五章 ラストブレット

5-1

 ある日、市政府本部の一室で行われていた会議が終わって、昼休みのこと。

 穏やかに日の光が満ちる本部の廊下を歩きながら、マクレーンは眉間にしわを寄せた。


(……むぅ……)


 難しい顔の原因は、レーツェル。三日ほど前から、彼との連絡が取れなくなっているのだ。例の女討伐屋の殺害報告は書面で上がってきたが、それもいつの間にかこちらのデスクに置かれていたもので、彼とは顔を合わせていない……運んできたのは、たぶん『あの男』なのだろう。

 そしてその報告書には、しばらく研究にかかりきりになるので連絡が取れなくなるかもしれないとの直筆のメモが添付されていたのである。


(いくらなんでも妙だ……)


 マクレーンはこの三日、一日に二度ほど彼のところに電話を入れているが、メモの言葉通り、彼は応じなかった。メモを信じるにしても、こんな音信不通は初めてであるし、さすがに何か手を打つべきではと思う。今更彼が地下から逃げ出したなどということはないだろうが、こちらが彼に行わせているいつもの実験もこの三日は一切行われていないようだし、唯一レーツェルのいる地下とこちらを結んでいたあの男――ロイ・ブラウンも所在不明という状況である。

 しかしレーツェルの動向を直接確認しようにも、今それは容易ではない。彼の監視のために設けられた地下通路は一週間前の事故で崩落しているのだが、関連した他の処理が長引いているせいで、その辺りのことはまだ放置したままなのだ。当然、地下通路に設置された映像撮影機や盗聴器の類も回収できていないため、今現在、自分は彼の行動を把握できていない。

 先のレーツェルの音信不通も含めて、このことはまだ誰にも言っていないが、このままではこちらの不手際が周囲にバレるのも時間の問題である。


(……くそ……こんなことなら事後処理なんぞ引き受けるんじゃなかった……)


 マクレーンはいっそう苦い顔をしながら、胸中で呻く。

 しかしこうなってしまっては、早急に自分がレーツェルの元へ赴くしかないと思えた。そもそもあの場所は気味が悪いので行きたくないのだが、背に腹は代えられない。ただ、そうする上での最大の問題は、機密保持のためにも自分一人で行かねばならないことだった。


(……どうする……)


 最悪、市政府が抱えている極秘任務用の特殊部隊を使えなくもないのだが、それはあくまで最終手段だ。事故直後に旧研究所へ赴く際には彼らを一度使ったが、当然事が大きくなるため、下手をすればこちらの行動が円卓に知られてしまう。それだけは絶対に避けたい。

 あれこれと言及されることもそうだが、メンツを保つために取った策に足を引っ張られ、また自分の不手際が出てきてしまったなど、間抜けすぎて耐えられるものではない。

 しかし、地下へのルートは崩落した地下通路か、ロイが行き来に使っているらしい旧研究所の陥没現場の穴からになる。訓練を受けたわけでもない素人が突破できるものなのだろうか。


(にしても、あの男はなんなんだ。何をしている……)


 ヨハン・レーツェル。

 彼は三十年前、市政府が遠方から呼び寄せた『ホロ・ファクト』の研究者だ。そしてロイは(今はレーツェルと決別しているらしいが)その助手だった男である。そしてその時から市政府は密かに彼らを囲い、当時の市政府ではどうにもできなかったこの街の地下にある遺物――『ホロ・ファクト』の研究を続けさせている。

 そしてある時、彼らの研究によってこの街のホロ・ファクトがどういうものであるか知った市政府は、当時行われていた街の拡張に一部変更を加え、今後地下施設の権限を全て彼らに与えるという条件もつけて、あの計画を提案したのである。対外的に市政府の姿勢を示すための組織を用意し、その所長に、レーツェルらの監視を行わせるようにしたうえで。


(それがもう、二十五年前か……)


 当時のことはマクレーンも詳しくは知らない。しかし結果として、レーツェルとロイはそれを受け入れた。そして彼らは、この街のホロ・ファクトをさらに熱心に解析して、優秀な『成果』を着々と築いたのである。

 しかしマクレーンは、最近ふと思うことがある。彼ら――特にレーツェルは、本当に市政府の協力者であるのだろうかと。


(……そもそも奴は何のために……なぜああも熱心に研究を続けているんだ……)


 それは、市政府の高官も――市長すらも知らないものだった。

 聞いたところで、彼は純粋な知識欲だというばかりなのだが、本当にそれだけなのだろうか。加えて、彼やロイの見た目は資料で確認する限り、全く衰えていない。この点も非常に不可解で不気味なものだ。

 しかし、市政府内で彼らのことを真に追求しようとするものは皆無だった。

 良くも悪くも、彼らはあれの研究に関しては優秀なのだ。皆、彼らなしに研究が進まないことは知っているし、今さら代役など容易に作れないことも知っている。故に、彼らがらみで何か行動を起こして、もしそのせいで市政府の『計画』が潰れてしまったら、当然その責任は言いだしっぺに降りかかってくる。

 だからこそ、巨大な組織計画の歯車は、一度回りだしたら簡単には止まらない。老いぬ彼らに底知れぬ何かを感じていても、誰もそれを止めない。咎めない。しかもロイに関しては、謎の高い戦闘力や生命力を公安で利用しているという状態だ。

 しかし、フラグメント所長としてレーツェル――今はロイもか――を監視するようになって、マクレーンは彼らを使うことの不安定さを心の奥底で感じていた。

 今のところは、機密保持のためもあって計画の中核を個人に依存する形になっているが、彼らの場合、それはとても危険な事なのではないか。

 もしかしたらこの街には、得体のしれぬ悪魔が取りついているのではないか、と。

 その感情は普段は鳴りを潜めているが、こうした時には一気に膨れ上がってくる。


(……いや、今まで大きな問題はなかったんだ。少なくとも、私の任期中に何か起こることなどないさ。大丈夫。大丈夫。……大丈夫なんだ)


 マクレーンは希望的な言葉で思考を埋めようとする。

 だがその表情は、日の光の差す穏やかなこの場所には、似つかわしくないままだった。

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