凍りついたように静かになっている事に気付いた。

 隣のウィンディエルも、グリシャムも顔色が真っ青だ。

 どこからかグルグルという犬の唸り声のような音がする。

 音は、魔王の腹から出ていた。


「あんた、それの何が面白いん?」

 魔王が尋ねる。

 口調には明らかに怒気を孕んでいる。


「はっ……いや、その……」

 様子がおかしいと察した山田は腹踊りを中止した。


「あんた、それ何? はぁーん? わしを馬鹿にしとるん?」

「いえ、滅相もございません」

 山田は慌てて服装を整え、気をつけの姿勢を取った。


「いーや、あんた、わしを馬鹿にしとるやろ!」

 グルルル、という唸り声が一瞬にしてガオーという怪獣の咆哮に変わった。

 ガウンの前をはだける魔王。

 そこには、もう一つの顔があった。

 狼か熊、あるいはライオンか虎、肉食大型獣の顔である。

 猛獣は歯を剥き出しにし、口から泡を吹いた。

 血走った眼が山田を睨みつける。完全に獲物を見つけた目つきである。


「あわわわわ」

 山田はその場にへたり込んだ。完全に腰が抜けている。

 そこにすかさずグリシャムが走り寄り、サッカーボールキックで尖った靴の先端を山田の顔面にめり込ませた。


「ぐえっ!」

 吹っ飛ぶ山田。

「とんだ不始末を致しまして、誠に申し訳ございません」

 グリシャムは慌ててその場に跪いた。

「この男、魔族とはもともと何の縁もゆかりもない者。煮るなり焼くなり、好きにして下さいませ!」

 鼻から噴き出る血を押さえる山田。

「ぐぐ、グリシャム殿、殺生な……」 

 グリシャムが華麗にローリングソバットで山田にとどめの一撃を加えた。今度はヒールが水月にめり込んでいる。

 そんな山田を完全にロックオンする魔王の腹(猛獣の顔)。


 えらい事になった、と思いつつ内心腹踊りをしなくて良かったとホッとしている田中である。


 ちなみに腹踊りであるが、これは中国古代の刑天という化け物が元祖と思う作者である。天帝と争った男が首を切られたが胴体に顔が生えて踊ったんだそうだ。

 ちゃんと山海経という書物に書いてある。ということは、腹踊りは由緒正しい反骨のソウルダンスなのかもしれない。

 山田の場合は少々反骨が過ぎたということか。


「あんた、食うよ!?」

 短い言葉で魔王は恐ろしい言葉を告げた。シンプル・イズ・ベストである。

 この言葉を合図にしたように、会場内からは恐ろしいコールが巻き起こり始めた。


「魔王様に失礼だ!」

「食っちまえ!」

「食え!」

「くーえ、くーえ、くーえ!」


 主に狼男など獣人系の種族からのコールであろう。

 エルフやドワーフは青ざめながら見守っている。


「生だ!」

「煮こめ!」

「焼け!」

「炒めろ!」


 次第に観衆から調理法の指定まで始まった。

 山田、絶体絶命である。


「うーん、生はちょっと最近お腹の調子が良くないからね。ねえ、メル君? グリルでパリっと照り焼きにしてもらおうかね?」


 ついに魔王から調理法のご託宣が下りた。

 魔王は本当に腹具合が良くないらしい。腹にくっついた魔獣の頭、つまり人間でいえば胃のあたりを右手で撫でている。さらに言うと、腹の顔にメル君という名前があるようだ。

 腹の顔はグルグルと喉を鳴らした。


「照り焼き!」

「照り焼き!」

「照り焼き!」

 場内は空前の照り焼きコールだ。まさにプロレスの会場の様、興奮のるつぼである。


 ごつい鬼のような種族が五人ほどやってきた。

 全員頭に角があり、腰には獣の皮を巻いている。鼻が潰れていてちょっと豚に似ているが、日本人が想像する鬼の姿に最も近い種族である。

 彼らはキャンプファイヤーのように薪をうず高く積み上げ、グリルにするための支柱を立て始めた。

 その間着々と山田はパンツ一丁にされ、両手両足を縛られて別の真っ直ぐな柱にくくりつけられる。

 薪を挟んで二本立てられた支柱の先端は、二股になっており、ここに山田を縛りつけた柱を渡して、下からとろ火で炙るという寸法であろう。


「ウィンディエルさん、あれは?」

 田中はこっそりウィンディエルに尋ねた。

「オークです」

 いや、田中はこれから本当に山田が料理されるのかを訊いたのだが、天然さんのウィンディエルは調理する種族を解説した。

「オークはヒト族やエルフを捕まえて食べる事があると言われています。もっとも、食糧が十分にあればそんなことはしないのですが」

「じゃあ、ここで食べるんですな?」

「ええ、恐ろしい事です。けれど、調理方法に最も慣れていると言えば慣れているのかもしれません。きっと魔王様は温かい食べ物を御所望なんだわ。まあ、どうしましょう」

 食卓の上には、冷菜とすでに冷えた料理しかない。ウィンディエルは手で口を覆った。


「むー、む」

 哀れ山田。異世界に死す。田中は心の中で合掌した。


「まーだ? はようしてや」

 魔王が料理の支度を急かす。

 見ると、火つけに手間取っている。

 オークは何度か火打石を叩いていたが、干し草にうまく使ないらしい。


「誰か、魔法使いに火ぃつけてもらったら?」

 頬杖をつきながら魔王は言った。少しイライラしているようだ。


「いえ、魔王様、恐れながら魔法使いの火は調節が難しく、爆発的に燃えるので一瞬で黒こげになります。そうすると、外は丸こげ、中は生という最悪の状態となります。ゆっくり炙るためには普通の直火がベストかと存じます」

 調理担当のオークが跪いて答えた。


 山田が震えあがる。彼の頭頂部のバーコードは乱れ、涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃになっていた。


 カチカチ。なかなか火がつかない。

 魔王だけでなく、オークの男も苛立っているようだ。

 嫌な雰囲気が流れる。


「あ!」

 田中はポケットの中にある物を思い出した。

 居酒屋‘長次郎’のライターだ。

 田中は煙草を吸わない――というよりも、昔吸っていたが妻と娘に止めさせられた――が、喫煙者を接待する時のために常に一個は持っている。


「もしもし、宜しければ私にお任せ下さい」


 シュボッ!

 田中はオークのところに行くと、干し草に簡単に火を付けた。


「おお! あんた、ありがとう!」

 いかつい鬼顔のオークにお礼を言われた。オークたちも魔王の機嫌を損ねるのが怖かったに違いない。じっとりと汗をかいていた。やはり食べられるのは嫌なのだろう。


「どういたしまして」

 火はやがて大きくなり、赤々と燃えて立派なキャンプファイヤーが完成した。

 山田の調理準備は万全である。


「ちょっと待って、アンタ!!」


 その時、魔王が大声で田中を指差した。


「アンタよ、アンタ!」

「は!? 私ですか?」

 田中はギクリとしながら自分を指差した。まさか自分も食べるとか言い出すんだろうか。


「アンタ以外に誰がおるん? あんた、今のそれ、シュボッて何?」

「あ、これはライターという物です」

「らいたぁ? ちょっと見せてみ!」


 田中は魔王に近づき、恭しくライターを渡した。


 魔王の手は巨大なので、ライターが非常に小さく見える。

 魔王は鉤爪の付いた指で小さなライターをつまみあげ、しげしげと観察した。

「これは、中の液体が染み出すか……いや、揮発してそこに引火させる仕組みなんやね」

 意外と理知的な分析であった。さすが頭脳派と呼ばれた男だ。


 その間も魔王の腹の顔、メル君が田中の体臭をかいでいる。

 巨大な猛獣の顔に自分の加齢臭を嗅がれるのはぞっとしなかった。


「ちょっと!ドワーフのギモリンおる?」

 田中の見知った顔、ギモリンが慌てて来賓席から走って来た。


「これ、あんたら作れる?」

 ギモリンは魔王からライターを受け取って観察した。

「そうですな……ここまで小型化させないのであれば、金具の部分は何とか。中の液体は多分錬金術師に頼まねばならないでしょう」

「これは液化ガスですが、オイルライターといって揮発性の高いオイルを使ったライターもありますよ」

 田中は説明した。

「液化ガス?液になった気体と言うのは良く分からんね?」

 魔王は首をかしげた。

「ああ、南方のユカーリィの樹の油とか揮発性が高いオイルが取れるね。あれが使えるかも知れんね」

「そうですな、あとはこれの構造ですが……」

「それでしたら、ここにもう一つありますから差し上げましょう。一つは分解用で、もう一つは魔王様に」

 ちょうど長次郎に行ったばかりだったので、田中のジャケットのポケットには新品が一つ入っている。

 田中は箱に入ったままで魔王に渡した。


「えっ!こんなええもん、わしにくれるん?」

 魔王は受け取って驚いている。


「どうぞ、どうぞ、つまらない物ですが」


「何言うとるんあんた、これは世界を変えるよ! 魔法が使えんもんが家で煮炊きする、灯りをつけるっちゅうたら、高価な魔法石を買うか、火打石しかないんよ! これがあったら、小さい子でも火が使えるやん! 火をおこす時間は圧倒的に短くなるし、生産ベースに乗ったら他国に輸出もできるやん」

 魔王は興奮して饒舌になった。顔には全く似合わないビジネスマンチックな発言である。


「はーっ!お洒落じゃね! これ、何? 何か良く分からんかっこええ字が書いてあるね!」

 魔王は大はしゃぎだ。まるで新しいおもちゃをもらった子供である。ちなみに格好いい字とは「長次郎」という漢字だ。


「そこにいる山田もライターには詳しいですよ」

 田中は魔王が上機嫌になったところで山田の命乞いをしてみることにした。


「ふーん? そうなん、うーん、それやったら食べんで生かしとこか? わしはもうどうでもええけど、メル君はお腹がすいとるよね?」

 魔王はお腹の猛獣、メル君を撫でた。

 メル君はクーンと鼻を鳴らし、舌なめずりして田中の顔をなめた。

 たちまちよだれまみれになる田中の顔である。


「ならば、それに変わるうまい物を差し上げましょう」

 田中の眼鏡がきらりと輝いた。

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