お題箱『初雪』(登場:椋谷)

 頬も冷たく痛む凍てつくような寒い日は、「一条」側だった最期を思い出す。

 今一瞬を生きることさえ難しくて、邸を飛び出したあの日。財布もコートも持たないままに、発作的に。

 生きようか、死のうか、決めかねながら歩いた。

 生きると決めるなら、道行人に縋ったり、騙したり、盗みをはたらく覚悟を決めないと。「一条」を自力で脱して生き延びるのは、それだけ難しいことだと、わかっている。それでも生きると決めるのなら、早く決断しなくては。体力が、気力が、尽きてしまう前に。

「あ……雪だ」

 気づけば雪が降り始めていた。今年初めての雪だった。何も、家出したその日に降らなくても……。自分の運の無さに呆れる。なんだか一気に力が抜けた。足掻くだけ無駄だということを、大粒の雪が無言のうちに教えてくれるようだった。

 静かに積もっていく初雪は、穢れを知らぬように真っ白で、ただただ純粋に冷たくて、こんな汚い自分の存在もすっかり埋めてくれるような気がした。

 遠くの方で、小さい子どもが母親に雪玉を手渡している。積み重ねた大小二つ。はしゃぐ声。

 椋谷りょうやはベンチに座り、寒さの中にその身を曝す。

 体は冷たく冷えていき、いっそ清々しいほど心地よく感じられていく。

 死んでいく感覚が、とても落ち着く。

 一条椋谷は、そこで死んだ。


 あの場所で一度死なせてもらえたから、今の椋谷がいる。

 本日言いつけられた庭の雪かき仕事をこなしながら、椋谷はそんな日を偲ぶ。

 あの日の午後、結局息を吹き返すことになったのは、生命の誕生のような、ただの奇跡だ。それならもう、開き直って新しい人生を始めようか。


 あの日一条椋谷は確かに死んだのだから。

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