第12話 ルビーのネックレス

 ダリオは懸命に馬を飛ばした甲斐あって、昼過ぎには王都の関所に到着することができた。

 王の側近として知られている彼は、通行証を見せるまでもなく通され、そこから先は落ち着いて美しく舗装された石畳の道を進んでゆくことができた。

 目当ての店は王宮にほど近い、高級店の立ち並ぶ一角にある。威風堂々たる王宮を正面に見つつ、ダリオは大通りを進んでいった。そして、主の言うようなネックレスを手に入れられるだろうかと、ダリオは溜息をつくのだった。

 程なくして店に到着した。貴人ばかりを相手にする宝石商の店は、一般の店とは違ってまるで貴族の邸宅のようだった。そして、商談用の部屋に通されたダリオは、また溜息をついた。


「なんて間の悪い……」


 宝石商の主人は、今、王宮にいると言うのだ。

 あろうことか、王妃シルヴァーナのお召しを受けて、目ぼしい宝飾品を数多く持って出かけて行った後だというのだ。石を飲み込んだ気分だ。

 試しに、バルトロメオの注文を店の者に伝え、残っているルビーのネックレスを持ってこさせたが、めがねに適うものは無かった。決して粗悪品などではないのだが、主が言うような、豪華すぎず上品かつシンプルな一点もののネックレス、には当てはまらなかったのだ。


――困ったな……せめて、二妃様か三妃様がお召しになったのなら、まだ呼び戻しやすかったのに……姉上では……


 王妃に召されている者を、中途で帰ってこさせる訳にもいかないし、第一バルトロメオが女の為にネックレスを所望していることを、姉に知らせたくはない。だが待っていても、宝石商がいつ戻るのかも知れないのだから、悩みどころだ。

 ダリオは眉間に深い皺をつくりながら、腕を組む。


――王宮へ行くか……。宝石商が、姉上の御前を辞したところで捕まえるとしよう……しかし、どの位待てるかが問題だな。


 夜を徹して馬を駆るのを覚悟したとしても、昼間のように走れはしない。できれば夕方までには、品物を手にしたいところだ。そうでなけば、明日の朝までにバルトロメオの待つバチス城に戻れない。

 宝石商がさっさと仕事を終えてくれるのを祈るばかりだ。かなり気は重たかったが、ダリオは王宮に向かうのだった。




 悪い予想は当たるもので、姉の住まう後宮の主殿の応接室で、ダリオは長々と待たされることとなった。王妃に自分の来訪を告げぬようにと侍女らを言い含めていたので、急かすこともできない。女の買い物に時間がかかるというのは、まこと貴賤にはよらぬらしい。

 ダリオは、宝石商が退室してくるのを今か今かと待っていたが、一向にその気配はなかった。それにネックレスを選ぶのに使う時間を考慮すれば、そろそろ待つのも限界だろう。バチス城に戻るのが遅れれば、バルトロメオの怒りを買うのは目に見えている。かと言って吟味もせずに選んだものを持ち帰っても、同じだろう。早く、良きネックレスを手に入れなければならない。


 如何にして、姉に何も知られないようにして宝石商を呼び出すか、色々と考えはしたが、妙案は浮かばなかった。国王バルトロメオと共に、エレバス教皇領にいるはずの自分が突然王宮に舞い戻り、しかも王妃である姉を差し置くような真似をすれば、一体何事であるかと訊ねないはずがないのだ。下手な言い訳など、聡い姉は一瞬で看破してしまうだろう。

 ダリオは隠し立て不可能と深いため息をつき、侍女を呼び王妃シルヴァーナへの取次ぎを命じた。程なくして入室の許可が下りると、ダリオの顏は更に翳ってしまうのだった。


 侍女に先導されて入室しニコリと微笑みかければ、首をかしげつつシルヴァーナも微笑んだ。

 美貌の姉の瞳に捉えられると、ダリオはいつも緊張してしまう。九つの年の差のせいもあるし、王妃という立場や凛とした佇まいに気圧されてしまうのだ。彼女の知的で意思の強い瞳に見つめられると、何もかもを見透かされているような気がして、落ち着かなくなる。

 だから、バルトロメオが彼女を苦手に思うのも分かるのだ。きっと王もシルヴァーナを前にすると、己を酷く矮小なものに感じてしまうのだろう。


 室内では、大きなテーブルにいくつもの宝飾品が並べられていた。それらを取り囲んだ侍女たちが捧げ持ち、これが良いだのあれが良いだのと、楽し気に王妃の試着の手伝いをしていた。

 どうやらこの買い物は、買うことだけが目的ではなく、美しい宝石で侍女たちの目を楽しませる遊びでもあったようだ。これでは、時間がかかるのも無理もない。

 弟とはいえ来客を招きいれつつも、侍女との遊びを続行しているあたり、いきなりの訪問に不快や疑問を持っているのだろう。じっとダリオを見つめ、自分の邪魔をしてまで、謁見を申し込んできた理由を言えと態度で示していた。

 ダリオは胃の辺りを軽く撫でながら、深く頭を下げた。


「お楽しみ中のところ、無粋な訪問を致しまして誠に申し訳ございません」

「いいのよ、ダリオ。貴方の方こそ、何か急ぎの御用があるのでしょう? 今日という日に私の所に来るなんて」


 ようやくシルヴァーナは、優雅な扇の動きで侍女たちを下がらせた。ピンと空気が張り詰める。

 ダリオはゾクリと震え、内心苦笑した。やはり、姉は知っていた。自分がエレバスに赴いていたことを。それが急遽戻ってきて、王妃である自分の元にやってきたという事は、火急の要件であると察しているのだ。

 宝石商も慌てて席を立とうとするので、ダリオはそれを首を振って制した。


「はい。バルトロメオ陛下のご命令にて、戻ってまいりました。この者を少々お借りしたいのですが、よろしいでしょうか」

「……陛下のお召しであれば、私に止めることなどできませんわ。どうぞ、お好きになさいな」


 宝石商はバルトロメオの名を聞いて、オロオロと目を泳がせ始めた。自分に何の用があるというのかと、酷く驚いた顔だ。

 シルヴァーナと言えば、自分ではなく宝石商に用があるのかと、ほんのりと苦笑を浮かべているばかりだった。


「テーブルの品をまとめてくれ。急ぎ店に戻るぞ……」


 ダリオが小声で宝石商につぶやくと、商人は即座に品物をまとめ始める。

 もう王妃はきっと、夫が他の女に宝飾品を贈るつもりなのだと、気付いているだろう。だからこそ、彼女の前で贈り物の物色するわけにはいかなかった。気が咎めて、ダリオは姉と宝石商から視線を逸らすばかりだった。

 素早く荷をまとめた宝石商を伴って、退出の挨拶をすると、シルヴァーナは訪れた時と変わらぬ微笑みを浮かべた。


「気に入っていただける、良い品があるといいわね」


 やっぱりか、とダリオは胆が冷える気がした。思わず見つめ返してしまった姉の目は、まるで氷のようだと思う。彼女の少し気だるげで落ち着いた声には、苛立ちも焦りもは感じられないのに、凍えた刃のようにダリオの胸を刺すのだ。

 姉が何を思っているのか、彼には分からなかった。よもや、夫の恋路を応援しようなどとは思うまい。しかし、好きにすればいいといった態度と取るのは、無関心ゆえなのか、諦念であるのか。それともやはり嫉妬であろうか。

 ダリオは一礼すると、もう姉の顔を見ることもなく部屋を出たのだった。

 そして宝石商の店に戻り、ほど良きルビーのネックレスを手に入れると、ダリオは急ぎバルトロメオのもとへと引き返したのだった。







「……ねえソフィア」


 シルヴァーナは、弟が去った後の扉を見つめながら呟いた。

 控えていた年かさの侍女が、さっと彼女のもとにやって来てひざまずいた。人払いしても特別に指示しない限り、彼女だけはいつも王妃の声の聞こえるところに控えているのが常だった。


「祭事や慶事でもなければ、陛下が贈り物をなさるなんて無かったわね。妾妃様たちにも、一度も」


 特に寂し気に言うわけでもなく、淡々と事実を口にしただけ、そんな口調だった。婚儀の折に王妃や妾妃に贈られた品々は、形式、儀式に則って侍従たちが検討の上、相応しいものを選んだだけのものである。バルトロメオ個人からの贈り物とは言いがたい。祭事の度にバルトロメオの名で、何かしら品が贈られてくるが、それも侍従が用意しているだけなのだ。

 王妃の呟きに、侍女は眉を寄せて俯いた。


「……あ、はい……」

「どんなお方なのかしらね。いつかお会いすることになるのでしょうけど……」


 侍女は思い切り眉をしかめたまま、顔を上げる。


「シルヴァーナ様。お父上であるベルニーニ侯爵様にお頼みしてはいかがでしょうか。これ以上、陛下が妾妃をお増やしならないように、侯爵様からご進言頂くようにお願いなさるのです。今すぐにでも……」

「あら、増やしたのは廷臣どもであって陛下ではないわ。それに、どうして増やしてはいけないのかしら」


 シルヴァーナの冴え凍る美貌は僅かにも歪むことなく、微笑みを浮かべている。


「……シルヴァーナ様」

「構わないわ。陛下がそのお方をお可愛がりになりたいのなら、そうさせて差し上げればよいのです。いくら妾妃が増えたとしても、私が王妃であることに変わりはないのだから」

「しかし、あまりにも寵愛が過ぎれば……ご無礼をお許しくださいまし……シルヴァーナ様を、王妃を廃してしまわれるやもしれず……」


 震える声で侍女はそう言った。主を案じて、悔し気に拳を握っている。

 まあと、小さな声を上げてシルヴァーナは扇で口元を隠した。そして、ほほほと笑いだす。


「ソフィア、それは杞憂よ。陛下にとって王妃とは、自分の妻ではなくエルシオン王国の妻という意味なのよ。わざわざ私を廃してまで、愛するお方を国に捧げるようなことは、決してなさらないわ」

「そんな……」

「良いのです。私は愛よりも、王妃であることを選んだのですから」

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