第5話

「一年ぶりね、直樹さん」


「愛美さん、何か変わったことは?」


「ないわ。あなたは? いい人見つかった?」


「いや、もう当分、新しい出逢いはいらない。料理人修行にまい進するよ。ところであの子たちは?」


「ええ、二人だけでケーブルカーに。亡くなった母親にメッセージを届けてもらうために、この山に棲んでいるマーヤという妖精を探しているんだって」


「うっ、やはりそうなんだ……」


 面と向って、苗字ではなく、名前の下に「さん」付けで呼ぶことも、呼ばれることも一年ぶりなのか、愛美を前によそよそしさを隠せないシェフ、直樹は、マーヤという言葉に再びうろたえた。


「愛美さん、実はね……、あの子たちの言っている、マーヤのお話は、僕の創作話だと思う」


「えっ、直樹さんの!? どういうこと?」


「僕のことを『ヒゲのシェフ』って呼んだことで、僕は思い出したんだよ。あの子たちの名前も、あの子たちが五年前、母親に連れられてここへ食事に来たことも」


「ああ、さっきそんな会話していたわね。やっぱりあの子たち、ここへ来たことあるんだ。あなた、よく覚えてたわね」


「君も知っての通り、ここはイタリアン・オーベルジュだろう? ディナータイムに、若い母親一人と、年端もいかない子供たちだけのお客さんなんて珍しかったから、オーダーを受けた時に思いきって聞いてみたんだ」


 そうして直樹は当時のことを愛美に話してきかせた。


***


「お母様のご注文承りました。ところでお客様、お連れのお子様たちにも何かお作りいたしましょうか」


「ああ、ありがとうございます。娘はまだ食べられる量はわずかなので、私のものを少し分け与えようと思います。めぐる、あなたお腹減ってる? やっぱりまだ減ってないの? さっきパン食べてからそんなに経ってないものね……。じゃあ、もしこの子が後で欲しがるようなら、その時に何か注文させていただきます」


「かしこまりました、ではお取り分けできるお皿をお持ちしておきますね」


***


 直樹は愛美への説明を止め、向こうのテーブルのめぐるとあかりの様子をうかがい、彼らが変わらず料理を食べ続けていることに安心して、続きを話しはじめた。


「でね、スープを多めに入れて、取り分け用の器と一緒に持って行った。パンとバターもね。そして厨房に戻ろうとしたら、後ろで『ハッピーバースデー、あかり』って聞こえたんだ。だから、次の料理持っていく時に勇気を出して聞いてみた」


***


「お客様、失礼ですが、お嬢様のお誕生日なのですか?」


「えっ? ええ。そうなんです。あかりというんですが、二歳の誕生日なんです」


「あかりちゃん、ですか。いいお名前ですね」


「実は、去年夫を病気で亡くしましてね、夫の姓が『星』というものですから、名前を『星あかり』にしようって。ちなみに、この子は『めぐる』って言うんですよ。星めぐる」


「ご主人様をお亡くしでしたか、それはご愁傷様です。でも、めぐる君もあかりちゃんも、お二人ともすくすくお育ちで、きっと天国のご主人様も喜んでいらっしゃるでしょうね」


「恥ずかしいのですが、その夫からプロポーズされたのが、摩耶山掬星台だったんです。『星にならないか』って。私、彼が、『一緒に死のう、死んでお星さまになろう』って言っているのかと思って、『どうして心中するの? イヤよ』って答えたんです。すると、彼もおかしな表情をしました。よくよく聞くと、私の苗字を『星』にしてくれ、つまり結婚してくれって意味だと分かって、あの時は大笑いしたんです。あれは彼一世一代の演出が誤解されて苦笑い、という感じでしたけど。結婚して数年、彼、本当に星になってしまいました。こんな話をまた笑ってでできるようになるまで、一年かかりましたよ、ねーっ、あかりちゃん」


 そう言うと母親はあかりの目を愛おしそうに覗き込んだ。


 直樹は、小さい子供たちの成長を見守ることなく亡くなったその父親の無念を想い、思わず声が震えた。


「きっとご主人は摩耶山から見えるほど明るい星になって、お客様とお子様たちを見守っていることでしょう」


「ええ、ありがとう。おっしゃる通りだと私も思うんです。馬鹿げているかもしれませんが、私は子供たちの成長を亡き夫――星に見せるために、こうして思い出の摩耶山にやってきました」


「馬鹿げてなんか、いませんよ」


「そうでしょうか。夫に伝わりますかね……」


「お客様の想い、きっと伝わりますよ。さあ、冷めないうちにお召し上がりください」


「ええ、そうね。ありがとう、いただきます」


***


 そこまで話して、直樹は愛美に訴えかけるような視線を向けた。


「話を聞いてしまって、僕はどうしてもあの家族を元気づけたいと思ったのさ。子供たちが同い年だったから」


「うん、わかる。それでどうしたの?」


「最後にコーヒーを出すときに、コースのデザートに加えて、とっておきのアレを出したんだ」


「アレって、ひょっとして、拓海と七海のためのアレ?」


「あの日は、今日と同じ、七海の誕生日だった。七海も拓海もまだ元気だった時だ」


「……」


「僕の味見用とは別に、昼に二つだけ作っておいた試作品だった。試作品とはいえ、なかなかの出来だった。仕事を終えたら子供たちのために持ち帰ろうと思ってたんだ」


「それを、そのお客さんと子供に出してあげたのね」


「うん。その判断は今でも間違ってなかったと思ってる」


「そうね」


「で、誕生日祝いはそれで良いとして、どうすればあのお母さんを元気づけられるかなって、厨房で腕組んで考え込んでしまったよ」


「それで生まれたのがマーヤの伝説というわけね」

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