第10話 縋り

「みなさーん、出来ましたよー!」


そう呼びかけたボクの手には、ほかほかと湯気の立つ料理が乗っている。

たまに料理当番として図書館に呼ばれては料理を作っていたため、腕は勝手にめきめきと上がっていった。


「待ってたのです」

「早くそれをよこすのです」

「まあまあ、慌てないでください」


実は、レパートリーが増えたというのは半分ウソだ。

初めて料理を作った時からボクはカレーしか作った事が無いし、レパートリーというのも具材の変化だけ。

しかし今日は、別の味に挑戦してみた。

そうやって博士さんたちの待つテーブルに置いたのは、カレーと大差ない見た目の料理だ。


「いつもの奴ですね、それじゃあ早速……」

「………いえ、待つのです博士……」


そそくさと食べようとする博士さんを、助手さんが制止する。

少し不機嫌そうな博士さんを横目に、助手さんは何かに気付いたようにボクに問いかけた。


「かばん、これはいつものりょうりとは違うのです」

「はい、その通りです、……ハヤシライスっていうものらしいですよ」


その姿はカレーと瓜二つだが、味と香りは全くの別物。

博士さんはその香りで気が付いたのだろう。


「はやしらいす……ですか」

「林ならそこら中にあるのです」

「……自然を感じるのです」


……実際の語源はその"ハヤシ"ではないらしいが、諸説あるらしく何とも言えないところだ。

嫌ではないみたいなので、そう思ったのならそれでいいんじゃないだろうか……。


「かばんさん、アライさんたちの分はまだなのか?」

「あ、すいません、今持ってきますね」


今日は初めて挑戦する料理で、しかも大人数だ。

内心ドキドキしながらボクは料理をテーブルに並べた。


「では、いただくのです」




――――――――――――――――――――




……結果から言うと、大成功だった。

みんなから美味しいという言葉を聞くたびに、ボクはとても嬉しくなった。


「やりますね……」

「新しい味だったのです……」


博士さんたちは、料理=辛い、という概念を覆され、一口目から目を見開いて驚いていた。

その道具……スプーンを扱う手つきは既に慣れたようなものだったが、驚きのあまり震えていてうまく口に運べていなかったのが印象的だった。

また、他のみんなは初めて博士さんたちに料理を出した時のような反応を見せ、ボクはその対応に追われることとなった。


「ごちそうさま、なのです」

「やっぱりかばんさんはすごいのだ!」

「でしょー!かばんちゃんはすごいんだよ!」


次々とみんなが完食していく。

………そんな中。


「………どうしたんですか、フェネックさん」

「あ、かばんさん……」


その手はスプーンさえ握ってはいるものの、料理の量は全くと言っていいほど減っていなかった。

更に何故かその表情はあまり優れておらず、落ち着かない様子だ。


「もしかして、あんまり口に合わなかったですか……?」

「いやいや、そんなことないよー」


そうフェネックさんは言うも、やはり何か様子がおかしい。

と、フェネックさんはボクに耳打ちするかのように小声で言った


「……さっきからさー、助手がずっと私を見てくるんだよねー」

「助手さんが?」

「そう、だからそれが気になって食べにくいのさー」


そういわれて助手さんのほうを見ると、確かに不自然にこちらをちらちらと見ているようだ。


「……確かに……、フェネックさん、今無理して食べなくても大丈夫ですよ。まだ余ってるので後でゆっくり食べたらどうですか?」

「……そうだね、そうさせてもらうよー」


そういってフェネックさんは料理の乗った皿をアライさんの前に差し出す。

その表情はいつものフェネックさんに戻っていたが、様子を見るに作っているようだ。


「ん?どうしたのだフェネック」

「私あんまりお腹空いてないからさー、アライさんにあげるよー」

「いいのかフェネック!?ありがとうなのだ!」


アライさんは嬉しそうに料理にがっつく。

ここまで美味しそうに料理を食べてもらえると、それを作った者として冥利に尽きる。

……が、やはりフェネックさんにもちゃんと食べてもらいたかったという気持ちもあった。


「……ボク、ちょっと声を掛けてきますね」

「大丈夫だよーかばんさん、一時的なものだろうしさー」

「そうですか……?」


確かにフェネックさんの言うとおり、一時的なものなのかもしれない。

だが、そう言われても気になるものは気になる。


「かばんさんは気にしなくていいよー、私の問題なんだしさー」


そう言うとフェネックさんは席を立ってしまった。

その行方をじっと目で追う助手さん。


……今日の洗い物は専門家に一任することにしよう。


「アライさん、洗い物お願いしてもいいですか?」

「まふぁへうのら!」


僕の言葉に、口いっぱいにハヤシライスを頬張ったアライさんは勢いよく親指を立てて頷いた。




────────────────────




食事が一通り終わると、この場は解散となった。

ギンギツネたちは温泉が心配ということで雪山に帰っていったが、ボクらは片付け等をするということで残っている。

……実の理由はボクの我儘だけれど。


食器洗いはアライさんに任せて、ボクは何かを探すように辺りを見回す。

サーバルちゃんは、図書館のてっぺんからぶら下がる梯子のようなものに揺られながボクに元気良く手を振っている。

微笑ましい光景に思わず笑みがこぼれ、元気が湧いてくるようだ。

手を振り返しながら改めて辺りを見ると、その二人しか見えないあたり他の三人はどうやら図書館内にいるようだ。


……と、ちょうど博士さんが図書館から出てきた。

ボクと目が合った途端なぜか溜息をついた博士さん。

とりあえず助手を探そうと、博士に声をかけた。


────────のだが、


「あ、博士さん、ちょっと聞きたいことが────」

「フェネックたちなら図書館の上なのです」

「────へっ?」


────あまりにも唐突に、求めていた答えが返ってきた。

それはまるで、元から何を知りたいのかが分かっていたかのように。

そして少し複雑そうな表情を浮かばせながらぼそりと呟いた。


「……よりによってお前が来るのですか……」

「えっ……ど、とういう意味ですか……?」

「……いや、何でもないのです」


何事も無かったかのように一瞬で表情を戻した博士さんは、真っ直ぐ図書館のてっぺんを指差す。


「図書館のあの辺に、我々がいつも読書をしている止まり木があるのです。フェネックと助手ならそこにいるのです」

「え……あ、ありがとうございます、………でもどうしてボクの知りたいことが分かったんですか?」

「それは助手に聞くのです。こういうことは助手の方が詳しいのです」

「は、はぁ……」


とりあえず二人の居場所は分かった。

博士さんの言い方からするに、一緒の場所にいるのだろう。

フェネックさんが言っていた助手からの視線も何か関係があるのだろうか……。


「……とりあえず、教えてくれてありがとうございました、博士さん」


ボクはそう言って博士さんの横を通り過ぎ、図書館の中へと入る。


すれ違いざま博士がつぶやいた言葉は、ボクの耳に届くこと無く霧散し、消えた。




――――――――――――――――――――




上へ、上へと階段は続く。

図書館のど真ん中を貫くように生えている一本の巨木は、長い年月をかけながらこの建物を浸食しているようで、経年劣化と相成って階段や壁を所々崩落させていた。

しかし、自分で言ってもなんだがボクも伊達ではない。

ずっとサーバルちゃんと旅をしてきた経験を生かし、すいすいと悪路を進んでいく。


……しかし、もう少しで頂上というところで階段は完全に崩落していた。

残るは頂上まで真っ直ぐ伸びる巨大な幹のみ。

だが………これくらいだったらいけそうだ。

そう思い立ち、幹に手をかけようとしたその時だった。


「――――お前はアライグマのことをどう思ってるのですか?」


……助手さんの声だ。


「そりゃあ大好きだよー、一緒にいるだけで楽しいし、おっちょこちょいだけどたまにいい仕事もしてくれるしさー」


続けてフェネックさんのマイペースな声。

それも、ちょうどボクが登ろうとした木の真上から。

思わず手をひっこめ、静かに聞き耳を立てる。


「なるほど……では、かばんのことはどうなのですか?」


突然の自分の名前に驚くが、ボクも少し気になる。

フェネックさんはボクのことをどう思っているのだろう……。


「かばんさんかー、………尊敬、かなー」

「尊敬………ですか」

「それだけですか?」

「他かー、………頼りになる、とかかなー」


……改めて他人からの自分の評価を聞くことは、こんなに小恥ずかしいことなのか。

純粋に褒められたような感覚に、むず痒い気持ちになる。

しかし、なぜか助手は納得していないような口調で続ける。


「質問を変えるのです、……かばんの事は好きか、にしましょう」


……フェネックさんがボクのことを好きか。

その質問にボクは胸の鼓動が速くなるのを感じた。

……何故こんなに緊張しているのだろう。


「…………もちろん好きだよー」

「その"好き"は、あくまで共に旅をする仲間として、ですか」

「……それ以外の何があるのさー」


淡々と答えるフェネックさんの口調は、さっきよりも少しトーンが落ちたように聞こえる。


そしてその違和感を、助手さんは的確に正面から突いた。


「では―――――――






――――――『しっとり』での出来事で、その気持ちに変化は無かったですか?」






…………場が、凍り付いた。

何故、助手がその部屋の名前をこの場で出すのか。

認めたくはないが、理由は明確だ。


あの夜何があったかを、助手さんは知っている。


でも、何故。

どうして――――――


「――――――どうして知ってるのさ」


ボクの心と同調したように、フェネックさんは震える声で問う。

しかし助手さんは、いたって冷静だった。


「何故でしょうね、ロッジの管理人にでも聞いてみたらどうですか」


どうやら、情報源はロッジの管理人、アリツカゲラさんのようだ。

確かにアリツカゲラさんはボクに対して、事情を知っているようなそぶりを見せていたが………。


「………やっぱり、知ってたんだね……」

「………一応プライバシーとやらのこともあるので名前は控えるですが、最近その管理人が相談に来たのです、………まあ、相談というよりかはお願いという感じだったのですが……」

「……」

「自らが知っていることを話した後だったのです、……どうにか、あの四人の心を守ることはできないか、と」


……四人の心。

それは多分、ボク達のことだ。


あの時ボクは、アリツカゲラさんに一つの忠告を受けた。


『……サーバルさんを、どうか独りにしないであげてください』


……その手助けを助手に頼んだ、という形だろうか。


「例えるなら……お前たちは、今にも崩れ落ちそうな危ない橋を渡っているような状況なのです」

「………分かってるさ」

「でも、色々話を聞いて分かったのです、………この橋はすでに半分崩れ落ちているのです」

「……それって、どういう意味?」


……助手は何を言いたいのだろうか。

橋が半分崩れているとは、何のことだろう……。


「お前は、かばんのことが好きと言ったですね?」

「………旅の仲間として、ね」

「でも、今は違う……そうですね?」

「……っ」


旅の仲間としてではない、"好き"……。

その表現は、なぜかボクの心にじわりじわりと馴染んでいく。

しかしそれを受け入れてしまうと、何か大切なものを失ってしまうような気がした。

その感覚は、フェネックさんも同じなようで……。


「……かばんさんは、大切な仲間………、アライさんも、サーバルも、みんなおんなじ仲間だから………」

「………それを認めるのは辛いことなのです……、でも、今すぐとは言わないですが、いつかその気持ちに向き合う時が必ず来るのです」

「………」

「…………さて、そろそろ話しは切り上げることにするのです。………ですが最後に一つだけ、伝えておきたいことがあるのです」


――――――助手さんは、今の僕らにとって一番の救いの道、そして無慈悲でもある言葉を告げた。





「好きになっていいのは必ず一人だけという考え方では、いずれ自らの身を滅ぼすのです。…………健闘を祈っているのです」





そして助手さんは、そのまま天井に開いた穴から飛び去って行った。

その際、最初から気づいていたかのようにボクを一瞥して口を動かす。

声さえ聞こえなかったが、ボクは頷いた。

――――――――あとは任せた。

そう言われたように、感じたから。





――――――――――――――――――――





いつも腕に付けてるボスはそこには無い。

図書館入り口付近の机に置いてきたからだ。

そのおかげかいつもよりも木を登りやすく、スルスルと体が上へと進んでいく。


頂上辺りに辿り着くと、少し離れた枝の上で力なく項垂れたフェネックさんの姿が見えた。

ボクがすぐ横まで近づいてもピクリとも動かなかったが、流石に存在には気づいたようで。


「……全部、聞いてたんだよね」


その察したような声は、とても暗く、とても小さい。

ボクはフェネックさんのすぐ隣に腰を下ろした。


「ごめんなさい、そんなつもりは無かったんです……」

「いいよ、もう過ぎたことだしさ」


……


静かな時間が流れる。


……


「────かばんさんはさ、どう思う?」


唐突に、俯いたままのフェネックさんから問いかけられる。


「何が、ですか?」

「……"好き"っていう感情の事さ」


それは、フェネックさんの心を今まで以上に締め付けていた。


アライさんに対してではなく、ボクに対しての"好き"。

助手さんの言ったそれは、明らかに単なる仲間としてのそれとはかけ離れたもので。

そしてそれを認めることに対し、心が拒絶反応を起こした。


「……そうですね、ボクも今のフェネックさんとあまり変わらないと思いますよ」

「……そっか」


……フェネックさんだけではない。

ボクだって、さっきの話を聞いたことで胸が苦しいのだ。


それを遠回しに伝えたところで、ふと、フェネックさんは顔を上げて話し始めた。


「…………あの夜からさ、私の中で確かに何かが変わったんだ」

「…」

「今まで毎晩、アライさんの寝てる横で自分を慰めてた自分が悲しくなってさ、やめちゃったんだ」

「……」

「まあ、その結果がアレなんだけどね……」


……アレというのは、恐らくロッジでの事だろう。


「……その理由がさ、かばんさんの存在なんだよ」

「ボク……ですか?」

「そう、……あの夜の次の日、いつものように慰めようとしたんだけど、……そしたら、その時不意にかばんさんの顔が頭をよぎったんだよね」

「……」

「次の日も、その次の日も、ずっと……、その度に罪悪感が積もっていって、それが嫌でやめたのさ」


そういうフェネックさんは、少し悲しそうだった。


「……助手の言ってた事も、あながち間違いじゃないのかもしれないね……」


……言葉は少し強いものの、助手さんは島の長として僕達の事を気にかけてくれているのだろうが、それは逆にフェネックさんの心を深く抉るような結果になってしまっていた。

助手さんも、この様子を見て僕に託したのかもしれない。


「かばんさん……私怖いんだ……、また自分が自分じゃ無くなってしまう時がいつか必ず来る……そんな気がするんだよ……」


そんなことは無い────そう言って元気付けたいところだったが……それは出来なかった。

何故なら。





「────ボクと、一緒ですね」


フェネックさんの言った事の殆どが、今の僕の悩みに当てはまっていたからだ。


「……同情ならやめて欲しいな」

「本当ですよ、結果的にそのおかげで昨日の夜、フェネックさんが居なくなったことに気付けたと言ってもいいくらいです」

「……どういう意味?」


ボクはゆっくりと、その理由を話し始める。

……要約すると、こういう事。

毎晩の行為をフェネックさんと同じ理由でやめたことで睡眠が浅くなり、それによって昨晩の不自然な物音に気付けた、ということだ。


「………そっか……一緒、なんだ……」

「こんな事フェネックさんにしか言えませんからね、何だかスッキリしました」

「…………そうだね」


少し、フェネックさんの表情が解けたようだ。

……何だかんだで、フェネックさんはボクの事を信じてくれている。

ボクはその気持ちに答えなければいけない。





────ここからは、ボクの提案だ。

それはあの夜、あの部屋で交わした一つの誓いを裏切ることになる。

しかしこのままでは、いつ同じ事態に陥るか分からない。

その現状を打開できる、最善の方法がある。



「……フェネックさん、ボクから一つ提案があります」

「……なに?」





「────定期的に、しませんか?」


その言葉に、フェネックさんはピクリと反応する。


「……それって……」

「…………出来れば取りたくなかった方法ですけど、手遅れになってからでは元も子もないと思うんです」

「それはそうだけどさ……」

「それに、助手さんが言ってた気持ちの答えも見つかるかもしれませんし」

「っ……」

「…………ど、どうでしょうか……」


僕の突飛な提案に、フェネックさんは深く考え込む。


……


呼吸音と、葉が風に揺られる音だけが、二人の間で静かに響く。

ボクは目を閉じ、静かに待った。


……


…………と、真横に座るフェネックさんが深く溜息をつく。

そして────


「ねぇ、かばんさん」

「何ですか、フェネックさ────────」





振り向いたと同時に、視界が何かに遮られる。

気付くと、フェネックさんの顔が目の前にあった。

覚えのある温かさ、そして柔らかさ。


────それは、ボクの唇がフェネックさんによって奪われた事を意味していた。


「………………………………!?」


突然のことに、理解が遅れる。

……と同時に、酷いデジャビュが僕を襲った。

……前にも同じ事があったような…………


思考回路が混乱する中、フェネックさんはそっと唇を離してこう言った。




「────じゃあ、今日からじゃ、ダメかな」










────────────────────










…………この出来事が起こったのは、図書館の最上部だ。

外からは全くと言っていいほど見えることは無い。

……が、同じような高さなら、どうだろう。

内部からは、図書館を覆うように伸びる枝や葉の隙間から空や遠くの山、そして────"梯子のようなもの"が見える。


それが意味する事を、ボクは完全に忘れていた。

そして、そこから刺す一つの視線に、ボクらは気づくことが出来なかった。

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