ジャックという男

その男を見つけたのは、3件目の居酒屋をまわった時だった。


「おい、ジャック!お前酒を頼むのはいいが、ちゃんと払えるんだろうな?」

「あぁ?うるせぇなぁ。ハロウィーンの日くらい思う存分飲んだっていいだろ。いいから酒のおかわりもってこいよ」

「お前は年がら年中飲んだくれてるじゃねぇか。ま、鍛冶屋の方の稼ぎだろうと、お得意のペテンだろうと、払うもん払ってくれりゃそれでいいけどよ」

「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇぞ。俺は別に騙そうと思って騙してるわけじゃない。勝手に皆が騙されてるんだ」

「どうだか…」

「いいから、はやく酒持ってこい!」


ジャックという名前が聞こえて、赤い瞳の悪魔は、そっと店の中を窓越しに様子を伺った。


たくさんの酒瓶が机の上や下に転がっている。その空き瓶に囲まれた男は、不機嫌そうな表情で手にしたジョッキを傾け、中から一滴も酒が落ちてこないことに舌打ちをしている。


名前といい、会話の内容といい、この男がジャックで間違いない。

魂だって穢れきっている。

さぞかし多くの悪事をはたらいてきたのだろう。人々の恨みもいたるところから買っているのが一目でわかった。


赤い瞳の悪魔はすぅっと壁をすり抜けてジャックのもとへ降り立った。

そして、ジャックにだけ姿が見えるようにして、彼に話しかけた。


「こんばんは、とてもいい夜ね。ジャック」

「…あぁ?」


赤い瞳の悪魔の呼びかけに、ジャックは顔をあげた。

ジャックの顔を見て、赤い瞳の悪魔はおや、と目を瞬かせた。

彼の穢れた魂にばかり気がいっていたが、近くで見てみるとジャックは人間にしては容姿が整っている。

この地方独特の白い肌、長い手足、小さい顔には形のよい耳と高い鼻と薄い唇、凛々しい眉に深い緑色の目が2つ。かぼちゃのような橙に近い金髪は天然パーマのせいかふわふわと跳ねている。

ヴァンパイアのもとに連れて行けば、餌として捕食するより血を与えて下僕にした方が使い勝手があると思ってもらえるくらいには綺麗な顔だ。

折角見つけた獲物を他にやるなんて、そんなもったいないことはしないけれども。


もしかすると、知恵がまわるだけではなく、人を騙すような意地悪い顔をしていないから、つい彼の周囲の人間達は騙されてしまうのかもしれないわ。


これは気を引き締めなければ、とキリリとした表情で赤い瞳の悪魔はジャックを見下ろす。

ゆらゆらと蝙蝠の羽で宙に浮かぶ悪魔を見て、彼はぎょっとした表情を浮かべた。


「な、なんだお前!」

「見てのとおり、悪魔よ」

「悪魔だと!?」

「おい、騒がしいぞジャック!シードルでも飲んで大人しくしてな!」


驚愕するジャックのもとへ、店員が荒っぽく酒瓶を机に置いた。

ドン、と置かれた振動の拍子に空き瓶が数本、机の下へころころと転がる。

普段のジャックならば、シードルなんて甘い酒を盛ってきたことに癇癪を起こし、ウォッカやテキーラをすぐに持ってこさせようと怒鳴っていただろう。しかし、今は酒の種類に拘っている場合ではない。

目の前に悪魔がいるのだ。

それなのに、そのまま去ろうとする店員に対して、ジャックはガタリと立ちあがって呼び止めた。


「何平然としてるんだお前!悪魔がいるんだぞ!」

「悪魔だぁ?どこにそんなもんがいるんだよ」

「はぁ?目の前にいるだろうが。お前の目は節穴か」

「なんだと?人をおちょくるのもいい加減にしろ、ジャック」

「ハロウィーンだからな、悪魔がいるのはしょうがないさ!」

「俺達には見えないが、きっとジャックには見えてるんだろうさ!おお怖い怖い」


ジャックと店員のやりとりに、店内の酔っ払い達が野次を飛ばす。

ゲラゲラと品のない笑いが店内に響き渡った。


「無駄よ。彼らに私の姿は見えない。あなたにだけ姿が見えるようにしたのだから」


店員はとっくの昔に厨房に引っ込み、一通りジャックを嗤った酔っ払い達は、もう興味をなくしたのか、違う話題で盛り上がっている。

そんな彼らの様子に呆気に取られているジャックに対して、赤い瞳の悪魔は声をかけた。

赤い瞳の悪魔の言葉に、ジャックは彼女を見つめながらふらふらと椅子に崩れ落ちるようにして座った。

そして茫然自失のまま、店員が持ってきたシードルをジョッキに注がず瓶に直接口付けて、ぐびぐびと一気に飲み干した。

ぷはっと、息を漏らし空になったシードルの瓶を机の上に置く頃には、先ほどの同様は見られず、ジャックは深い緑の瞳で静かに赤い瞳の悪魔を見返した。


「…それで、この俺に何のようなんだい、悪魔さん」


先ほどの乱暴な口調と打って変わって、穏やかで紳士的な様子に赤い瞳の悪魔は内心驚く。

今まで悪戯してきた、穢れた魂の男は皆、乱暴な態度を崩さなかったり、これから起こる酷い未来に怯えて会話もできない様子だったり、稀に媚を売る人間ばかりだったのだ。こんな風になんでもない口調で会話を試みる人間は初めてだった。それも、先ほどまであれほど動揺していたというのに。


「あなたに悪戯をしに」

「悪戯?」

「具体的には、あなたの魂を貰いたいの」

「…魂だって?」

「そう。ジャック、貴方ほど純度の高い穢れた魂を持った男は珍しいわ」

「あぁ…。騙すつもりはないのに、何故だか俺の周囲の人は皆不幸になっているんだ。だからきっと俺の魂は人々の恨みによって穢れてしまっているんだろうね」


そして人を不幸にする自分の魂は穢れて当然だと言わんばかりに、ジャックは痛ましげな表情をした。

街の噂では、ジャックは悪意を持って人々を騙していたと言うのに、あくまで「不運な出来事の結果」だと言い張るつもりらしい。

しかし悲しげな表情や沈んだ口調、殊勝な雰囲気からつい「本当は望んでないのに結果的に人を騙すようになったのではないか?単に周囲の人間の逆恨みかも?」と思いそうになりそうだ。


「…ところで、そんな穢れきった俺の魂を刈取って、どうするつもりなんだい?かわいい悪魔さん」


ジャックの質問に、思わず赤い瞳の悪魔は聞き返してしまった。

今から命を奪おうとする相手に、その用途を聞く人間なんて今までいなかったのだ。悪魔間では暗黙の常識のため話しをしたことがないし、そもそも悪魔達はあまり会話をしない。

どうせ数秒後には死ぬのだし、少しだけこの奇特な人間との会話を続けてやるかと赤い瞳の悪魔は口を開いた。


「穢れた魂はそれなりに高く買い取ってもらえるの。純真な魂を持つ聖職者ほどではないけれど」

「買い取ってもらう?悪魔もお金を使って売買しているのか?つまり、お金を出してパンを買ったり…」

「いいえ、買い取ってもらうというのは比喩にすぎない。持ち帰った魂と引き換えに、力を与えてもらうの。そうして悪魔達は力をつけていく。魂の価値が高いほど、もらえる力も多いのよ」


その他、純真な魂を持つ者には赤い瞳の悪魔では手が出せないだとか、女子供は個人的な理由から狙えないだとか、色々理由はあるがそこは口にはしない。

ジャックに言った内容も、「穢れた魂」を狙う理由のひとつであるのは本当であるし、わざわざ手の内をさらす必要はないだろう。


「へぇ~なるほどね。確かに君はかわいらしい見た目で、あまり恐ろしい悪魔に見えない。これから力をつけていくために、価値の高い魂を売って効率よく稼ごうとしてるのか」


かわいいお嬢さん扱いに、赤い瞳の悪魔はぴくりと反応した。

自分のコンプレックスを刺激されたら言い返すのは、悪魔でも人間でも同じなのだ。


「見くびらないで。やろうと思えば、今すぐにでも貴方の魂を刈ることだってできるんだから。それに見た目だって、そのうちもっと人間を恐れさせるものになるわ。いつも私がするような短期間の変身ではなく、素の見た目がね!」

「おっと、怒らないでくれ。馬鹿にしたわけじゃないんだ。でも、せっかくのかわいらしい見た目が恐ろしいものに変わってしまうなんてもったいないね。どんな風になるのかな」

「…たくさん力をつけたら、ベルゼブブのように蝿のようになったり、アスタロトのように毒息を吐くようになるはず」


本当ところ、赤い瞳の悪魔だって力をつけたらその見た目まで変わるのかどうかは知らない。誰も教えてくれないので、彼女の願望を大いに含んでいる。

そもそも魂を買ってもらい、力らしきものを与えて貰っているが、本当に強くなっているのかも不明である。他の悪魔達の行動を見よう見真似してるだけなのだ。会話らしい会話なんてほとんどしないのだから、やってみて結果を待つしか真実はわからない。


「人間には関係のないことでしょ。特に、今から死ぬあなたには。さぁ、その穢れた魂を渡しなさい、ジャック」


話しを切り上げて、ビシッと指を差してそう言うと、ジャックは頷いた。


「色々教えてくれてありがとう、赤い瞳の悪魔さん。どうせ皆に恨まれてる俺は死んでも天国には行けないと思っていたんだ。こんな魂でも役に立つのならどうぞ」


これから殺されるとは思えないほど穏やかな調子でそう言ったジャックは、ただ、と言葉を続ける。


「1つだけお願いがあるんだ」

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