第25話 打開策

「……ジェーンさん達……そこまでマーゲイさんの事を思って……」

「……感謝してもしきれないくらいよ……」


マーゲイから大きな溜息が一つ零れる。

同情なのか感動なのか、かばんさんはその話を真摯に受け止めると目尻に涙すら浮かばせた。


「ジェーンさんが私の異変に気づいてくれて、イワビーさんやフルルさんも私の為に体を張ってくれて……、あの時の助けが無かったら私、何をやらかしてもおかしくは無かったもの……」

「で、コンサート自体は成功したの?」

「ええ、お陰で何事も無く。 傍から見ればいつも通りのPPPだったでしょうね」


そう言いつつも、目線を落とし浮かない表情を見せる。

無事に終わったのなら良かったのではないかと思ったが、そうはいかなかったとマーゲイは続けた。


「ジェーンさんはとっても真面目で、とっても頑張り屋で、楽しみつつ必死にアイドル活動をやってるわ。 ……だから、表舞台ではいつもの自分を取り繕っていたのよ」

「……どういう事ですか?」


かばんさんが問うと、マーゲイは腕に抱えた紙の束をそっと下ろし、すぐ傍にあった椅子に腰を掛ける。

両手をきつく握りしめ、トーンの下がった声で言った。


「あれから何度かジェーンさん達にはお世話になったわ。 ……何故か知らないけど、私の体調の変化を発見する度に声をかけてくれるようになって、兆候が見られれば発散させてくれて……。 そんな事が続いていたんだけど、ある日……まずい事が起こったわ」

「まずい事……?」







「────ジェーンさんが倒れたのよ、ステージから捌けた直後にね」

「え……」


驚きのあまり口をぽかんと開けるかばんさん。

……経験があるから分かるが、その行為に及ぶという事は相当な体力を消費するという事。

膨大な快楽の代償といったところだろうか、一度だけだとしても息は切れ、下手をすれば意識が飛ぶ。

高頻度で行うには余りにもコストが大きい行為だ。


「だっ、大丈夫だったんですか!?」

「……相当疲れを溜め込ませてしまっていたようね。 大事にはならなかったけど、事情を知ってかイワビーさんが看病を手伝ってくれたわ。 フルルさんもボスから多めにジャパリまんを貰ってきてくれて……」

「そう……ですか…………、なら────」


「────でも、ある意味それが失敗だったのかも知れないわね」



……失敗とは、どういう事だろうか。

私は首元を掻きながら訝しげに問う。


「失敗……? ジェーンを看病する事の何処が失敗なのさ」

「…………必死になり過ぎたのよ」


頭を抱え、長い溜息を吐く……。


「……プリンセスさんやコウテイさんも、ジェーンさんの事を気遣ってなにか手伝おうとしてくれたわ。 …………でも何を思ってか私達はその手を一切借りなかった……」

「……へぇ……」


「……それからよ、少しずつ怪しまれるようになったのは」



……私はその時思った。

まるで私たちと同じじゃないか、と。

大切なものを守る為に心を闇に染めた事も、周りから怪しまれながらも関係を続けている事も。


「……という事は、あの時僕らが見たプリンセスさん達のあの表情は……」

「そうね、気付いていながらも口に出さなかっただけ……といったところかしら」


神妙な面持ちでマーゲイを見つめるかばんさんも、きっと私と同じことを思っているだろう。

許されない行為と分かっておきながらも関係を断ち切ることが出来ず、ずぶずぶと底無し沼にはまっていくかのような感覚に苛まれ続ける。

その苦しみがマーゲイには分かる、……それだけで心が少し軽くなったような気がした。


「あのふたりは私たちの関係をあまり良く思ってないわ。 ……まあ、PPPのリーダーとセンターですもの、責任を感じてるんでしょうね」

「でっ、でもそれはちゃんとした理由があるじゃないですか……、コンサートの成功の為っていう理由が……」

「………………そうね、……それで良かったわ」

「……はじめ……?」



……そしてマーゲイは、気持ちを落ち着かせる様に深く深呼吸をした後、こう言った。







「────いつの間にか……好きに、なってたのよ……ジェーンさんの事……」


……そこからマーゲイの様子が一変。

吐き捨てるように呟いていた言葉から、何かを堪えるかのような弱々しい声へと変化した。



「好きって……マーゲイさんはPPPの事が好きって言ってたじゃないですか、おかしくなんて────」

「違うのよ……そんな軽いものじゃないわ……」


……声が、震えている。

同時に私は、目尻に光るものを溜めている事に気がついた。


「尊敬でも、友情でもない………それとはまた別の、特別なものよ」

「特別………そ、それって………」

「ジェーンさんの事を考えるだけで胸が熱くなって、頭が回らなくなるの。 ………こんな感情、初めてだったわ」

「……私達がアライさんやサーバルに対して抱いてる感情と同じ……って訳だね」



………私は改めて考えてみた。

お互いの好きな相手を汚したくないという理由で欲の捌け口となった私達と、欲の捌け口となった後でその相手が好きになってしまったマーゲイ。

こう考えてみると、好きになってしまったジェーンを既に自らの手で穢してしまっているという、救いようのない状況に置かれている事が分かる。

………その分私たちはまだ、救いがあるのだろうか……



「……そういう感情が芽生えてから、更に頻度は上がったわ。 受け身だった私が気づけば自らジェーンさんを求めるようになってたもの………、自分でもゾッとするくらいよ」

「………」

「あなた達には分からないでしょうね……。 アイドルとして大好きだったフレンズを、心じゃなく身体が求めてしまう気持ち……、心でいくら拒絶しようとも、抗えずに交わってしまうこの状況が……っ」



………溜めに溜め込んだ負の感情が、静かに溢れ出した。

固く瞑った目からは大粒の涙が流れ落ち、木製の床にゆっくりと染み込んでいく。


「ジェーンさんは勿論、イワビーさんやフルルさんもPPPの為に黙り続けてくれてる……。 ────っ……でもっ、皮肉にも今回あなた達が来て………、秘密を暴かれて分かったわ」


………眼鏡を外し、腕で目元を拭う。

少しの間の後、マーゲイは言葉を続けた………。





「─────このままだと……私が…PPPを………っ────────壊してしまうかも、しれない……って…………」


歯を食いしばりながら………顔を大きく歪ませながら………。

マーゲイは自らが引き起こしつつある最悪の事態を、悟った。




「……そんな…………」

「あなた達にバレたということは、他のフレンズに、ファンにバレる可能性だって否定できない…………。 そうなったら今度こそ……終わりよ…………」

「そ、それは………」


負の感情に押しつぶされるマーゲイ。

身体を縮こまらせ、肩を小刻みに揺らす。


「………そうよね、あなた達は個人同士の問題だもの。 私の事はあくまで他人事………、気が楽でいいわね………」

「そ、そんなこと─────」



「っ……あなたに何が分かるっていうのよ!」

「ひっ………」



突然の怒声に、かばんさんが小さく悲鳴を上げた。

抑えきれなくなった感情が、怒りとなって火を吹き出す。


「マーゲイ、ちょっと落ち着いた方が………」

「あなただってそうよ……っ。 自分の欲のために私を陥れて………、さっきすれ違った時もカードを持ってることを隠して……私が何を探してるか知ってたくせに……」

「………」

「苦しんでるのが私だけじゃないということが分かって、それは少し気が楽になったわよ。 いずれ誰かにバレるという危険性も知ることができたわ。 …………っでも!」


感情が暴走を始めている………。

PPPというアイドルグループを背負うマネージャーとしての役割………その大きな負荷が、マーゲイの心をあらぬ方向へと向かわせた。




「………どうすればいいっていうのよ…………、どうすれば…………どうすれば私はPPPを壊さずに済むっていうのよ!」

「…………マーゲイさん………」

「ジェーンさんが好きと言う気持ちに嘘を付けって言うの……? ジェーンさんを嫌いになれって言うの? PPPから離れろっていうの!? …………そんなの……そんなの無理に決まってるじゃない………っ!」




我を忘れ、得体の知れない怒りを吐き続ける。

その姿は………悲痛としか言いようがなかった。





「ねえ、どうすればいいか教えてよ! ………どうすればいいか……っ…誰か…………教えてよ…………誰か…………………」






私は…………どう声をかければいいか、分からなかった。

過去の私を見ているかのようで、しかしその時とは比べ物にならない程の重荷を感じる。


私の先程までの横着な態度は息を潜め、同情すらできない今のマーゲイの状況に只々黙り込むことしかできなかった。



「…………」



居心地の悪い静寂が訪れる。



空気が反響する音と、マーゲイの啜り泣く声だけが部屋に響く。







………………







………






























「あの…………」




─────その静寂を破ったのは…………かばんさんだった。



「………何よ………」

「いえ、その……………うぅ……………」

「何かあるなら早く言いなさいよ……………」

「は、はい……ごめんなさい………」


目を泳がせながらしどろもどろし始めるかばんさん。

この雰囲気の中だ、発言しにくいのは痛いほど分かる。


「えっと………さっきマーゲイさんは、ファンにバレたら終わり……って言ってましたよね………」

「………そうよ、それが何?」

「ちょっとマーゲイさんにとっては酷な事かもしれませんが、………一つ思いつきが」



その思いつきに期待が膨らむ……………が、状況が状況だ。

いくらかばんさんでも、この絶望的な状況を打開できる策を思いつけるのだろうか。








「簡単に言ってしまえば───────────プリンセスさんとコウテイさんに隠し通すのを手伝ってもらうんです」







その口から出たのは、単純明快で率直な答えだった。

悪く言えば隠蔽工作を手伝ってもらう、と言っているのと同意だ。


「………何言ってるの………あのふたりは私達の行為を良く思っていないのよ!? 協力なんて─────」

「だからこそです。 良く思っていないという事はPPPの為にならないと思っているからでしょう………。 でも、訳を話せば分かってくれるはずです」

「無責任なこと言わないでよ! あなたの言うとおり話したとして、もし決別なんてされたらどうするのよ!」

「……っ」


マーゲイの言い分は正しかった。

誰が聞いても、今のやり取りはかばんさんが無謀な案を出したとしか見えないだろう。






しかし。




私はその案に、賛成だった。


なぜなら──────



「マーゲイ。 私は大丈夫だと思うよ……………少なくとも、コウテイは」

「あなたまで…………何を根拠にそんな事を──────」

「根拠なら、あるよ」



…………そう、あの時。

コウテイに呼び止められ、カメラをみるのを止めてくれと頼まれた、あの会話。


もしコウテイが本当にマーゲイたちの関係に気付いていたとすると、あの会話の真意は大きく変わってくる。





「慌てて部屋に戻るマーゲイとすれ違う少し前、コウテイに言われたんだ………。 『あのカメラの中身を簡単に見ようとしないでくれ。 私達の、ファンの為だ』……って」

「……コウテイさんが………?」


コウテイが真実を知らないのであれば言ったとおりの意味になるだろうが、真実を知っていたのであれば、その時点で既に私達を真実から遠ざけようとしていた………………つまり、隠蔽しようとしていた事になる。



「………まさか……そんな都合のいい話があるわけ無いでしょ。 嘘なら許さないわよ………?」

「私はこんな状況で安々とウソを吐くような性格じゃないし勇気もないよ」

「………じゃああの時かばんたちの後ろに付いてきてなかったのって………」

「そう、コウテイに忠告を受けてたからさ」



マーゲイが驚きの表情で固まる。

そのまま長い思考に入り、目をひっきりなしに泳がせ始めた。


「………その話が本当なら、コウテイさんはきっと分かってくれるはずです。 むしろ今の状態だと隠す必要性が分からなくて困惑しているかもしれません」

「…………」

「プリンセスは分からないけど、彼女は誰よりもPPPのことを思ってる。 そのマネージャーが重大な悩みを抱えてるのなら、きっとプリンセスも理解しようと努力してくれるはずだよ」

「………っ」






再び、静かな時間が流れ始めた。



しかし今回は先程の険悪な空気ではない。


真っ暗闇ながらも、微かな光が一筋注している。

そんな静寂だった。






そして………










「……………コウテイが本当にそう言っていたのなら………そうね、……かばん、あなたの案に……乗らせてもらうわ」



ついに、決断をした。


メンバーにすべてを打ち明けることを。

5人………いや、6人で団結してPPPの問題を解決していくという、強い決意を持って。




「……明日、タイミングを見計らってすべてを打ち明けることにするわ。 勿論、イワビーとフルルには事前に説明はしておくけど」

「そうですね、何事も早いほうが良いですから」

「私たちの協力は必要?」

「いや、必要ないわ………。 これは私達PPPとそのマネージャーの問題だもの、あなた達の手を借りてたら本当の解決にはならないわ」

「そっか、わかったよ」




………マーゲイの表情は、真剣だった。

先程までの様々な感情が入り交じった表情とは比べ物にならないくらいだ。

目は涙で腫れてさえいるが、しっかりと前を見据えている。


「さっきはごめんなさい、あんなに言葉荒げてしまって」

「……いえ、仕方ないですよ。 ボクには完全に理解はできませんけど、とても大きな重圧と戦っていたんですから」

「……ありがとう、かばん。 ………ほんと、あなたには助けてもらってばかりね」




かばんさんの鶴の一声は、マーゲイの心境を大きく変えた。

私の証言も決定打の一つになっていたのだろうが、かばんさんが言い出さなければ私もすっかり忘れていただろう。


さすがヒト、と言ったところだろうか。

かばんさんには、やっぱり敵わないと思い改めた瞬間だった────。







「かばん、今日はもう遅いわ……。 早く戻らないとサーバル達が寂しがるわよ」

「そうですね。 フェネックさん、行きましょう」

「……………………そうだね」



私は何かを言いかけて、とっさに口籠る。

………これを今この場で言う……頼むのは、場違いな気がしたから。











─────しかし、そんな私の我慢も虚しく。


この場では絶対に、聞こえてはいけない音が。




───────声が、私の鼓膜を揺らしてしまった。













「………なにしてるのだ?」

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