蝋燭心中 後

「よう、レン」


 ある冬休みの日、いつも通り自宅を出ると、もう二度と出会いたくなかった顔がそこにあった。


「シュウくん」

「来いよ。俺たちが遊んでやるからよ」


 シュウくんはぼくが学校に通っていたころ、ぼくをいじめていたうちの一人だ。多分、彼が主犯格だったのだと思う。そんな彼は何を考えているのか、取り巻きを数人連れて、にやにやしながらぼくを見下ろしていた。


 ついていけばどうせひどい目にあわせられる。ぼくは俯いたまま、彼らの横を通り過ぎようとした。シュウくんはそんなぼくの腕を掴んだ。


「おい無視かよ。折角オレたちが遊びに誘ってやってるのによー」

「いらない。あっち行ってよ」

「は? 生意気言ってんなよ。こっちは心配したセンセーに頼まれてわざわざ来てやってんだぞ」


 そう言うとシュウくんはぼくの足を蹴りつけた。周りの取り巻きたちもにやにや笑っている。


「痛いよ、やめてよ」

「ばーか、こんなのじゃれあいだろ」

「そうだぞ、ノリ悪いなお前」


 シュウくんは勢いよくぼくの腕を引っ張った。爪がぼくの腕に食い込んだ。


「ほら、来いよ。お前のために特別な遊び考えてやったんだ」

「痛い、痛いよ」

「いたいいたいってお前それだけしか言えないのかよー、はは!」

「はいはいレンくんは赤ちゃんでちゅからねー」

「赤ちゃんなんかじゃ……」


 いじめっ子たちを勢いよく見上げる。彼らは相変わらずぼくを見下ろして笑っている。ぼくは目を伏せた。


「分かったよ、一緒にいくから、離してよ」

「最初からそう言えばいいんだよ」

「俺たち友達だもんな、なっ?」


 シュウくんはぼくの肩を抱いて、そう言ってくる。ぼくは俯いたまま頷いた。


「じゃあ行こうぜ」

「プレゼントも用意してあるんだ、嬉しいだろ」


 シュウくんたちはぼくに背を向けて歩き出す。ぼくは踵を返すと、逆方向に全速力で走り始めた。


「あっ、おい! 逃げやがったあいつ!」

「レン、この待て!」







 息を切らして石段を上る。振り返ると、もうシュウくんたちは追いかけてきていないようだった。ぼくはいつも通り滑りそうになりながら小道へと進んでいった。


「シノさん」


 入口の戸を押し開ける。廃屋の奥にある古びた椅子。いつも通りシノさんはそこにいた。


 蝋でできた真っ白な肌。形の良い唇。ガラス玉のような瞳。長袖のセーラー服はちょうど手首を隠すほどの長さで、そこから伸びた作り物の指先がきれいに揃えられている。


 その姿を見て、ぼくはほっと息を吐いた。


「遅くなっちゃってごめんなさい。今日は……」


 事情を説明しようとしてぼくは口ごもった。シュウくんたちの顔が頭をよぎった。


「ううん、なんでもない」


 ぼくは顔を上げて笑った。そんなぼくにシノさんは何も聞かないでいてくれた。


「シノさん、寒くない?」


 大きく開いた襟が寒そうに見えて、ぼくはそう尋ねる。シノさんは何も答えなかったけれど、ぼくにはどうしても寒そうに見えた。


「そうだ、ぼくのマフラーあげるね」


 首に巻いていたマフラーをほどく。ほんの少し背伸びをしてぼくはシノさんの首にマフラーを巻き始めた。


 シノさんの真っ白な首を赤いマフラーが隠していく。ただそれだけのことにぼくはどきどきしていた。


「似合ってるよ、シノさん」


 シノさんは何も言わずに微笑んでいた。ぼくはシノさんの全身を見た。真っ赤なマフラー。白くて一本線の入った大きな襟。長袖のセーラー服。紺色の膝丈のスカートからはななめに揃えられた真っ白な足が生えている。靴下は黒色で、足に履いているのは黒い靴だ。


 ぼくは膝をついてシノさんの足にもたれかかった。


「シノさん、シノさん」


 何度も名前を呼ぶ。シノさんは何も言わずに微笑んでいる。








「へー、ここがお前の秘密基地か」


 振り返ると、開けっ放しになっていた入口にシュウくんたちが立っていた。ぼくは慌てて立ち上がってシノさんを庇った。


「シュウくん、なんで」

「お前をつけてきたに決まってんだろ。レンのくせにこんな秘密基地持ってるなんて生意気だぞ」


 シュウくんたちは大股でこちらに、シノさんに近づいてくる。ぼくは首を振った。


「だめだよ、来ないでよ!」

「は? 何お前、そこに何か隠してんの? 見せろよ、友達だろ」

「だめ! 来ないで!」


 どれだけ叫んでもシュウくんたちの足は止まらない。ぼくはやぶれかぶれになって、シュウくんたちに突進した。


「うーっ!」

「ははは、何だそれ。喧嘩の真似でちゅかー?」


 ぼくは逆に易々と押し倒されて、シュウくんの友達に地面に押さえつけられた。


「おーい、お前らそいつ押さえとけよ」

「おーう」

「離して、離してったら!」


 押さえつけてくる腕の下で、じたばたと手足をばたつかせる。

 だめだ。他の子にシノさんを見られちゃだめなんだ。シノさんと約束したんだ。だって、だってそんなことしたら、





「魔法が解けちゃうから――!」





「なんだこれ、人形?」

「きっめえ!」


 椅子の前に立ったシュウくんたちの目がシノさんを眺めまわす。シノさんは動かない。ぼくも動けない。


「なあ大切なものみたいだしさ、壊してやろうぜ」

「いいね」

「どうやって壊す?」

「んー、倒せばいいんじゃね?」

「オッケー。よーしいくぞー。せーの!」


 椅子からシノさんが蹴り落とされる。シュウくんたちはその上に飛び乗って、何度もシノさんを蹴った。地面に落ちたシノさんの肌は土で黒く汚れて、あんなに新品のようだった制服もぐちゃぐちゃになっていく。


 シノさんが壊れていく。ぼくのシノさんが壊れていく。


「なんだよ反応なしかよ」

「つっまんね、帰ろうぜ」


 倒れたままシノさんを見つめていると、シュウくんたちは飽きてしまったのか、ぼく一人を置いて、廃屋の外に出ていってしまった。


 わいわいと騒がしい声が遠ざかるのが聞こえる。赤色のマフラーが地面に落ちている。踏み荒らされたシノさんの体がそこかしこに転がっている。細い腕が、きれいな指が、柔らかそうな足が、まるで価値のないものかのように地面に落ちている。シノさんのガラス玉の瞳がぼくを見ている。笑顔の形のまま固まった唇が目の前にある。ぼくは立ち上がった。


 シノさんの欠片を拾い集める。一つの拾い忘れもないように、丁寧に拾っていく。拾った欠片は廃屋の片隅に捨ててあった古新聞紙で包んで、シノさんの体があった場所へと持っていった。


 燃えるためのものがあること。古新聞紙をシノさんにかけていく。

 溶かすための熱があること。ポケットの中のマッチ箱を探る。

 液体の蝋を吸収するものがあること。赤いマフラーでシノさんを包んだ。

 棒の方向を変えない。斜めに棒を持つ。手前から奥に擦る。


 シノさんに教えてもらった通りにマッチを擦る。ぼっと音を立てて炎が灯った。

 炎の灯ったマッチ棒を古新聞紙に近付けると、新聞紙は端から黒く変色していき、やがて大きな火柱となっていった。


 薄暗い廃屋の中に朱色の炎が燃え上がる。シノさんの体がどろどろに溶けて、崩れていく。マフラーがそんなシノさんを吸収する。新聞紙を燃やし尽くし、消えかけていた炎が、マフラーを中心に再び燃え上がった。


 炎が天井にまで達し、廃屋の壁を舐めていく。熱がぼくの肺に入ってくる。制服はもう跡形もなく燃えてしまって、熱を受けて溶けていくシノさんの体が露わになっている。ぼくは炎を見つめ続ける。シノさんが燃えている。蝋燭のように燃えている。ぼくは目を細めた。


「きれいだね、シノさん」

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