第4話 剣の里(2)
季節が一巡りして、また春になった。
俺の素振りはだいぶ
そのころ俺は周りの子供たちから棒振りの変人と呼ばれて馬鹿にされていた。
皆はすでに基礎の十の型を覚え、初伝を認められ、各集落にある下の道場へ通うことが許されていた。
基礎の型の一つも練習せずにただひたすらに棒を振る俺は、よほどの変人、偏屈者であったのだろう。
ここで、伝位についてだが、
初伝 基礎の型を修めた者。集落の下の道場に通うことが許される。
普通は剣を覚え始めて1~2年で認められる。
中伝 初級者卒業の証。
上伝 一人前の剣士の証。認められると街にある中の道場に通うことが
許される。
初目録 仮皆伝ともいわれ、下の道場の師範などがこれ。
中目録 一流の剣士の証。里の外へ武者修行が許される。またお屋敷に
ある上の道場に通うことが許される。
大目録 免許皆伝ともいわれ、認められると他の町で道場を開くことができ
る。また新たに自分の流派をたてることができる。
ここまでが一般的な伝位だ。ただうちの流派は
「剣の里で初目録でもとれりゃ、他じゃ免許皆伝だよ」
といわれるほど、免許皆伝までの道のりは長く険しい。
そして他にも、
奥伝 免許皆伝を修めた者のうち、一門衆や特に師匠が認めた者だけが
授けられる秘奥義を修めた者。
極伝 一子相伝の秘奥義中の秘奥義。
などというものもあるが、こちらは望んだところでどうなるものでもあるまい。
剣術以外のことはといえば、読み書きにも、陰陽にも俺にはからっきし才能がなかった。せめて初級の『肉体強化』くらいは使えるようになりたかったが、初級の法印すら俺には難かしかった。
木刀の柄の部分に、二つ下の妹に法印を刻んでもらって、それでなんとか術を発動させることができるくらいだった。
俺とは違って、妹は優秀だった。
特に陰陽の術に関しては、周りからも期待されるようになっていて、初級の術はほとんど使いこなせるようになっていた。妹はいつしか剣の持つことをやめ、朝に夜に陰陽の術だけを修練するようになっていた。
南の国の都が落ちたと知らせがあった。師匠の帰りを里の誰もが期待したが、師匠は帰ってこなかった。
季節が一巡りして、また春になった。
俺の素振りは日々上達してはいたが、目指す頂はまだまだ遠い。
自力で何とか『肉体強化』の術を発動させることができるようになった俺は、次は『知覚鋭敏』の法印を妹に刻んでもらい、今度はそちらの練習をするのだった。
そんなある日のことだった。
そのころ俺は朝まだ暗いうちから起きだして、近くの山寺へと通っていた。
剣を習い始めてから、もう三年近くたっているのに基礎の型の一つも練習していない俺のことを周りは随分呆れていたし、宿舎の周りで素振りなんてしていようものなら、馬鹿にされるのが落ちだった。
同じ集落に同い年のガキ大将がいて、そいつが俺を執拗に挑発してきた。
なんでも十年に一人の剣術の天才だそうで、半年で初伝、二年で中伝を認められ、今は上伝の鍛錬をしている。剣で上下を分からせたかったのだろうが、いつまでたっても道場に上がってこない俺に苛立っていた。
無視するだけでいい話なのだが、無視するだけでも相手を苛立たせてしまう。それならばと山に登って誰に気兼ねなく一人でいるのが楽だった。
長い石の階段を登り切って境内に入る。
俺がいつも素振りしている場所に、その日は珍しく先客がいて、何やら奇妙な動きをしている。踊りともちがう、ただゆっくりとゆっくりと手で円を描いたり、足をまげ、姿勢を落としたり。大きく息を吸い、大きく息を吐き、それにあわせて体を動かしていた。
暫らくその淀みのない流れるような動きを見ていたが、俺は木刀を構え、いつもがそうであるように素振りを始めた。
俺も自分の世界に入っていった。
話しかけてきたのは、その男からだった。
「坊主、坊主はなかなか綺麗な剣を振るなあ」
これまで人に褒められたことのなかった俺は、一体どんな顔をすればいいのか分からず、ただただ呆けてしまった。
「なかなかの量の気が流れてる」
「気?」
「坊主は見たところ『肉体強化』と、『知覚鋭敏』かな、陰陽の術を使っているよな。それも気だ。外から取り込む気、俺たちは外気と呼んでるがね。陰陽では法力かな、場合によっちゃ魔力ともいう。呼び名は何であれおなじことさ」
男は武者修行の拳士だった。
男が言うには気には5つの種類があるのだそうだ。
外気 外から体内に取り入れる気。陰陽の術などで使う。
内気 体の中心、丹田から発する気。勁力ともいう。
覇気 筋力や生命力から発する気。
神気 亜神や精霊が発する気。まれに道具などにも宿る。
邪気 邪神や妖魔が発する気。まれに道具などにも宿る。
外気、内気、覇気は鍛えれば誰でも使えるようになるらしいが、神気と邪気は人の力の及ばぬもの。特殊な法具で補うことはできるが、それらはみなとんでもない値がつくらしい。国宝になるものもあるという。
「わしら拳法使いは武器は使わぬからな。内気を鍛えて己が肉体を武器にする。強い一撃を打とうと思ったら、体に力を込めては駄目だ。関節が固まって、力がうまく伝わらなくなってしまう。強い一撃を打とうと思ったら、逆に体の力を抜いて、つま先から頭のてっぺん、指の先までを一つの拳にする。力のすべてがうまく拳にのるように、腰も膝も足首も、肩も肘も手首も指も、柔らかくしなやかに。どうだ坊主もやってみるか」
俺は男に教えらたように、木刀を振る。
体の力を抜き、丹田からあふれる気が、腰、膝、足首と踏み込む足にうまく伝わるように。丹田からあふれる気が肩、肘、手首とうまく伝わるように。難しい、けれど悪くない。師匠の大きな振りに少し近づけた気がした。
「坊主は腰から上の力の伝わり方は悪くないんだ、あとは踏み込む足の力とうまくつなげるんだ」
俺は男に教えられたように、木刀を振る。
踏み込む足の力が、振り出す腕につながるように。まだだ。けれどまた一歩師匠のあの大きな剣に近づいた。
「からだ全体を一つにまとめあげろ。坊主、お前は一本の剣だ」
俺は男に教えられたように、木刀を振る。
つながった。
まだ全てではないが、さっき確かに一瞬、踏み込む足から木刀の先までが一つになった。
俺はまだまだ上にいける。
「あはははは、坊主、いいぞ坊主。見違えるような怖い一撃だ。お主のこれまでの鍛錬があったればこその成長だ。いやな、俺たち拳士にせよ、お主たち剣士にせよ、年をとると己に凝り固まってしまいがちでな。他の流派の鍛錬など受け付けぬようになってしまう。今日は面白いものを見せてもらった。戯れに声をかけてみてよかったよ。いい勉強になった」
いい勉強になったと男は言った。いやいやこちらこそだ。俺のほうこそいい勉強になったのだ。
それにしても気の鍛錬は面白かった。なにも剣を振っている時だけに限らない。普通に歩いている時も丹田から流れるように力を流し気は練られるし、農作業をしている時も、気は練ることができた。俺は一日中気を練って、夜の素振りがこれまでに増して楽しみで仕方なくなった。昨日よりうまく剣がふれる、そのことが俺を有頂天にさせた。
俺は毎朝、男に気の練り方を学んだ。楽しい日々だった。だが、楽しいときはそんなに長くは続かなかった。とつぜん男が姿をあらわさなくなったのだ。
さよならも感謝の言葉も何一つ伝えられないまま、男は山寺に来なくなった。
そういえば、里から姿を消す前の日に
「剣聖殿に会えなかったのは残念だが、坊主に出会えたことで今回の旅はまんざらでもなかった」
と男は口にした。
あれがあの男なりの別れの言葉だったのだろう。
南の国での戦は国を二つに割って更に激しさをましたのだそうだ。
都を落とした後、こちらが新しい王をたてると、逃げた王族の一人もまた王として立った。なんでも南の国のさらに向こうにある大国があちらの王の後押しをしているのだと。
師匠の帰りはまだ先になるだろうと大人たちが言っていた。
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