第8話『対面』

 デウセッツァ山麓の森を越えたところに現われた公爵級魔人ヴェレダは、うやうやしく一礼し、頭をあげると同時に、ヤシロたちへと手をかざした。

 そしてふたりの視界は黒に染まった。


(闇……というより、黒い光とでも言ったほうがいいか)


 黒く染まった視界の中でも、〈賢者の目〉は有効だった。

 隣を見ればクレアが少し不安げに、自分へと寄り添う姿が見えるし、前を見ればヴェレダが真剣な眼差しでこの黒い光を放っているのが見えた。

 これが一体どのような効果を持つものか解析した所、物を滅する上級魔人固有の力をもとに繰り出された技だということがわかった。

 ふと後ろを見てみると、自分たちが通ってきた樹海の一部が綺麗に消滅していた。


 やがて黒い光は収束し、ヤシロは普段通りの視界を取り戻した。


「ふふ……。黒閃光をもってしても、無傷ですか……」


 ヴェレダは呆れたように肩をすくめ、苦笑を漏らした。


「残念だったな。何ものも我々を害することはできない」

「どうやらそのようで。となりますと、さてどうしたものか……」

「魔王からは我らを排除せよと言われているのか?」

「ええ。可能であれば排除せよ、ただし叶わぬなら連れてこい、と」

「では今度こそ案内してもらおうか」


 その言葉に、ヴェレダはピクリと眉を上げる。


「あなたのような危険な存在を? ご冗談を……」

「危険? 私たちがか?」

「そうでしょう? いまの黒閃光、その気になれば街ひとつを一瞬で消滅しうるものですよ? それを、あなた方おふたりに集中したにもかかわらず、無傷ときている。後ろの樹海は一部が消滅し、山を半ばまでくり抜いたというのに、ね」


 口元に笑みを浮かべながらも、ヴェレダは鋭い視線をヤシロに向けた。


「ふむ。信じるかどうかは君に任せるが、賢者は何ものにも害されないかわりに、何ものをも害することができないんだよ」


 職業クラスによる制限で、ヤシロの側からの攻撃が無効化される、ということはないが、賢者および賢者秘書はレベルが1で固定されている。

 その膂力は日本を基準とした成人のそれとほぼ同等であり、こちらの世界基準で言えば非力なことこの上ないのだ。

 おそらく生まれたてのゴブリンを相手に苦戦する程度の戦闘力しか有しておらず、仮に伝説級の装備で身を固め、賢者のスキルを駆使して敵の不意を突き、さらに幸運に幸運が重なるような奇跡が起こったとして、倒せるのはオークが限界、というのがヤシロの自己分析結果だった。

 武器らしい武器も持たず、ただのスーツに身を固めたヤシロと、魔導師のローブに身を包んだだけのクレアでは、ふたりがかりでゴブリンに勝てるかどうかという程度なのだ。


「というわけで、基本的に我々は無害だ。君ほどの実力者なら、それくらいは見抜けそうなものだがな」

「まぁ、言われてみれば、おふたりからは脅威を感じはしませんね」

「であれば、魔王の命に従い、我らを案内してもいいのではないか? それとも、魔王とやらは無害で非力な人間ふたりを恐れるような臆病者か?」


 わざと挑発するような言葉を並べてみたが、ヴェレダはそれに対して自嘲気味な笑みを浮かべるにとどまる。


「いえ、臆病なのは私ですよ。そもそも陛下は最初からあなたをお連れせよとおっしゃっていたのですが、私が排除を申し出たのです。そこで、“可能であれば”という条件でその提案が受け入れられたわけですが……、どうやら排除は不可能なようですね」


 そこでヴェレダは胸に手を当て、頭を下げた。


「では、勅命により賢者ヤシロ様と従者クレア様――」

「秘書です。賢者秘書。お間違いのないように」


 ヴェレダの言葉を遮り、クレアが訂正を求める。


「――失礼。ヒショ、ですね?」

「はい」

「では改めまして、賢者ヤシロ様と賢者ヒショのクレア様を陛下のもとへお連れします」


 そのように宣言したヴェレダに促され、ヤシロとクレアはドラゴンの背に乗った。


「今回は椅子の用意がございませんのでご容赦を」

「ああ、大丈夫だ」

「では出発します」

「うむ。単なる顔合わせだと思って気楽に行こうじゃないか。なにせ我らは無害なのだからな」


 その言葉に、ヴェレダは怪訝な表情を浮かべたが、ほどなく諦めたように表情を緩め、小さく息を吐いた。


 ――ただし


 と、ヤシロは心中で呟く。


(無害であることと、不利益にならないということは必ずしもイコールではないがな)


 例えば先ほどの黒閃光だが、あれは法力をもって防げることをすでに〈賢者の目〉で解析している。

 神聖巫女のディアナであれば他のメンバーを法術で護ることができるだろうし、聖剣士のアルバートがレベル50になっていれば、無意識下で身に纏う法力だけで威力を半減できるだろう。

 そしてあの黒閃光を放っているあいだ、ヴェレダは無防備だった。


(公爵級魔人おそるるに足らず、だな。レベリングに集中させたのは間違いではなかったようだ)


 ヤシロは最初のレベリングを終えた勇者一行の状態を詳細に解析しており、その後の成長についても、レベル50前後でどれほどの能力を有するのかある程度予測が可能となっている。

 膨大な知識を元にした賢者の分析が、大きく外れることはない。


(それに……)


 飛び立ったドラゴンの背で、ヤシロは振り返った。

 視線の先には、ヴェレダが黒閃光で一部を消滅させ、まるで一本の道ができたような樹海と、深く穿たれた山肌があった。

 それを見たヤシロは不敵な笑みを浮かべたのだが、ドラゴンを御するヴェレダはそれに気づかなかった。


**********


 ドラゴンの背に乗って丸1日で、一行は魔王城に到着した。

 途中、申し出ればいつでも地上に降りで休憩をしてくれたので、2~3時間に一度降りてもらい〈賢者の庵〉で休憩をした。

 見られたところで困るものではないし、ヤシロとクレア以外に入ることのできない場所である。

 ヴェレダから見れば、突然扉が現われ、ふたりが中に入ったかと思うとすぐに出てきて扉が消える、といった具合だった。

 数回に一回、妙につやつやして出て来るふたりが一体扉の向こうで何をしているのか気になるところではあるが、聞いたところでまともに答えてはくれないだろうと、ヴェレダは半ば諦め、ヤシロらからの休憩の申し出を受けていた。

 最初に用意していた椅子を破棄してしまい、立たせたまま移動するということに、多少の負い目もあったのだろう。


「しばしお待ちを」


 ヴェレダは城を取り囲む堀の外側にドラゴンを降ろした。

 ヤシロとクレアをドラゴンの背から降ろしたところで、騎士級の魔人数名が現われ、天幕が張られた。

 騎士級の魔人たちはどうやらヴェレダ直属の部下らしく、教育が行き届いているのか、ヤシロたちには敵意の欠片も見せず、ただ淡々と指示された作業を行った。

 天幕の下には豪奢なテーブルや椅子が置かれ、ヤシロたちはそこへ招かれる。


「しばらくこちらでお待ち下さいませ」


 天幕の下は吹きさらしの状態だったが、風もなく、温度や湿度も快適に調整されていた。


「おや、城には入れてくれないのかな?」

「ふふ。さすがに敵陣営の幹部を城内に招き入れることはできませんよ」

「では魔王自らここへ?」

「はい。ですのでしばしお待ちを」


 城を囲う堀の幅はおよそ1キロメートルで、深さは500メートルほどあった。

 そこに水のようなものが張られているが、それはどうやら人体に有害な液体であるらしい。

 水面から地上までおよそ200メートル。

 さらに堀を満たすその液体は水より比重が軽く、落ちたが最後浮き上がることはない。

 魔術なり法術なりでなんとかしない限り、落ちて這い上がることは難しい。

 また、堀の中には魔物がひしめき合っていた。


(しかし、城といえば白鷺城くらいしかまともに見たことはないが、比べ物にならんな……)


 外観は中世欧風。

 最も高い部分は1000メートルを超え、街ひとつすっぽり入るほどの広さがある。

 できれば中を見ておきたいところではあるが、自力でたどり着いたならともかく、送迎された招待客の身で礼を失するのもどうかと思ったヤシロは、魔王との対面だけで満足することにした。


「ヤシロさま、橋が……」


 城の正門と思われるところから、跳ね橋が下りてくる。

 およそ1キロメートルの跳ね橋が下りる様子は、なかなか見ごたえのあるものだった。


 堀にかかった跳ね橋の上を、ひとりの男が歩いてくる。

 供も連れずこちらへ向かってくるその男は、あるいは先触れかなにかかと一瞬思ったが、悠然と歩く姿から、彼こそが魔王なのだとヤシロは感じ取ったのだった。


 闇を溶かしたような黒い髪、切れ長の目の中の瞳もまた暗黒のような黒である。

 精悍な顔つきの美丈夫だが、その肌の色は青く、人の身では決して顕われない色だった。

 身長は2メートルほどだろうか。

 全身を黒いマントで包んでいるが、風にたなびくマントの隙間から、黒い全身鎧の装甲が見え隠れした。


 その男が橋を渡りきったところで、公爵級魔人ヴェレダはその場に跪いた。

 ほどなく、ヤシロたちの前で黒髪の偉丈夫は歩みを止めた。


「魔王アンセルモである」


 自己紹介であろう。

 さして声を張ったわけでもないのに、地鳴りのような低音が響き渡った。

 しかしその反面、どこか聞き心地の良い声でもあった。


「賢者ヤシロだ。こちらは秘書のクレア」


 魔王を前にして、ヤシロはいささかも怯えていなかったが、クレアは立っているのがやっとといった様子で、冷や汗をかき、顔は青ざめ、肩を震わせていた。


「まぁ、座れ」


 魔王に促され、ヤシロとクレアは天幕に設置された席に着いた。


「して、賢者が余になんの用か?」


 とくに表情を変えるでもなく、魔王アンセルモはヤシロに問いかけた。


「なに、少しばかり敵陣を視察しておこうと思ってな。あわよくば敵の首魁に会えればと思っていた所、そちらの公爵どのに案内をしてもらえたというわけだ」


 ヤシロがちらりと視線を移した先、魔王の隣で膝をついていたヴェレダは、その言葉になんの反応も見せず、魔王もまた彼を一顧だにしなかった。


「そうか。では余に会えたからには、目的を果たせたということかな?」

「一応は。ただ、こうして会えた上に言葉まで交わせたのだ。せっかくだから、私の提案をひとつ聞いてみないか?」

「ほう、提案とな?」

「ああ」


 ヤシロの顔に不敵な笑みが浮かぶ。


「魔王よ、私と手を組まないか?」


 その言葉に、クレアは目を見開き息を呑む。

 ヴェレダは弾かれたように頭を上げ、驚きの表情を浮かべてヤシロを見た。

 そしてこれまで無表情だった魔王アンセルモの眉がピクリと動く。


 そんな三者三様の反応を意図的に無視し、ヤシロは言葉を継いだ。


「そうすれば、世界の半分をお前にくれてやろう」

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