第5話

第5 話  1


 桃太郎グループは、子会社や孫会社も含めると数百社にまで及ぶ国内でも有数の企業グループだ。桃太郎の直系子孫と呼ばれる、僕の家系がグループの中心を担っている。

 長男の僕もいずれ、父親の後を継ぐことになる。幼い頃から、社交パーティーに連れていかれたのは、今思えばそうした大人の事情に因るところだろう。

 その日は父親の取引先の会社のご令嬢さんの結婚式だった。

 有名ホテルで、立食形式で行われた披露宴には、会社関係者のみならず、芸能界や政界など多岐に亘る職種の人間が居た。

 いつものように品良く、しかし子供らしさを残した笑みを浮かべて、会う人会う人に挨拶を交わした。

「さすがですね」「お子さんの将来が楽しみです」

 そうした賛辞に元気良く受け答えをする。最初は誇らしげに僕を紹介してくれる両親に舞い上がって、僕も精一杯いい子を演じてみせる。そして挨拶もそこそこに終わって、疲れが限界に達すると、大人の目を盗み、空いている部屋に逃げ込んで、僕はようやく息を吐けた。

 褒められるのは純粋に嬉しいけれど、どこか無理をしているのを感じてしまう。

 先を考えるととても憂鬱だった。

 大人になるにつれて、こうして隠れて息抜きするのは難しくなっていくだろう。要領よく出来なければ、僕は人前に立つような傑物にはなれない。

「お兄ちゃん、みーつけた」

 パーティがある度に、人に疲れて身を隠す僕を、桃子だけは上手に見つける。

 僕は桃子から目を逸らした。

 僕と桃子は幼少時から仲が良かったわけではなかった。

 むしろ、普通の、そこら辺にいる兄妹よりも仲は悪かったのではないだろうか。

 桃子は血肉を分けた兄妹とは思えないほど不器用だった。

 成績表で五が付いたこともなければ、運動会で活躍したこともない。ピアノの発表会ではピアノに辿りつく前に転んで弾けなかったこともある。

 一族からは恥さらしなんて揶揄もされたし、僕と比べて可哀想な子という声もあった。

 けれど、当の桃子は自分のことに必死で、周りの声に耳を傾けていないようだった。

 粗末な成績表を見せて、親をがっかりさせたくなくて泣いていたことも、どんなに頑張っても上達しなくて、先生を困らせてしまうのが嫌で習い事を辞めたことも、一番近くで見ていたからわかる。

「はい、オレンジジュース」

「……」

「いらない?」

 努力家なのも、人に気遣いの出来る優しいところがあるのも知っている。

 それでも、桃子のことを厭う理由は、僕の中にあった。

「……いらない」

 人よりも優秀で手のかからない僕と、誰よりも手のかかる桃子。

 僕は確かに桃太郎の子孫として、グループの後継者として期待されてはいたけれど、両親の愛は桃子に注がれているように見えた。

 けれどそれは、客観的に見たら変わらない。ただの嫉妬だということは疾うに知っていた。

「そっか」

 桃子は明らかにしょぼくれると、一度部屋を後にした。

 そして今度は両手いっぱいに色とりどりの風船を抱えてきた。

「風船のお兄さんがいて、作ってもらったの」

 桃子が差し出してきたのは、細長い風船をねじって別の形にする、バルーンアートの犬。

「お兄ちゃんにあげる」

「いらないってば」

「わんちゃんより、お花が良かった?」

「いらない!」

 手で払った風船は、ゆっくりと床に落ちた。

 さっきから堪えていた感情が、堰を切ったように溢れ出す。 

「なんで付きまとうんだよ!」

 その仕打ちに、桃子も目を見開いて固まっていた。

 それはそうだろう。いつも優しくて温厚な兄を演じていたのだから。桃子からしたら知り合いが突然他人になってしまったような衝撃ではなかろうか。

「……あっち行けよ。僕のこと、嫌いになったろ」

 言いながら、自分の行いに嫌気が差してくる。

 桃子も、僕に幻滅しているだろう。そう思って膝を抱えていると、桃子は横に腰を下ろした。 

「お兄ちゃんのこと、嫌いになんてならないよ。桃子のお兄ちゃんは、世界一のお兄ちゃんだもん」

 満面の笑みで、自信満々にそう言い切ってしまう桃子が、僕の目には眩しく映った。

 一回り小さな手が、僕の手に重なる。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ね?」

 根拠なんてないくせに。何を悩んでいるか知らないくせに。

 そうやって突っぱねてしまおうとしたけれど、不思議と心は穏やかになっていく。

「……うん」

 手に触れている手の熱が、全て溶かしていってしまったように思った。

 ――そうか。

 桃子が勉強も運動も苦手なように、僕にも苦手なものがある。

 人に本心を打ち明けられないこと。そして、その本心に蝕まれていること。

 補っていけばいいんだと思った。僕らは、兄妹なのだから。

 それから不思議と、隠れてまで息抜きをしなくても良くなって、桃子に苛つくこともなくなった。

 桃子が僕に僕らしさをくれる代わりに、僕は桃子を守ってあげよう。

 ――優しい君が傷つかないように。




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