第三夜

021 長い夢

今宵はやけに不思議な夜だった。


仕事終わり、俺はいつものように大衆食堂『うなぎのねどこ』で一人晩酌をしていた。酒を飲むと嫌な事は全部忘れられる。もうどれぐらい飲んだか憶えてもいないが、今日の酔いは特段気持ちの良いもんだった。からだがふっと軽くなって、俺に降り掛かる総ての重力や重圧なんかを取っ払ってくれるような、深い海の中に落ちていくような、そういう感覚。そうだ。目が醒める頃には、どこか違う世界に行けたら良いのに。そんな事を思いながら勘定の為、席を立った。


ぐらっと視界が歪んで俺は思わず膝をついた。いかん。ちぃと飲みすぎたな。焦点が合わず、立ち眩みのように目の前がぼやける。やけに静かだな。目を凝らして店の中を見回したがそこには誰も居なかった。ああ俺も遂にアルコール中毒にでもなったかな。これは幻覚か、それとも夢か。でもタダで酒が飲めたなら、それはそれで、ツいている。俺は誰もいなくなった店を後にした。


 それからというものは、本当に不思議なもんだった。二号線で着ぐるみパレード集団からのリンチに遭う。だが今日の俺はいつもとは違った。これは夢。夢の中なら、きっと俺は無敵で、最強で、こんな連中するりと避けてボコボコにしてやれる。着ぐるみ達に取り押さえられる中、俺は一人、願った。それはまるで魔法だった。酔いに任せて、願うままに身体は勝手に動いた。ジムにも通っていない普段運動もろくにしていない中年の俺が、瞬きする間もなく降り掛かる着ぐるみの群れを薙ぎ倒したのだ。これは幻覚か、それとも夢か。もはやそんなのはどちらだって良かった。今日の酔いは特段気持ちの良いもんだった。


「おい寝るな八鹿! スピカも何とか言ってやってくれよ!」

「では、先程そこに置いてあったワインをどうぞ」

「それは店のだ、レジを通せ、レジを!」


 それにしても、長い夢だな。ついに俺は友達までも生み出してしまったのか。幻覚だ。寂しさからか。孤独からなのか。だけど友達を生み出すたって、もうちょっとマシな構成にも出来たろうに。女子高生に、コンビニの店員に、ロリータ少女に、小学六年生。てんでばらばらな個性派メンバー。


でも、ああ、なんだか楽しいから、もうずっとこのままだって良いな。自分の思い通りにこの世界を動かせて、辛い事も、悲しい事も、二度と起きないってんなら、俺の創造したお友達と一生、夢の中に生きるのだって、悪かない。


***


 もうどれぐらいの時間が流れただろう。酔いはまだ醒めないでいた。長い長いその夜は、果ての無い地平線のように、いつまで経ってもどこまで行っても続いていた。あれから俺達スターゲイザーは、幾度となくステラと対峙し、多くの悲しい魂を夜空に還した。


ロクネンのオリジナルラジオ「オールナイトしおかぜ」による優秀な実況バックアップのおかげで、誰も大きな怪我を負うことなく、なんとかここまでやり過ごして来た。


木津は相変わらず怖いものが苦手だけど的中率は上がってきたし、みずたまはポコポコともぐら叩きのようなヘンテコな構え方でそれでも確実に傘捌きが上達したし、俺も酔いが深くなれば深くなる程身体がまるで自分の物じゃないように軽くしなやかに動いたし、ロクネンのステラ討伐打ち上げパーティの準備は更に凝ったもんになっていた。もちろんその度に年長者の俺の財布から万札を木津がむしり取った。ああ、それから、もう一つ。あまり表情を変えなかったスピカが、本当に少しずつだけど、笑うようになってきた。


「それでは、ステラ討伐・スターゲイザー御一行様の生還を祝しましてぇ」

「かんぱーい!」


ステラには色んな形のものがいた。それは時に、商店街の洋服屋さんのマネキン集団だったり、手芸屋さんのキルト集団だったり、はたまたレンタルサイクルの自転車集団だったりもした。だけど、スピカの言う「魂の共鳴する」ステラはなかなか現れず、神様が一体何者なのか、どうやったらこの夜を終わらせる事ができるのか、重要な事は何も分からないまま、ただ徒に時間だけが流れていった。


「八鹿、また一曲やってよぉ」

「良か! 今宵は永ちゃんでしっとりめに“時間よ止まれ”聴いてくれ!」

「いやだからブラックジョーク止めろ!」


シラフの筈のみずたまとロクネンが、スピカをはさんで肩を組んで揺れながらしっとりとハミングする。木津が呆れた顔で、それでも優しく笑う。誰かが笑って、それは伝染するようにそれぞれに広がった。木津はブラックジョークだと言うが、本心だった。


これは幻覚か、それとも夢か。もはやそんなのはどちらだって良かった。こんなに寂しくない夜は初めてなんだ。いつまでも、どこまでも、続いてくれたって俺は構わない。


***


「あれ、おかしいなぁ」


いつものように監視カメラでステラの出没をチェックしていたロクネンが、目を凝らしながらパソコンを覗いていた。俺達は白ヒゲ危機一髪をする手を止めて画面を覗き込んだが、そこには閃光寺ロープウェイ乗り場の券売機が薄暗く映っていただけだった。


「なんかあったのか?」

「うーん、さっき何かが通り過ぎた気がするんだよねぇ。でもステラならいつもみたく集団で現れるだろうし、気のせいかなぁ」


ロクネンはパソコンの画面を拡大してまじまじと見た。何度見ても、やはりそこには何も映ってはいない。みずたまがあくびをしながら剣を刺した樽から海賊がぴょこんと飛び出した。それと同時に、白いレースを揺らしてスピカが立ち上がった。何事かと思い俺達はスピカを見上げる。スピカは背筋をピンと伸ばし、久方ぶりにあの台詞を口にした。


「強い魂の共鳴を感じます!」


だらけ切ったラウンジの空気が一気に引き締まる。俺達はそれぞれの顔を見合わせて固唾を呑んだ。あのレグルスみたいに、また強い負の感情を持ったステラがこの街に潜んでいると言うのだ。レグルスよりももっと強敵かもしれない。俺は八鹿をラウンジに置き、より度数の強い麦焼酎を煽るように流し込んだ。

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