第2話 5

「学校にカバン忘れていっただろ」

 カバンと聞いてやっと思い出すほど、その存在を忘れていた。

「先生、が持ってきてくれたのか」

「いいよ、『にーちゃん』で」

 オレは目を逸らした。

「……兄貴」

 にーちゃんなんて呼べる訳無いだろ。

 いくつになったと思ってるんだ。




 それから、暫く沈黙の中を二人でいた。あたたかいような、くすぐったくて、恥ずかしいような空気の中、兄貴はふっと笑った。

「大きくなったな」

「は?」

 久しぶりに会った親戚のようなことを言い出すから、オレは顔を上げた。高校生になってから、校内のどこかしらで顔を合わすのに、どうしてその一言が出てきたのか。

「この家を出てってから、けっこう経つんだな。初はまだこの椅子の背より小さかったのに、今じゃ椅子がだいぶ窮屈そうだ」

「……うるせぇな」

 兄貴が小さく笑う。そして、一瞬の沈黙。

「……なあ、初は憶えているか、オレの母さんが死んだときのこと」 

 おばさんの亡くなったとき。オレはまだ小学生だった。

 それでも、よく憶えている。島の重鎮たちが代わる代わる家に来て、おばさんの遺骨をこの島に埋めることに反対していた。

 兄貴は母親を失くした悲しみからか、何日も高熱を出し続けた。葬儀は密葬で行われて、親父とオレはおばさんの遺骨を納めに東京へ行った。

 ――オレは兄貴の問いに深く肯いた。

「母さんが死んで、ずっと高熱が続いて朦朧としてて、気付けば葬式が終わっていた。絶望したよ。オレ、母さんになんの恩も返してないくせに、葬式もしてあげられなかったのかって。

 でもな、帰ってきた初が、『東京はすごい人がいて、オレ達を鬼なんて気にしなかった』『いつか東京に行こう』って楽しそうに話してくれたのを聞いてて、救われたんだ」

 そんなことで? オレが首を傾げて不思議そうにしていると、兄貴は口許を緩めた。

「オレと母さんにとっては、ずっと付きまとっている問題だったからな。この世界には敵だらけなんだと思っていた」

 懐かしんでいるのだろう、眇められた目がそのままゆっくりと閉じられた。

「東京の大学行ったのも、初の言葉があったからだ。親父に、人生で初めて土下座までして行かせてもらった。圧倒されたよ。本当に色んな人間がそこに居たから」

 そして、閉じられたときと同じゆっくりとした速さで、開かれた目がオレを射抜いた。

 眼鏡の奥に強く輝く、オレと同じ金色の眼。

「あの時の初なら、桃子のことをどう思うんだろうな」



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