田舎道での1R(ラウンド)

草履 偏平

Scene.1/Kidnapping & Road trip!






 景色は夕焼け。俺は今、ガタガタの田舎道をオンボロの三輪トラックでとばしているところだ。このトラックは十年ほど前に知人から安く手に入れたもので、当時からかなり年季が入っていたのだが、それ以降俺の愛車として、老躯に鞭打って活躍してもらっている。まあ、俺だってもういいトシしたオッサンなのだ――古い人間は古いモノに惹かれる、ってやつだろう。

 ハンドルを握りながら、ちらりと横に目をやる。そこ――助手席にはガキが一人、座っていた。そいつは窓の外を眺めながら、のんきに歌なんかを歌っている。


「ねこふんじゃったぁ、ねこふんじゃったぁ♪」


「……おい、やめろよ縁起が悪い。本当に轢いちまったらどうすんだ?」

 俺がそう言うと、そのガキは「うー」とだけ言って、おとなしく窓の外の風景に目を戻した。

 一応言っておくがこの子と俺は、親子でもなければ知り合いですらない。分かりやすい関係で言うなら、「誘拐犯とその被害者」。それが一番手っ取り早いだろう。

 俺はちょうど今、ある組織の使い走りで、〝売り物〟にするためのガキを調達してきたところなのだ。こんな仕事を任せられたのは初めてなので、正直俺もどうしていいものか分からず、戸惑っている。それに対してガキの方はと言うと、そんな事は全くお構いなしの様子の、遠足気分だった。

「あ、ねえ今ウシさんがいたよ! ほら見てよ、モーって鳴くんだよ!」

「はいはい、モー、ね。 ったく、緊張感のないガキだ……」

 今日日きょうびの子供にとっちゃ、牛なんかが珍しいものなのだろうか? ちょうど俺達は牧場の横を通り過ぎたところだった。


「ドナドナドーナ、ドーナー 仔牛を乗ーせーてー♪」


 ガキが唐突に歌いだしたのは、事もあろうに「ドナドナ」である。俺は少しばかり、どきっとした。

「や、やめねぇかクソガキ……! その歌の意味わかってんのか!?」

 「ドナドナ」ってのはズバリ仔牛が荷馬車に乗せられて売られに行っちまう……って歌だ。こいつ、わざとやってるんだろうか。俺は心の中の罪悪感を見透かされたようで、少々バツが悪かった。怒鳴られたガキは少しだけしょんぼりしていたが、やがてまた外の景色を見ながらはしゃぎ出した。

 俺はそんなお子様を尻目に、携帯から組織のボスに電話を掛けた。しばらくコールが続き、ボスが電話に出る。

『……何だ、お前か』

 何だお前か、ときたもんだ。俺はこの男の、ぎっとり脂ぎった低い声が苦手だった。その声で発せられる下卑た発言のオンパレードと、ワンセンテンスごとに挟まれるフゥフゥ荒い息遣いは、正直、組織の誰もがウンザリ気味で、他の部下連中の間でも、もっぱら陰口の的やモノマネの対象になっていることを、ボスは知らない。

 ボスは、『首尾よくいってるのか』『さっさと戻って来い』などと電話口でぼやいているが、その言葉は俺の脳の表面を上滑りしていくだけで、しっかり頭の中には入ってこなかった。

 俺は簡単な報告だけを済ませて、さっさと電話を切ってやった。携帯をコートのポケットにしまい、助手席のガキに目を戻す。

 そいつは相変わらず、窓にへばり付きながら、流れる景色を見つめていた。

 ―――まったく、何でこんな事になっちまったのか……。俺は沈みかけた太陽を、目を細めて睨みつけ、今日の昼間の事を思い出し始めた。







「寒いな……」

 路地裏でチンピラと対峙していた俺は、ふうと白い溜め息を吐きだした。

 俺の足下には、そのチンピラの仲間が五人、意識を失って転がっている。残りは一人。追い詰められた不良少年は堪りかね、ジーンズのポケットからさっとナイフを取り出した。

「ざっけんな……!!」

 そう叫ぶと、勢いよくナイフを突き出してきた。

 こう見えても俺は、ボクシングの元学生チャンピオンだった。短い間だが、プロとしてやっていた時期もある。素人のナイフを避けることなど造作もない。

 チンピラの突き出したナイフをスウェーイングでかわし、素早いワンツーを顔面に叩き込んだ。

 怯んだ相手が反射的にナイフを横薙ぎに切り返す。俺はサイドステップで回り込んで避けると、チンピラの足の甲を思いきり踏みつけた。

 相手の顔が痛みで歪む。そこへ渾身の右ストレートを二発、お見舞いしてやった。鼻っ柱にクリーンヒットだ。

 相手はその場に崩れ落ちた。俺はチンピラの胸ぐらを掴み、無理矢理に引き起こす。

「いいかクソガキ、よく聞けよ。お前らがこの街でクスリを売るのは勝手だ。だがな、うちのボスはここで商売するならショバ代を払え、と言っている。シマを荒らされて怒り狂ってるのさ」

 聞いているのかいないのか、不良少年は怯えた目で俺を見つめていた。こんな小僧が小金欲しさにクスリをばら撒き、お巡りもそれを見て見ぬふりしてるようなこの国は、本当にどうかしている。もっとも、底辺も底辺、腐ったミカンもいいとこな俺が、この国を心配する資格も、文句を垂れる資格もないのは確かだが……。

「払えと言われたものは払え。それがこの街で生き延びる方法だ。いいか、今後一切俺に同じことを言わせるなよ……。分かったか!?」

 俺がダメ押しの怒号を浴びせると、チンピラの小僧は必死になって首を縦に振った。

「は、払います! 分りました、分りましたからっ!」

 どうやら本気でおびえているようだ。俺が放してやると、奴は仲間を置き去りにして、転がるように路地裏から逃げて行った。

 溜め息混じりにその背中を見送った俺は、携帯電話を取り出し、任務の完了を伝えるべくボスに電話を掛けた。

『ああ、お前か。仕事はどうだ? 順調か?』

 相変わらず癇に障る声だ。金の事しか頭にない下衆野郎。その下っ端をやっている俺は下衆野郎以下ってことか。

「はい、順調ですよボス。今しがた片付いたところです」

『結構結構。順調結構。ならな、順調ついでにちっと汚れ仕事も頼まれてくれるか?』

 訊かれはしたが、もちろん俺に選択肢などない。その前に、俺の仕事はギャングの用心棒……言うなれば品のないゴロツキと一緒だ。実際、志の低さにしてみればさっきのチンピラともそれほど大差ないかもしれないのだ。今さら汚れ仕事もクソもあるものか。

 ボスは続けた。

『ガキを一人な、攫ってきてほしいんだよ。五、六歳くらいがベストだが、まぁ、見た目と活きのいいガキなら何でもいい』

「子供を……?」

『ああ。例のパーティーで使う商品のガキだ。急に一人使い物にならなくなってな』

 例のパーティーとは、アレのことか。……俺も一度だけボスの護衛で付き添ったことがある。うちの組織と懇意にしている闇ブローカーと人身売買商協会が催すオークションで、金持ちのジジイ達が子供を競り落とすのを楽しむという、思い付く限りでも最低の部類のお祭り騒ぎだろう。俺はその場の空気に耐えられなくなって、トイレでしこたま吐いたのを覚えている。

 で、うちのボスもその商協会とコネクションがあったため、定期的に「商品」を納品してるってワケだ……。

「しかし、何でまた急に……」

 ぶっちゃけると俺は気乗りがしなかった。するはずもない。

『何でもへちまもあるか! ロニーニョだよ、あの変態オークショニアがガキに手を出しやがってな。事もあろうにお楽しみの最中に死なせちまいやがった!!』

 ロニーニョには俺も一度会ったことがある。ドレッドヘアの陽気な青年で、ぺらぺらとよく喋る野郎だったので、オークショニアはまさに天職だと思えた。

『だからオレは、何度も何度も会長に言ったんだ!! あんな奴はさっさとクビにしろと……それなのに会長ときたら……』

 会長会長うるさい奴だ。実際こいつは、その会長や街の有力者にゴマをすってのし上がってきたような輩で、本当に見ていて反吐が出そうになるくらいだ。

「で、そのロニーニョはどうなったんです?」

『決まってんだろ、蜂の巣だよ!! ……というよりありゃ肉片か? 今頃部下達が、200個くらいになったロニーニョをせっせと拾い集めてるはずさ。精肉店にでも売り飛ばしてやりたい気分だ、まったく! 人肉100gにつき幾らになるか、お前知ってるか? え?』

 知りたくもない。ボスは気の利いたジョークのつもりで言ったのだろうが、オレには全く笑えなかった。もっとも、ミンチにされたロニーニョにしたって、同情の余地は全くない。

 黙りこくっている俺に、ボスが言った。

『お喋りはここまでだ。いいか? 相手はただ子供にそばにいてほしい寂しがり屋なジジイなんかじゃあねえ。完っペキに頭のキてる、変態ジジイどもだ。そいつらに子供を売り飛ばそうってんだから、百パーセント、ギンギンに真っ黒な汚れ仕事だ!! そこんとこ分かってるんだろうな!?』

 溜め息の出そうになるのを、俺は堪えた。

「はぁ……まあ、おっしゃることは分かりますがね、ボス」

『あのなぁお前アホ、オレのおっしゃってる意味が〝分かる〟かどうかを聞いたんじゃぁ、ない。仕事の内容が〝解る〟か? と訊いたんだ。〝解る〟ってコトはつまりな、「イエッサ、その仕事をきっちり完璧に遂行できます!!」ってコトだ。てめえチンケな拳闘だけが取り柄のサンピンが、俺をなめてんじゃねえぞ? ……〝解った〟か?』

「はい、解りましたよ……ボス」

 そこで電話は切られた。やれやれ、随分と安く見られたもんだ。食いぶちをつなぐためやっとのことで見つけたこの仕事では、俺の評価はその程度ってことだ。

 俺はシワだらけのくたびれたコートから、これまたくしゃくしゃの煙草の箱を取り出して、一本だけ吸った。

 そのまま路地裏を離れ、街に出る。しかしどうしたものか。喧嘩はできても、誘拐なんて器用なマネは到底出来そうにない。

 そもそもそんなモノは、その道のプロに任せればいいのだ。なぜわざわざ、こんなボクサー崩れの不器用なオッサンに任せるのか、俺には理解できなかった。まあ恐らくは、組織に入って間もない俺の忠誠心を、汚れ仕事をさせることで試しでもしているのだろうか……。

 俺はそんな事を考えながら、そのまま街の中央付近にある噴水広場へと向かった。



 広場は平日の昼間であるせいか、人気はなく、それは静かなものだった。いるのは俺と、あとは鳩が数羽くらいだ。

 そもそもガキどもは今頃学校に行っている時間帯だ。こんな時間にこんな所をうろついているワケがない。

 それ以前に、この御時世にこんな中世の人攫いみたいな真似をすること自体、色々と間違っている。それもこれも、うちの組織が弱小で、人身売買で良質な『商品』をストックできるようなコネがないのが原因ではあるのだが……。

 俺は噴水の縁に腰掛け、しばらくの間煙草を燻らせていた。ジジイどものイカレたパーティーの始まりは、恐らく深夜になるはずだ。誘拐は夕方までに何とかすればいいだろう……。そんな事を考えながら、あっという間に煙草を二箱消費した。時計を見ると、針は既に昼の3時15分を指していた。なんだかこの仕事を始めてから、煙草の本数が増えたような気がする。

「ここに居ても仕方ないか……」

 誰に話しかけるでもなくそう呟くと、噴水から重い腰を上げた。その時だった。

「こんにちは、おじさん」

 突然に声をかけられた俺は、慌てて、声のした隣を振り向いた。そこには男の子が一人、先ほどの俺と同じように噴水の縁に腰掛けていた。

「お、おう……」

 俺はどうしていいのかも分からず、その子のことをじろじろと見ていた。そいつは暖かそうなセーターとハーフパンツ、膝上までのハイソックスに子供用のブーツという格好で、噴水の縁に座りながら足をぶらぶらさせて遊んでいた。首にはこれまた暖かそうなマフラーが巻かれている。

 一体こいつは、何時から俺の隣に座っていたのだろうか。何にせよ、このチャンスを逃すすべはない。この子は恐らく七、八歳くらいで指定の年齢よりは少し上だが、まあ問題はないだろう。何より、綺麗な黒髪とその育ちのよさそうな端正な顔立ちは、老人ウケも良さそうだった。

 俺は思い切って、やけっぱちで声を掛けてみる。

「なあ坊主、こんな時間に何してるんだ? 学校には行かなくてもいいのか?」

 俺の、おおよそ子供に話しかける口調ではないぶっきら棒な言葉にも、そのガキは物怖じせずに答える。それはそれは屈託のない笑顔だった。

「ぼく、学校には行かなくていいんだって。オトーサンがそう言ってた」

 その「オトーサン」という言葉はどことなく他人行儀で、「お父さん」とは少々ニュアンスが違った。俺にはそれが少し、心のどこかに引っ掛かった。

「そうか、ならいい」

 何がいいのか俺にもよくわからないが、とにかく続けた。

「今な、俺は少々困ったことになってんだ。坊主が協力してくれたら助かるんだが、よければ俺について来てくれないか?」

 ……これが俺の精一杯である。情けない。乱暴なマネはしたくなかったし、かと言って気の利いた誘い文句など浮かばない。しかしこれでは、声掛け事案のお手本のような不審者以外の何物でもない。俺は自分の不器用さに段々嫌気がさしてきた。

 だが、ガキの答えは

「いいよ。」

 だった。

 正直驚いた。俺はもう、真っ当に生きるのを諦めていたばかりか、いつの間にか生きる事さえにも飽いていたように思う。こんな仕事に就いたのも、半ばヤケになったからだ。だから、このガキが断ったら、素直に手ぶらで帰るつもりだったのだ。

 そんな事をすれば間違いなく酷いリンチに遭うか、いや、最悪コンクリートの中で漬物にされたり、トランクに詰められて湖底でお魚さん達と友達になれたかもしれない。奴らは失敗を決して許さない。何よりオークションに出品することは、届け出を出した以上、鉄の掟であり、ボスの面子が掛っているのだ。

「どうしたの? 行かないの?」

 黙り込んでいる俺に、ガキが心配したのか声を掛けてきた。思考の迷路に足を踏み入れ掛けていた俺は、それではっと我に帰る。死ぬのなんて恐れちゃいない……そう思ってたつもりだったが、改めて現実的にその可能性を突き付けられるとこんなにも動揺するものなのか。俺は我が身可愛さに、誘拐を決行することにした。

「ああ、こっちだ。ついてきな」

 俺の愛車である、オンボロ三輪トラックはすぐそこの駐車場に停めてある。このガキを町はずれのアジトに連れて行くには車に乗せなくてはならない。

「一体どこに行くのかなぁ……」

 ガキがわくわくした表情で言った。

「……きっと楽しいところさ」

 俺はそう言って、いっそ死んでしまいたいくらいの嫌悪感と罪悪感に襲われた。駐車場まで案内すべく、早足で前を歩く。ガキはそんな俺のコートの端をギュッと掴んで、駆け足でついてきた。

 もう正直、どうにでもなれという心境だった。歩きながらも浮かんでくるのは、何とも形を得ない、もやもやした暗い感情ばかりだ。だが、そんな俺の思考は、後ろから聞こえた「グウゥ」という腹の音で中断された。俺が振り返ると、そいつは人懐っこい照れ笑いを浮かべながら、自分の腹を押さえていた。


「やれやれ……まずは腹ごしらえが必要みたいだな」


 俺はそう言うと、肩を竦めた。




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