デススター

 バールの師の姿は、輪郭が滲むように光っていたが、そういう魔法で暗い所を歩いて来たのか、と思った。

 その代わりに龕灯カンテラを持っていなかった。


「ついていらっしゃい」

 師は言って、歩き出す。

 後に従うバールを、ミンシカの声が止めた。


『ダメよ、バール、鏡よ』


 鏡はマクシミリアンが歩いて行くのとは、逆の方向にある。

 声だけのミンシカに従うべきか、このまま師匠に従うべきか。


「あの師匠、オレ、吸魂の書をまだ回収していません」

「いいのよ、それはそのままで」

 バールはじり、と後ずさった。

 マクシミリアンが足を止める。

「あの本を移動させたのは師匠でしょう? それを元の場所に戻して、そのままなんですよ」

「だから、元の場所に戻してありがとうって言ってるんじゃない」

 その瞬間、バールは背を向けて走り出した。


 数歩の距離がやけに遠く、背後で膨らむ禍々しい気配に、毛穴からどっと汗が吹き出る。


 闇の中、本棚の感触と記憶だけを頼りに、端までたどり着いた時、白い冷気を帯びたもやもまた、バールの体を捕らえていた。


(寒っ!!)


 伸ばした指は吸魂の書の背表紙を、僅かに引っ掻くばかり。


 呼吸をひとつするだけで、体温よりも、生命力を吸い取られ、力が抜けていく感じがする。


 ゆっくりとしか動けぬ首を、巡らせると、大きな姿見に、暗がりに慣れた目が自分の姿を映した。


(オレしか映ってない…)


 もう師匠でも、まして人でもないものが、おんおんと呪詛を吐く。

『器となり、うつろとなり、その身を捧げよ』

『生者のこころね』

『我らをくびきから解き放て』


 なんか増えてる。


(鏡で正体が見破れても、退けられないんじゃ意味ないよ)


 ミンシカなら無事だろう、と思った。


 喋る気力が薄れていく。声を出した途端、口から何かが入って来そうだった。それでも最後にひと声くらいなら出せそうだ。


(ダメ元で知ってる呪文を唱えるんだ。火も水もダメなら、縮地移動しかないけど………………スベったらどうしよう)


 取り返しがつかなくなるというだけの、簡単な話しである。

 しかし、バールには重要なことだった。短いとはいえ、人生の最後にスベって終わるのか、スベっても死力を尽くしたといえるのか。


 何もしなくても結果が同じなら、スベった分だけスベり損になる。

 そしてバールには、たっぷり失敗する自信があった。

(……やめておこう……)


 周囲に集まった、生前人であっただろう、実体のない怨念––––死霊の数は、結構な量に膨れ上がっていた。


 死霊越しに霞む鏡の中に、レオン・マクシミリアンの姿が


 暗闇に静かな声が響き渡る。


「 〈鍵〉よ 」


 龕灯の代わりに手には杖がある。

 声に従って杖にはめ込まれた石が輝きを帯びていった。


「 我が声をもって〈鍵〉となれ––––省略 」


 それは力ある言葉ではなく、力ある


 やや投げやりながら、魔術が編み上がっていく。


「 その名は〈死球デススター〉 」


 極小規模の範囲に変化が起こり、唐突に黒い球体が空中に現れる。


 大人の握りこぶしほどの、高速で回転している球は、バールの周囲に群れをなす、半透明の死霊だけを、亡者の叫び声とともに吸い込んでいった。

 その叫び声はバールの弱った精神を逆撫でていく。


 カツンンン


 杖が硬い床にふり降ろされるのと、最後の死霊が吸い込まれて消えるのが同時で、音とともに〈死球〉は姿を消した。


 どうっっ


 直後、バーレイ・アレクシアの衰弱した体は音を立ててぶっ倒れた。

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