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 真壁は地下から非常階段を上がり、取調室の前へ足を運んだ。

「いい加減なことを言うな!写真を見ろ、写真を!」

 部屋の中から被疑者を一喝する刑事の怒号を聞きながら、真壁は取調室に隣にある小部屋のドアを開ける。案の定、知っている顔が部屋の中にいた。タバコを吸いながら、隅に置かれた机についている。

 落合諒介。以前、新宿西署で一緒に交番勤務したことがあり、今では本庁の組織犯罪対策部第四課の第八係に所属する警部補だった。片手のタバコの灰を机に広げた書類の上に落とし、落合は真壁の姿を一瞥した。

「よぉ、またノーネクタイでうろついてるな。逮捕するぞ」

 真壁は苦笑を浮かべた。昨日までの雨や雪で、手持ちのスーツの上下を全部濡らしてしまっていた。今はジーパンとセーターの上にゴアテックスのジャケットを羽織り、足元は登山用のブーツという恰好だった。

「取調、どんな様子ですか?」

「いまウチの木下係長と、所轄の刑事課長がやってる。テメエらの五係が言うほど簡単じゃないぞ、コレ」

 落合はそう吐き捨てるように言った。短くなったタバコを灰皿に押し潰す。

「お前こそ、どうした?池袋は片づいたのか?」

「ガイシャ、俺の知ってる奴なんです。それと・・・取調中にメシ食うような奴の言うことは聞かなくていいです」

「違いねえ」落合は気だるい笑い方をした。

 真壁はマジックミラーに近づき、取調室の様子を眺めた。被疑者が刑事から写真を見せつけられて、怒鳴られている。その顔は足元に向けたままだ。ジャージの上下を着た肩や腕はダルそうに垂れ、脚は貧乏ゆすりをしている。頭も感情も働いていない。それが被疑者に対する第一印象だった。

「組同士の抗争だという話を聞きましたが」

「どこにでも転がってる話だ。団地に吉河組の若頭が囲ってる女が住んでて、夜な夜な女の許に足を運ぶその若頭を藤枝組の鉄砲玉2人が襲ったっていう話だが、撃ち殺したのが赤の他人だったというね」

「ホシは2人組だったんでしょう?ガキの使いじゃあるまいし、2人そろって標的を見間違えるなんてあり得るんですか?」

「とにかくスッキリしないことばかり抜かしやがってな。そんな調書に、ハンコは押せないと係長は言ってる」

「調書、見せてください」

 落合は自分の肘の下になっていた調書数枚を投げるようにしてよこした。

 真壁は自首した万世会系藤枝組構成員の犯人2名の供述調書をめくり始めた。犯人の氏名は江崎佳彦と喜内忠司。江崎が今夜の銃撃事件の主犯。まず兄貴分とみられる江崎の供述から眼を通す。初めに本籍、住所、略歴、前歴などを述べた後、事件の顛末に移っている。

『・・・1月19日ぐらいです。時刻は午後五時半ごろだったと思います。歌舞伎町一丁目の組事務所で、喜内忠司と一緒にテレビを見ていたとき、懇意にしているある人物から電話がありました。その人物から「吉河組の高岡直哉が毎晩、下馬の都営団地に住んでいる女のところに行く」と聞いたのです・・・』

「ある人物というのは?」真壁が言った。

「黙秘」

『私は以前、高岡直哉に数回面を切られたことがあり、去年の9月には高岡の舎弟に江東区内のパチンコ店を荒らされたこともあって、個人的に恨んでいました。また高岡は8年前の藤枝組組長宅襲撃事件の主犯であり、3年前に高岡が出所したときから、機会があれば落とし前をつけさせようと心に決めていました。そこで1月20日から26日まで6日間、喜内と下馬の都営団地周辺で見張りを行いました。

 見張りは吉河組の連中と顔を合わせる恐れがあると考え、都道のコンビニのそばに車を停め、団地付近を徒歩で回りました。時間は午後7時から深夜零時前後でした。その結果、高岡が毎晩、午後10時ごろに黒っぽいジャンパーと、黒か濃紺のジーパンという格好で都道の方から団地に入っていく姿を確かめました。入っていくときも団地を出ていくときも、1人でした。高岡が団地から出てくるのは、私と喜内が確認した限りでは毎回、午前零時前後でした。高岡の女については、名前も顔も部屋も知りませんでした。

 これは誰かに命令されたものではなく、私と喜内が2人で決めたことで、手柄を立てたかったのです。』

「高岡の女というのは?」

「元グラビアアイドル。名前は秋山春奈」落合は大欠伸をしながら答えた。「たしかに、団地の43号棟に住んでる」

「事件当夜、その秋山はどこに?」

「部屋に独りでいたそうだ。無論、証人はいない。もっとも秋山は高岡とはこの1週間どころか、もう何年も会ってないと話したがな」

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