8.大悪魔ビルガルデの思いがけぬ休暇(お題:彼女と悪魔 必須要素:くさや)

「ククク……我は大悪魔ビルガルデ。小さき人間よ。何を望む……?」

「ほ、ほんとに出た……!」


 我を見上げる女は、ぽかんと口を開けてつぶやく。

 太古の昔より、悪魔を喚び出すのは地下室と相場が決まっている。

 今回も例にもれず、懐かしき黴のにおいが薄暗い室内に漂っている。


 我はまだ驚きから立ち直っていないその人間に問う。


「小さき人間よ……まずは我に対価を差し出すがよい……」


「え? ああ、はい! ……えっと、あれ、なんですけど」


 女は慌てて、足元に置かれたそれを指さした。


「なんだ、それは」


「くさやです」


「くさや」


「はい」


 なんだそれは。


 聞き慣れぬ単語に首をひねっていると、女は不安げな顔をした。


「……あの、ダメですか? 一応高級なやつなんですけど」


「値段は問題ではない。問題はそれがなんなのか、ということだ。普通は豚の血、蝙蝠の目玉、黒焼きしたトカゲなどだが」


「うう、そんなものとても用意できなくて、だから……」


「ならば貴様は対価もなしに我を……」


 湧きかけた怒りを抑えて、我は自問する。

 そもそも適切な対価がなければ、呼び出しそのものが不可能。

 とすれば、その「くさや」なるものも、何かしら魔界の価値観に通ずるものなのかもしれぬ。


 そのときだ。


「うッ……これは……!?」


 足下から、強烈な瘴気が立ち上ってきたのは。


「あっ、やっぱり臭かったですか? 慣れない人はびっくりしちゃいますよね」


 どうやらそれは「くさや」なるものから来ているらしい。

 足下を見ると、金網の上に乗せられた茶色い物体。金網の下には円形の陶器の壺があり、どうやらその中では炭火が燃えているらしい。


「ちょっと七輪で炙ってみたんですが……どうでしょう」


 我は促されるままその茶色の物体を手にとる。

 見た目はどうやら魚の干物であるらしいが、この瘴気の濃さといったら……。

 豚や蝙蝠やトカゲなど、比べるべくもない。


「なるほど」


 知らず笑みのこぼれるのを抑えきれぬまま、我は言った。


「貴様の言う通り、なるほど対価としては十分のようだ。さあ、人間。貴様の望みを言うがいい」


 人を呪うのか。

 目もくらむ富か。

 想い人の心か。

 それとも永遠の生命か。


 我の問いに――女は目を輝かせ、答えた。


「わあ、やったあ! じゃあ、早速――


 お店の手伝い、やってもらえますか?」



 ※※※



「ありがとうございました。また起こしくださいませー」


 教わった通り九十度の角度でお辞儀をし、和服姿の老女を見送る。


「いやあ、助かるわねえ。ちょうど人手が足りない時期で。あ、これ運んどいてくれる?


「ワカリマシタ ダイジョブ マカセテ」


 店長の指示に従い、我は空の木箱を抱え、勘定台の奥にあるのれんをくぐる。


「あ、ビルさん!」


 我を出迎えたのは、召喚者の女――美鈴と言う名らしい――だった。


「ありがとうございます。お母さんも外国人を雇うのはどうなんだろうって心配してたけど、いまではとっても喜んでます。真面目に働いてくれるって」


「ソレハ ヨカタネ。ワタシ、ウレシイ」


「もー、私の前では普通にしゃべっていいんですってば」


 ここで働き始めてから、もう二か月が経つ。

 はじめは慣れなかったが、労働というのもなかなか気持ちがよい。


 それにこの店に漂う瘴気の居心地のよさといったらどうだ――

 くさや専門店。おそらく呪いのアイテムの販売所なのだろう。


 ある意味でこれほど我にとって働きやすい場所もない。

 人間のわがままを聞くのにもうんざりしていたところだ。

 しばらくはここにいてもバチはあたらないだろう。


 美鈴がほほ笑む。


「これからもよろしくね、ビルさん!」


「ハイ ヨロシクオネガイシマス」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る