吸魂の書〈インキュベーター〉

 人物に見立てた三つの石を、想定した地形、あるいはマス目の数に従って動かす。

 バール(石)は山と川を越えた。後からミンシカ(石)が山を一つ越えた。更に後から二人を追って来た司書(石)が山と川を越え、バール(石)が一つ戻った。

 さぁ、それぞれの石の位置はどうなったか。

 出題者は説明をしながら石を動かす。

 挑戦者は目を閉じて、最終的な石の配置を答える。

 動かす回数を増やすほど、難易度は上がっていく。


「くっ…悔しいぃぃぃっ」

 ミンシカは地面に両拳を振り下ろして敗北宣言中。

「2ターン目までは互角だったのにっ」

「勝負は3ターンからだよね」

 石の移動は七回目からが面白い。

 暇つぶしにしかならない遊戯で、バールは無意味に圧勝していた。

「今何時だろう。そろそろオレ帰らないと」

「何よ、このまま帰っていいと思ってるの?」

「また遊びに来るって」

「あたしが勝つまで勝負するのっ」

「困ったなあー」

 バールは立ち上がった。

「本を見つけないといけないし、ちょっと休憩しよう。ミンシカはどうする?」

「本が見つかるまで待っててあげる」

「……ありがとう」

 バールはゴソゴソと服を探って、乾燥した果実の入った袋を取り出した。

「干し杏子、美味しいよ。ちょっと便所行って来るから、食べて待ってて」

 ミンシカは丁寧に縫われた巾着を受け取って、手触りを確かめた。


 体内時計では夕飯時になっている。

 かざした龕灯カンテラの魔晶石が本の背表紙を照らす。

「ここの本て借りて行っていいのかな?」

 バールが見つけた本を膝の上に開きながら、ミンシカは杏子をむぐむぐ食べていた。

「知らない」

「ええー」

「持ってく人が多いわよ」

「そうなの? 後で入口の管理官さんに確認すればいいか」

 あー、とバールは別のことに思い当たって声を出した。

吸魂の書インキュベーターを抜いて来なかったってバレる」

「?なぁに、それ」

「死霊術の本棚にそういう本があって、オレには必要ないんだけど、危険な本だからここに置いといちゃいけないらしいんだ」

「バールは魔法が使えないのに、危険な本に立ち向かうの?」

「……魔法が使えたら、危険な本にも対抗できるものなんだろうか……」

 独り言のようにバールは呟いた。

「ねぇ、遅い。早くして」

「じゃあ、手伝ってよ」

「もうこの一冊でいいじゃない」

「あと二冊あるの。できれば全部読みたいし、三冊あった方が持ち出しできる可能性も高くなるから」

「じゃあ、これ全部食べていい?」

「いいけど、夜ご飯食べられなくなっちゃうよ?」

 バールは手を止めて、床に座っているミンシカの前に膝を着いた。

「ここから出られないのに、食べたり眠ったりする当てはあるの?」

 ミンシカはじっとバールを見返して、口を閉ざした。

「危険な本があっても、ミンシカは魔法があるから大丈夫ってこと? それとも火や水のようにここは安全だから、本に触れなければ危険はないとか条件があるのかな?」

「バールが心配してるのは、自分のことでしょ?」

「オレ一人なら自分が痛い目に遭うだけで済むけど、何も知らないとミンシカの足を引っ張ると思うよ」

「よくわからない」

 そっか、と言ってバールは少し笑った。

「地下にいるっていうだけで、息が詰まりそうだったのに、本まで見つけ出せたのはミンシカのお陰だよ」

 巾着袋をそのままに、バールは少女の手から本を引き取った。

「ミンシカ、明日もここにいる?」

「帰るの?」

 バールは答えずに、ミンシカが納得するのを待った。

「あたしと会ったことは、誰にも言わないと約束して」

「どうして?」

 ミンシカが顔を上げると、にぃと笑うバールの表情があった。

「何も教えてくれないのに、オレがそれを一方的に守らなくちゃいけない理由は?」

 ミンシカは頭を巡らせたが、おやつをもらい、礼を言われ、あとは去るのみのバールに対して、優位に立てる状況ではなかった。

「むむむむむむ」

 いつの間に立場が逆転した? 嫌味のないバールの声に、ミンシカは本日二度目の敗北を喫して、ただ呆然とするばかりだった。

(なにコイツ、なにコイツ、なにコイツっ)


「どーすればいいのよ!」

 急に声を張り上げたミンシカにバールは目を丸くした。

「一緒に吸魂の書インキュベーターを探しに行こう。他の質問は歩きながらだね」

「明日もおやつ持って来なさいよ!」

「いいけど、太らない?」

 ミンシカは立ち上がると、無言でバールを蹴りつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る