第7話 これがサプライズ

「――人間を生産するために自然生殖を用いるのは非効率的とも言えます。

 まず、生殖能力のある男性と女性が性交しなくてはなりません。そして、女性は妊娠により長い間不都合を強いられ、リスクを背負うことになります。そのため、現在人間を生産するのは試験管生殖が主流です。

 試験管生殖が主流となった理由は主に二つです。一つは、女性の出産によるリスクを防止して社会進出のため。もう一つは、自殺者の増加によりこれまでの自然生殖では人口を維持できなかったからです。」


 禿頭の教授は抑揚のない声で淡々と話し続ける。また一段と受講者の減った講堂に教授の声が寒々しく響き、壁面に消えていった。


 兄は手元のレジュメの文字列を目でなぞってから大きく欠伸をする。


「とは言うものの、自然生殖がなくなる訳ではありません。試験管培養された人間と自然生殖で産まれた人間を比べると、その自殺率に有意な差が存在しているため、政府は自然生殖を積極的に奨励しています。たとえば学生結婚した夫婦への補助ですね。また、子供を出産した夫婦の自殺率も低下するとのデータも存在します。

 次のレポートでは、何故自然生殖によって産まれた人間の自殺率が低いのかを検討してもらいますので、皆さんきちんと勉強してきてください。」


 教授の言葉が講堂に小さなざわめきを生む。それは生徒によるささやかな反抗であったが、それは溜息を吐くようにすぐに収まった。


 教授はレポートの提出日を黒板に記してから講義を終了する。


「ね、今日の講義面白かったね。」


 さっそくホワイトチョコレートな笑みをした彼女が兄に寄ってくる。


「そう? 別にいつもどおり単調だったと思ったけど。眠くてしょうがなかったよ。」

「あー、うん。教授はいつもどおりだった。だけど私は面白いなって感じたの。」

「それは講義が面白いんじゃなくて、君が面白いんじゃないの?」

「なるほど、それは一概に否定できない。」


 彼女は黒髪の毛先をくるくるといじりながら尋ねる。


「あのさ、これから暇?」

「暇だけど。」

「じゃあさ、来てほしいところがあるんだ。いいかな?」

「いいよ。」


 彼女はミルクチョコレートなキスをしてから、ありがとうと囁く。


「きっと驚くよ。とっておきのサプライズがあるんだ。」




 二人は電車を乗り継ぐ。途中で飛びこみ自殺があったせいで電車が一度停止してしまったが、三十分遅れで目的の駅に到着する。


 彼女は兄を連れた駅前から続く商店街にあるスーパーマーケットに入った。牛の死体。鯖の死体。南瓜の残骸。スーパーマーケットには色々な死体や残骸が並べられている。


「あのさ、来てほしいところってスーパーなわけないよね。」

「実はそうなの。ここのスーパーは品揃えもいいし安いから君にお勧めしたかったの。って言ったらどうする?」

「いくら良くても電車賃含めれば明らかに赤字だから無理。って言う。」

「ですよねー。」


 彼女は笑いながら玉葱のつまった袋を手に取る。


「だいたいここの駅って君の家の近くだろ?」

「おお、よく覚えてるね。お姉さん感激だよ。」

「そりゃ何度かお邪魔したからね。」

 

 兄が嗜虐的な笑みを作る。


「なに、今日はお泊りして二人でサルでもなろうってこと?」

「サルになりたいの?」

「一概に否定できない。」

「真似するな貴様。」


 彼女の玉葱アタックが兄の腹に当たる。ごふっと兄の口から空気が漏れる。カートの買い物かごに入れた玉葱は人間の生首のようにごろりと転がる。


「今日はうちに来て欲しかったの。それで晩御飯一緒に作ろうよ。」

「それがサプライズ? 起きたら妹が朝食を作ってくれたときくらい驚いたよ。」

「全然驚いてないじゃん。妹ちゃんが毎朝大好きなお兄様のために朝食を用意してくれるって前に言ってたじゃん。」

「おお、よく覚えてるね。お兄さん感激だよ。」

「真似するな貴様。」


 彼女の家族はかなり珍しい。彼女と両親は血縁があるのだ。つまり、彼女の両親は彼女を産むまでの二十年近くを自殺しないで生きぬき、彼女が産まれてからの二十年近くを自殺しないで生きていることになる。そんな家族は彼女の家族しか兄は知らない。


「今日は両親の結婚記念日なんだよね。だから料理でも作ってあげようかと思って。」

「僕じゃなくて両親にサプライズってことかい? 参った。これには僕も驚いたよ。」

「もう、そんなにサプライズを根に持たないでよ。ほらあれ、両親に料理を作りつつ、君を両親に紹介するという壮大なオペレーションなんだから。」

「恋人を親に紹介とかずいぶんと古風だね。」


 役所が遺族の寄せ集めを家族の枠に押しこめる現代において家族のつながりなどあってないに等しい。家族の一人が結婚すれば、それは自殺したのと同じように家族から消えるだけだ。




 彼女の両親との晩餐は怒声や舌打ちが響くこともなく、ほのかな緊張と朗らかな笑い声のあるものとなった。


「とうとうこの子も恋人を連れてくるようになったんだなあ。」


 彼女の父親がどこか視線を遠くにやる。その目の前の皿にある豚の死体と牛の死体のミンチに鶏卵や玉葱などを加えて弄びフライパンで加熱処理され、一般的にハンバーグと呼ばれる肉塊が痴呆老人の涙のような肉汁を滴らせている。


「正直なところ、僕もこうして挨拶に向かう日が来るとは思ってませんでした。」

「まあ、そうよねえ。」


 彼女の母親が相槌をうつ。


「でもこっちに来てもらったのだし、やっぱりあなたのお家にも娘が行ったほうがいいのかしら。」

「もう何度か妹ちゃんには会ったことがあるよ。」

「妹がいるの。」

「そう。血はつながってないけど、可愛くて、健気で、しかもとっても仲がいい子が。もう嫉妬するレベル。」

「そんな立派なのじゃないと思うけど。」

「君がそう思いたいだけだよ。」


 彼女は赤ワインを口に含める。ワインは兄の静脈を流れる血液と同じ色をしていた。


「でさ、どう? 今日は驚いた?」


 彼女の両親が笑い、頷く。


「それでね、実は三人に言っておきたいことがあるの。」

「僕にも?」

「うん。というか主に君に。」


 彼女は大きく息を吐いて、一拍の間を取る。


「私、妊娠した。」


 一瞬食卓に沈黙が落ち、そしてすぐに彼女の両親の歓声が湧く。両親の祝福に笑顔で応えてから、彼女はまだ何も言ってくれない兄の頬をつつく。


「ちょっと。お願いだから何か言ってよ。不安になるじゃない。」

「ああ、ごめん……。流石に驚きすぎて言葉が出てこなかった。」


 二人は気分次第で避妊具や経口避妊薬を使ったり使わなかったりしていたので、彼女が妊娠する可能性は十分に存在していた。しかしそれは兄の驚きを軽減する理由にはならなかった。


「そうか、これはあれか、僕が父親ってことか。」

「当たり前じゃん。疑ったらぶん殴るよ。」

「いや、疑ってない。ただ自分が親になるっていう途方もなさに現実感がないだけ。そうかあ、僕が父親かあ。」

「……嫌?」

「そんなことない。むしろ嬉しい。ありがとう。」

「よかった。そう言ってくれると思ったけど、言ってもらえてやっぱり嬉しい。サプライズ成功だね。」


 彼女は大きく息を吐いてから、ホワイトチョコレートな笑みを浮かべる。その笑みに見蕩れた兄は無意識に彼女の手を握る。


「あのさ。」

「なあに?」

「結婚しよう。」


 彼女が返事をする。


 食卓はもう一度両親の歓声に湧いた。

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