第七章 炎上

第34話 戦、前夜

 急ピッチで石積みの壁が作られてた。フォルト村の人々の多くは避難済みで、ハウスヴァルト侯爵の指揮のもと、急ごしらえの砦を建築中だった。

 いずれ攻めて来るであろうエルシオン軍への備えだった。

 国境の砦が破壊されたことで、今後はフォルト村がリンザールの最前線となる。王都へと続く街道沿いの村々でも戦の準備が急がれていた。

 ハウスヴァルト侯爵は腕を負傷していたがすこぶる元気で、次にアナスタージアに会う時までに必ずやエルシオンを倒してみせると息巻いていた。


 フォルト村にて、過日の戦いで使用した銃の修理や手入れの作業をしている兵士の中に、ラインベルガーの姿もあった。

 彼はエルシオンの間者となり、言いつけ通りにリンザールの地図を持ってエレバスに走ったが、その後素知らぬ顔で部隊に舞い戻っていたのだ。

 ラインベルガーは生来の不器用であり飽き性でもあり、丁寧な作業ができず注意されることがままあった。始めは素直に聞いていたラインベルガーだったが、次第に卑屈な態度で言い訳をするようになり、更に叱責されれば常軌を逸した態度で自分の正当性を喚きたてるようになっていた。大いにひんしゅくを買い、解放された直後は労わってくれた者たちも、今ではうんざりと冷たい視線を送っていた。


 ラインベルガーが仲間から一人離れて銃身をおざなりに磨いていると、一人の村人がやってきた。食事の支度や荷運びなどを手伝っている、フォルト村出身の軍の協力者が何人かいるのだ。ラインベルガーに近づいてきたのも、そんな村人の一人だった。

 「あんたにだ」と言って彼は手紙を投げてよこすと、さっと背を向けて去っていった。

 それを虚ろな目で睨みつけた後、ラインベルガーは物陰に移動して手紙を読んだ。そして緩み切っただらしない笑みを浮かべると、中に入っていた煙草を咥えると、急いで火をつけるのだった。

 大きく息を吸い込み煙を味わうと、どろりと瞳が淀んでゆく。


『今夜、村に火を放て』


 手紙にはそう書かれていた。

 やっとか、とラインベルガーは呟く。

 前回指示を受けてから準備万端整えていた。あとは、この決行の指示待つばかりだったのだ。

 簡単な仕事だと、ラインベルガーはヘラヘラと笑う。フォルト村にある武器庫を全て燃やせばいいだけだと。

 そのあとの事は、エルシオンが勝手にやるだろう。恐らく火の手が上がると同時に攻めて来るだろうから、とばっちりと喰らわないようにさっさと逃げなければならないなと、西の方角を見つめる。エルシオン軍はもうフォルト村近くまで来ているだろうから。


 煙草はあっという間に燃え尽きてしまった。

 途端に癇癪を起した駄々っ子のように足を踏み鳴らし、それからふらふらと歩きだした。

 一本では足りない。エルシオンの計略の胆は自分が握っているのだ。もっと貰って良いはずだと思う。

 手紙を持ってきた村人が作業している物置小屋へと向かっていた。その村人の真の姿は、ラインベルガーにエルシオンの指示を伝える連絡役であり、スペンサー司教が送り込んだ人間なのだ。

 あたりをキョロキョロと見回してから、小屋の扉をノックした。

 すると、険しい顔をした連絡役がぐいとラインベルガーを小屋に引きこんだ。そして扉を閉めると、思い切り彼を殴り倒した。


「ここに来るなと言っているだろう!」

「ひひひ、い、い、一本じゃ足り、足りないんだよぉ」

「……この屑が。この村に戻る時に四ダース渡されていただろう。一日二本までの約束だ。まだ残っているはずだろうが!」

「も、も、もう無くなっ、ちまってぇ。ひひひ。もう一本くれな、ないかなぁ。い、い、いいいぃち日、に、に、二本なんだ、ろう。く、くれよぉぉ」


 汚物を見る目で連絡役はラインベルガーを見下ろし、ペッと唾を吐いた。こんな男にやらせて大丈夫なのかと思う。

 しかし、身元確かなリンザールの貴族であるラインベルガーであるからこそ、嫌われつつも疑われることなく部隊に留まっていられるのだ。やはり実行は彼に任せるしかないのだろう。


「くれ、くれよぉぉ」


 自分は自分の役目を果たせばいいのだと、連絡役はため息をつく。そして鞄の中から煙草を一本取り出すと床に放り投げた。

 それを慌ててラインベルガーは拾い、すぐに火をつけた。


「俺は、今からここを出る。……ぬかるんじゃないぞ」

「わ、分かってるぅってぇ。成功すれば、また四ダースくれるんだろう?」

「俺は知らん。司教に聞くんだな」

「ああ、よ、四ダースだぁ……」


 心地よさげに煙を吐き、ラインベルガーはヘラヘラと笑った。すっかり酩酊状態が深くなり、濁った眼はもう何も見ていなかった。

 連絡役はさっと帽子とマントを羽織ると、ラインベルガーを残して小屋を出て行ったのだった。







 ダリオがエレバスから戻るのを、バルトロメオは待っていた。

 あれから二度手紙を書き配達させたが、アンナからの返信はなかった。

 どうしてアンナは手紙をくれないのか、何か手紙を出せない事情ができてしまったのか、もしや交際を諦めてしまったのだろうかと、バルトロメオの中に不安と焦りが泥のように溜まっていた。


 今日こそは手紙を持ちかえってくれるはずだと、バルトロメオは懸命に己に言い聞かせる。しかし今日も手紙が無かったら、もうじっとなどしていられないだろう。マクミラン子爵邸に出向くしかない。アンナに何があったのか分からないままでは、心がざわついてリンザール攻略にも支障がでるかもしれなかった。

 ダリオには、もしも手紙が無い時は子爵邸を探って、アンナが今どうしているのかを絶対に調べてくるように命じていた。なんなら、誰でもいいから使用人も買収して、アンナの情報をこちらに流させろとも言ってある。

 本当は、卑しく嗅ぎまわる犬のような真似はしたくはないのだ。知られれば幻滅されること間違いなしだと思う。だから、そのような事態にならず手紙を持ちかえってくることを祈りながら、バルトロメオはダリオの帰りを今か今かと待っているのだった。

 だがそうはいっても、いつまでも無制限で待っている訳にもいかない。

 作戦決行は今夜なのだから。


――アンナ、君は今何をしている……?


 バルトロメオは簡易の天幕から外に出て、夕日を眺めた。広い草原の向こう、丘を越えた先にある母国エルシオンに、真っ赤な夕日が沈んでゆく。

 赤はエルシオンの旗の色だ。守護女神を象徴する色だ。

 燃えるような真っ赤な太陽が、自分を勝利に導いてくれると、バルトロメオは小さく頷くのだった。


 キリリと頬を引き締める。アンナのことばかり考えてはいられない。

 ルイーザと腹の子のことも気がかりであるし、王の子を身籠っている妾妃に毒をもった輩を断罪せねばならない。これはまさしく反逆なのだから。自分が王都を留守にしている間に内紛に発展しはしないかと、焦りと苛立ちもある。

 そして、リンザールへの攻撃をこれから開始するのだから。



 今バルトロメオは、破壊した砦より更に東、つまりリンザールの領内に入っていた。夏に苦渋の飲まされた山越えの道の手前の林に潜んでいるのだ。

 バルトロメオは手にいれた地図を元に侵攻ルートを探り、この山を迂回して王都を目指すのが良いと判断した。その山を迂回する街道上にフォルト村がある。そこがリンザール軍との最初の刃を交えることになるだろう。敵方もそうと知っていて、軍備を備えている。

 フォルト村からは草原も丘も見えない。少々遠回りはしたが、村から見て山陰になる場所までくるのは難しいことではなかった。砦が無くなったおかげでもある。

 先行部隊は、更にフォルト村近くまで進んでいる。夜が更けて、村に火の手が上がったら作戦を開始する。


――ダリオはまだか……


 戦に集中しなければならないというのに、やはり気になってしまう。

 バルトロメオがバチス城にいる間に帰ってこれていれば良かったのだが、なかなか戻ってこず、彼の帰還を待たずに出立せねばならなかったことが悔やまれる。

 彼ならば、万難排して本隊との合流を目指すとは思うのだが、一旦戦闘が始まってしまったら、手紙の話どころではなくなるのだから。

 赤い夕陽が半分丘に隠れた。

 険しい表情を浮かべているバルトロメオに、騎兵中隊の隊長が恐る恐る語りかけてきた。


「陛下、ベルニーニ中将様に、一体何を探るようにお命じなっているのでしょうか。頻繁にエレバスに赴いていらっしゃるようですが。大事であるならば、私もお手伝い致したいと存じますが」

「いや、お前には別の仕事があるからよい……。今は言えぬが、直にカタはつく」


 ダリオに文通の手伝いをさせているとは、とてもではないが言えない。ムッと殊更に眉をしかめて答えると、中隊長はそれ以上は訊ねなかった。

 バルトロメオは目を逸らし、夕焼けを見つめるのだった。

 その時、待ちかねた声が聞こえた。くるりと振り返り、期待に目を輝かせる。


「陛下! 只今戻りました」


 ダリオだった。

 急いだのだろう、頬が紅潮し息も上がっていた。主君と目が合うと、にっこりと微笑んだ。


「ご苦労だった」


 家臣たちの注目を浴びている手前、手紙はあったかとすぐに聞けないのがまどろっこしい。少し休めと言って、ダリオを天幕誘導し人払いをした。


「お待たせいたしました」

「どうだった?」

「はい、これを」


 ダリオは内ポケットから手紙を取り出し、バルトロメオに差し出す。

 思わず、ああと歓喜の声を上げて受け取り、手紙をグッと胸に抱きしめるのだった。それはまるでアンナを抱きしめるように。胸のつかえがみるみるうちに解けてゆく。

 そして、封を切りながらダリオに尋ねる。


「一通だけなのか? ジョアンにもあったのか?」

「一通だけです。会いました。詳しいことは作戦終了後にお話ししますが、何もご心配はいりません。アンナ様は少々お風邪を召されていただけのようですから」

「分かった」


 逸る胸を抑えながら、手紙を取り出し視線を落とす。美しく優しい筆跡に胸を躍らせる。確かにアンナの字だ。

 手紙一つでこんなにも一喜一憂してしまうなんて、アンナに出会う前の自分には想像もできないことだなと思う。しかし、それを恥ずかしいとは思わない。

 アンナを恋い慕う思いは、バルトロメオにとっては何よりも尊いものだった。

 手紙に目を通し終わると、大切に懐にしまった。じっくりと何度も読み返したいが、それは戦いの後のお楽しみにとっておこう。

 憂鬱な顔が晴れやかに一変していた。


「ああ、やっとまともに息が吸える」

「ようございました」


 ダリオが苦笑しているが大して気にはならない。久しぶりに心が晴れたのだから。

 アンナの手紙の中にも、寝込んでいたが今はもう元気だから心配はないと書いてあった。愛想を尽かされたわけではなく、邪魔が入ったわけでもなく、自分の心配は杞憂だったと、心底ほっとしていたのだ。

 そして、キリリと頬を引き締める。


「さあ、行こうか!」

「はい!」


 出撃の準備に入るのだった。

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