魔法陣

「空間転移のことを、私は召喚術と呼びたくないのだけど」

 バールの師匠はやる気に欠けた前置きを口にしながら、手にする杖の石突きで、地面を削って円陣を描き出す。

 それは事象召喚で見せた青く光る魔法円と違い、子どもの落書きに似た、文字や記号のない簡潔な仕上がりで、円の内側に三点の角を接する三角形が描かれている。

 そのすぐ隣にも同じ記号の円を描く。


「種類として召喚魔法に大別されているから、きっちり覚えなさいね」

 マクシミリアンは袂から一枚の金貨を出して、片方の円に落とす。

「こんな風に一から描いたものを魔法陣、描かずに展開するものを魔法円や召喚円と呼んでます」

 片手に持った杖を突く。

「円と違って陣は、特に手書きだとそっくりに見えても、厳密には同じにならないわ。転移は対で行うものだから、わずかでも誤差があると成立しない。そこで魔力を注いでこれを同位体だと思わせる。それが道になる」

「はあ」

 今度は自由に動いていいと言われて、バールはマクシミリアンの正面で、二つの円と術者の姿が眺められるくらいの距離をとっていた。

「〈転移〉」

 師匠の言は短く、発動もほぼ一瞬だった。

 地面に描いた円陣が魔力を帯びて青く光ると、金貨は形状を残して光に染まり、やがて青い炎が搔き消えるように消失し、隣の円陣に消失した過程を巻き戻すようにして現出する。

「もう一度」

 同じことを繰り返すと、金貨は元の円の中に戻った。

(手品みたい……)

 あまり魔法っぽい不思議さを感じない。


「以上よ。制限がかかっていない限り、双方向に働くわ。自ら連続で描いた魔法陣は紐付けが楽になり、これを遠く離れた場所に設定する場合や、片方を他人が描くなら、一方に魔力を注いだ時、対になる方も発動させる高度な呪式の魔法陣が必要になってくる。ただ魔法陣のいいところは、物理的に陣を崩さなければそのまま残ること」

 足元の魔法陣から金貨を拾い上げるついでに、踏み消しながらマクシミリアンは言った。

「師匠、魔法陣を消すのは簡単そうに見えますが!」

「まあまあまあ、そう思うなら思い切り、私に向かって走って来てごらん」

 バールから師匠までほんの三、四歩しか離れていない。

「え……」

「ぶつかるつもりで」

「オレが体当たりしたら、師匠、怪我しちゃいますよ」

「仕方ないでしょう、見せる為よ。やるのやらないの」

 相手に算段があったとしても、万が一ということもある。

「もうどうなっても、知りませんからね!?」

 距離が短いから初速のまま突っ込むことになる。

 バールは覚悟を決めて、えいっと地面を蹴った。


(うわ、足遅っ……)

 マクシミリアンがそんな感想を抱く。走る体勢フォームが率直に汚いと思う。

 並行してすでに魔法は発動中。詠唱なく、術者の足元に浮かんだ二枚の青い魔法円は、マクシミリアンの視線と杖の向きによって、指示通りの場所に顕現する。一枚は距離を殺して側面の壁へ、もう一枚がバールの正面に立ちはだかる。

「っ?」

 目の前に青く光る網目が迫る、それが魔法円だと悟った時には、目の前にいた師匠の姿がはるか遠い横からの姿になっていた。

 足が宙を掻いて、バールはべしゃりと自ら地面に身を投げ出す。


「うぅ、痛た……」

 払いきれない土を顔に残して、とぼとぼ師匠の元に歩いて戻る。

「どう、わかった?」

「オレがさっきの金貨みたいに移動したんですよね?……なんか、気持ち悪いです。頭がグラグラする」

「魔法円を使った即席の転移は、対象物にすこぉしだけ負荷がかかるのよ。空間酔い、時間酔いだとか言われるけど、実験で転移させたシャボン玉がわずかに薄くなったという結果が報告されてるから、存在が少し引かれているのかもしれないわね」

「ええぇぇえ」

「魔方陣のつくる道は、通過した後に閉じてから、着地点が開く仕組み。それに対して魔法円は、圧縮された一枚の壁に例えられるわ。時空の壁を生身で通る副作用よ」

 でも、とマクシミリアンは言い添える。

「魔方陣と違い場所を選ばず、空中にも固定できる」

「す、すごく便利じゃないですか」

「あんた最初になんて言ったか、覚えてる?」

 どの最初のことだろう、バールはそもそも自分が金貨の代わりにされたきっかけを考えてみる。

「『魔方陣を消すのは簡単そう』」

「魔法円は跡形も残ってないでしょ。発動の度に一から構築しなければならない。持ち時間も短くて、魔術士一人の力では、一回に一個体を通過させるのがせいぜいよ」

「もしオレが通過した直後に円の中に戻ろうとしたら?」

「すでに通過できる強度を維持してないと思うわ」

「じゃあ、通過に時間がかかったり、通過してる途中で足を止めたら、どうなるんですか?」

「その場合、魔法円は消えないけれど…」

「え?」

「よくそんなこと思いつくわね」

「だって」

 気になってしまったのだから、しょうがない。想像力のままバールは疑問を口にしただけだった。

「……術者の魔力を吸い上げたあと、発動を維持できなくなった魔法円は、対象物を吸い込んで消失。その行き先はわからないわ」

「……」

「忘れがちだけど、魔法ってね、解明されてない原理で働いてるのよ。魔力は火薬庫みたいなものだから、せめてわかっている扱い方は守りなさい」

 マクシミリアンの黒瞳の奥にある厳しさに、影が差したように見えた。

 師匠は魔法円のさまざまな作用を、実験を通して知ったのか、その場に立ち合ったのか、自ら行ったのか、どう知り得たのかとバールは初めて気にする。

 知識や報告を丸呑みせず、実際に試してみないと気の済まないたちの人だと思う。

 言葉の向こうにあるその影からは、痛みのようなものが感じられた。

 神妙な面持ちでいるバールに、きっぱりとマクシミリアンは口を開く。

「多用を避けること。副作用の心配よりも、懸念なのは魔力消費よ。対象物が大きかったり、転移の距離が遠いほどさらに魔力を使うし、精度も悪くなる。魔法陣の中には自動的に発動するものがあるけど、魔法円を使う即席転移の場合、必ず対象物を視認しなければならない。一度固定した円陣は動かせないから、回避されたら再び発動するしかない。乱発すれば魔力が尽きるのも早いわ。転移させることを目的に据えて、複数同時に展開されたら、対象物に逃げる手はなさそうだけれど」

「それは、さっきオレが魔法円に突っ込む直前に止まれてたら、転移させられなかった、ってことですか?」

「そう」

「足の踏み場もないほど、魔法円を展開された時は、どうするんですか?」

「そんな非効率な戦術もないと思うけど、囲まれる前に構わず術者を叩きなさい」

「円陣そのものを無効にすることはできないんですか? 魔法陣みたいに」

「物理的には無理。触れたところから転移されるわ。魔法円は移動する物体ではないから、それ同士をぶつけるという芸当も不可能」

 なるほど、と小難しい顔でバールは頷く。

「悪いけど、魔法円も召喚円もそんなに簡単に使えるようにならないから」

「な、せっかく、便利そうなのに?」

「労働に勝る価値なしよ。疲れは取れたわね?」

「うおぉ、容赦ない」

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