5-8

 ちょうどノインとセルジオが合流した頃。

 静かなアウルの店内で、二人の男が杯を交わしていた。だがその酒の席は決して陽気なものではなく、カウンターを挟んだ二人の間にはどこか重い空気が漂っていた。


「……俺ぁ、何やってんだろうな」


 カウンター席に座る男、ボスウィットは弱弱しく呟く。それを受けて答えるのは、フィデル。


「らしくないな」

「……俺は昔っからこんな男だよ」


 言って、ボスウィットはグラスを傾ける。


「……あの坊主は飛び出して行っちまったきりか?」

「そうだな。昼間、スキューアに戻ってみたが、あいつが帰ってきたような様子はなかった。さっき聞いた地図とやらが本当なら、今頃はそこに向かってんだろう。無茶な話だがよ」

「そんな心配なら、力づくで止めればよかったじゃないか」

「……こうなるとあいつは頑固だ。意地でも連中のとこに行っただろうよ。それにあいつの選んだことに、俺みたいな腰抜けが出張っても何にもならねぇさ」

「そうか。まぁ、お前さんがそう思ってるんなら、仕方ないな」


 フィデルも手元にあったグラスに口をつける。今日はノン・アルコールのカクテルらしいが。

 そしてボスウィットはさっきまでの話題から逃げるように話を変えた。


「……カリーナのこと、すまねぇことをした。俺がもっと気をつけとくべきだった」

「なんだ。あいつが死んだことにお前さんが関係してるのか?」

「……してなくもねぇ、ってとこかな」


 カリーナは自分が絡み、隠していた事情で死んだのだ。責任を感じずにはいられなかった。彼女が連中を嗅ぎまわっていることに、もう少し早く気付いていれば。

 無論気づいていたとて、彼女の性格を踏まえて考えると、止められたかは謎なのだが。


「……すまねぇ」


 ボスウィットは再びフィデルに謝罪する。

 フィデルはカリーナのことをよく面倒見ていたし、彼にとって彼女は実の娘同然のものであったろう。家族を失う辛さは、自分もよく知っている。当然、謝って済むようなことでないということも。そしてそんなフィデルにすら、真実を話せないということがボスウィットにはもどかしかった。下手に話せば、今度はフィデルの身に危険が及ぶかもしれない。

 しかしフィデルは事情を追及するでもなく、少し困ったような表情で返答した。


「まぁ……あんまり、気にするな」


 フィデルの言葉は少し歯切れが悪かった。

 複雑な気持ちなのだろうと思う。しかしそれでいて、細かく事情を確かめてこないフィデルの気遣いは今のボスウィットにとってはひどく心が痛むものだった。

 すると今度は、フィデルが話題を振ってきた。


「……あ、そうだ。ここにあった帽子、知らないか?」

「帽子?」

「ああ。坊主と一緒にお前さんが持ってきた帽子だ」


 そう言われて、ボスウィットには思い当るものがあった。

 その帽子とは、たぶんノインを助けた際に一緒に回収したリリのハンチング帽子のことであろう。そういえばここに預けたきり、持って帰っていなかった。


「カウンターに置いといたはずなんだが……無くなっててな」


 フィデルは顎をさすって思案する。

 しかしボスウィットは、帽子を持ち去った犯人に察しがついた。というか、彼しかいない。


(……ノインか)


 あれはあの少女が気に入っていたものだ。彼女の持ち物として、ノインはそれを彼女に返すつもりなのだ。わざわざ持っていく意味があるのかと思うが、ノインらしいといえばらしい。


「……大丈夫だ。たぶん、持ち主に返るさ」


 だがそこで、ボスウィットは自分で言ったその言葉に驚いた。

 そんな言葉が出たのは当然、ノインが少女を助けられるかもしれないと思ったからだ。

 根拠などどこにもない。さっきも言った通り無茶な話だし、連中に関わって無事で済むとも思えない。それでも、心の奥底ではノインの可能性を信じている自分がいた。


(あいつももう、一人前ってことか)


 今日交わした銃弾でも、それはわかる。

 しかし同時にこみ上げてくる、妙な寂しさはなんだろうか。子が巣立つ感覚とは、もしかしたらこんなものなのかもしれない。自分にはもう二度と感じ得ないものだと思っていたが。


 ――私たち、家族みたいだよね。


 それはいつしかソフィアが言っていた台詞。その時は他愛ない雑談として、ボスウィットもノインも聞き流していたのだが、案外、彼女の言う通りなのかもしれない。

 ただ、ボスウィットにとってその言葉は、少し切なかった。でも同時に、嬉しかった。気づいてくれなくていい。今のまま見守れるだけでいい。それだけで自分は確かに幸せだったのだ。

 そしていつの間にか、ノインも自分の息子のように思えていた。

 誰にも言ったことはないのだが。

 ――とそこで、ボスウィットは不意に立ち上がった。

 飲み代としてのゴルト紙幣をテーブルに置き、いつもの調子で言う。


「悪りぃ。今日は帰るわ」

「早いな」

「そうだな」


 だがその時、フィデルは自身のズボンのポケットから鍵――自分の車のキーを取り出してみせた。そして彼は、まるで面白いいたずらを思いついた子供のように口元を緩める。


「送ろう。カリーナの車を使わせておいてよかったよ」


 言いながら押し上げられたフィデルの銀縁の眼鏡が、店の照明を反射してきらりと光った。

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