4-11

 ――それは五年前。時雨れた夜のことだった。

 その日の夜、ソフィアと、討伐屋になって一年になるノインは普段と変わらず、スキューアで合流した。雨が降っていたのですぐに仕事には出なかったが、夜には独特の地霧が発生し、魔法使いの出現条件は整っていた。

 そして、雨が小雨となった頃、ソフィアが、一時間ほど街に出ようと言い出したのだった。


「なぁ、まだ雨降ってんだし、わざわざ今出なくてもいいんじゃねーの?」


 ノインはスキューアのカウンター席で〈ギムレット〉のメンテナンスをしながらぼやいた。雨は気にするほどではなくなったが、夜の雨は冷たいし、仕事で出歩くとなれば傘など持っていられない。濡れるのは不快で面倒くさいし、ノインは非常に気が進まなかった。


「この程度の雨で文句言わない。それに、今月厳しいんでしょ?」


 答えるのはソフィア。

 ノインの隣に座る彼女は、メンテナンスを終えた銀のオートマチック、〈ベルベット〉を腰のホルスターにしまいながら、優しくもきびきびとした声音でノインの発言をたしなめる。


「そりゃそーだけど……」


 ソフィアの叱責にノインは口をとがらせる。

 しかし彼女の言うとおり、今、ノインの財布事情が厳しいのは事実であった。今月、ノインは不注意で〈ギムレット〉を破損させてしまっており、その修理費が存外高くついたのだ。修理そのものはいつものごとくボスウィット任せにしたのだが、いくつか部品の在庫がないとかで、足りない分は割高な専門店で買う羽目になった。これが手痛かった。

 それ故に、今月のノインはいつも以上に素寒貧だ。ソフィアの言う事ももっともである。

 しかしノインとしてはやはり気が乗らないでいた。


「まったく。銃の扱いも様になってきたと思ってたのに、そういうとこは変わらないんだから」

「悪かったな」


 ノインは彼女の視線から逃れるように〈ギムレット〉のチェックに戻る。


「つーか、お前は大丈夫なのかよ」

「何が?」

「昨日、魔法使いと戦った後、気分悪いって言ってたろ」

「ああ、大丈夫よ。いつものやつだから」


 言ってソフィアはひらひらと手を振る。

 彼女はこの頃、魔法使いとの戦闘後――特に血を酷く浴びた時に体調不良を訴えることが度々あった。本人は『魔法使い酔い』などと言って気にしていない様子だったが、ノインとしては少し心配である。

 するとそこで、奥に引っ込んでいたボスウィットが店舗スペースに戻ってきた。


「ん? 出るのか?」


 彼は手に持っていた弾丸ケースをカウンターの裏にしまいながら、二人に尋ねる。


「そ。一応雨降ってるし、一時間くらいね」


 と、ソフィア。


「今行かなくてもいいんじゃねぇのか? まだ雨止んでねぇし、風邪ひくぞ」

「……ノインと同じようなこと言わないでよ」


 ソフィアは呆れたように腰に手を当て、やれやれといった風にかぶりを振る。

 とそこで。


「うい、終わったぞ」


 銃のチェックが終わったノインは、ソフィアに準備完了を告げた。


「よーし。じゃ、行こ」


 言ってソフィアは、壁にかけてあった黒と灰色のロングコートを手に取り、灰色のコートをノインに放った。


「気ぃ付けてな」


 自分の忠告に意味はないのだと察したらしいボスウィットが、いつも通りの声をかける。

 やることは普段と変わらない。街中であの化け物を見つけ出し、殺すのだ。そしてペレットを回収する。ただそれだけである。

 そして二人の討伐屋は、それぞれ灰と黒のコートを纏ってスキューアを後にしたのだった。


 ◇ ◇ ◇

 

 二人はスキューアを出て、しばらく街を見回った。

 この数十分で雨脚はかなり弱まってきており、既に天候は大した問題ではなくなっていた。


「出てきて正解か」

「だから言ったでしょ」


 このまま雨が上がるなら、一時間と言わずこのまま仕事を継続した方がいいだろう。晴れてさえいれば、ノインとてやる気は出るのだ。

 そして二人が三番街と区画外の境界辺りに差し掛かった頃。

 前方の角から、黒い人影が姿を見せた。


「お」


 ノインがそれを見て声を上げる。が、今やそこに恐怖の感情はない。ノインは冷静に〈ギムレット〉を抜き、いつもの目標ターゲットを前に身構える。

 状況から、真正面からの戦闘になるが、こちらが二人なら問題はないだろう。ここはある程度道幅のある街路なので、行動にも支障は出ない。

 だがそこで、ノインはその影の異様さに気が付いた。


「うげ……」

「……これは……」


 隣にいたソフィアもそれに気づいたようで、彼女も一層警戒を強める。

 目の前の魔法使いは全身が。かろうじて人型は保っているが、その皮膚は泥人形のように蕩け出している。形を保って動いているのが不思議なくらいだ。溶けだした黒い体組織は魔法使いの足元にじんわりと広がっており、石畳を濡らしていた。


「……特殊個体ってやつか」


 ノインがそれに遭遇したのは、その時が初めてだった。

 特殊個体。通常の魔法使いの範疇に入らない、異形の中の異形。突然変異体。

 ソフィアから話だけは聞いていたが、目の前のそれは、本当に異常な見てくれをしていた。

 ノインはちらりとソフィアを見て、攻略法の有無を尋ねる。

 しかし彼女は首を小さく横に振った。どうやら彼女も知らないタイプの特殊個体らしい。


「……やるか」


 ノインは銃のグリップを握りしめて呟く。

 動きは緩慢そうに思うが、この化け物を見た目で侮ってはいけない。二人がかりで連携しつつ畳み掛け、一気に仕留めてしまうのがベストだ。ノインとソフィアは互いに目配せ合うと、まずノインがオフェンスとして駆け出した。

 銃声。

 ノインが魔法使いに先手を打つ。数瞬の後、魔法使いは頭部に被弾した。弾種は通常弾だ。数の限られるナハトレイドは、使うにしても確実に仕留められる時に使わねばならない。

 だがノインの先制攻撃は平然と受け止められてしまった。どうやら流動する体組織は、銃撃の威力も衝撃も減退させるらしい。弾痕から血は流れているが、ダメージは小さいのだろう。

 そしてノインのこの一撃は裏目に出てしまった。中途半端な傷は魔法による反撃の可能性を引き上げる。魔法使いは即座に血を増幅、流動させると、右手に黒く巨大な杭を握った。そしてノインに向かって距離を詰めながら、それを素早く突き出す。


「っ……!」


 ノインは半ば無理やり右に跳んで、その一撃を避ける。

 しかし魔法使いは杭を突き出したまま、ノインに向かって振り向くように体ごと回転して追撃に入った。ノインの眼前に、杭の寸胴な側面が迫る。

 ノインは思いっきり身を屈めた。

 一瞬の間をおいて、頭上を巨大な質量が通り過ぎてゆく。そしてノインはそのままの体勢で、下から魔法使いの頭部目がけて射撃した。人でいえば顎の部分に弾丸が突き刺さる。

 だがその至近距離からの一撃も、この溶けた魔法使いには大したダメージになっていないようだった。魔法使いは平然とした様子で杭を逆手に持ち替えて振り上げ、眼下のノインを串刺しにかかる。

 が、それが振り下ろされることはなかった。いくつかの銃声とともに杭がごとりと地面に落下したかと思うと、今度はその近くにべちゃりと黒い腕が落ちる。当然、魔法使いは体勢を大きく崩した。


(ナイス……!)


 ソフィアの正確な援護射撃が、魔法使いの細い腕を破壊したのだ。

 そしてこの隙に、ノインは弾倉を入れ替えると、チャンバーを空にして次弾をナハトレイドに切り替えた。通常弾で大した効果が得られないなら、これに頼るしかない。

 腕を落とされた魔法使いは既に体勢を立て直していた。だが魔法使いは、標的を変えており、今度はソフィアに向かって一直線に駆け出している。


(もらった……!)


 ノインは、その無防備すぎる後ろ姿に照準した。

 狙うのは当然頭部だ。ただ、ナハトレイドを脳幹に当ててしまうとペレットが残らないので、そこからは外す必要がある。即死はさせられないが、頭部にさえ当たれば、この対魔法使いの切り札となる弾丸は魔法使いの力を大きく制限してくれるだろう。

 ノインの思惑はソフィアにも伝わっていた。

 彼女はノインの射線からわずかにずれた場所に位置取って、魔法使いを引き付けてくれている。これで、憂慮するべき事象は一切ない。

 そしてノインは即座にトリガーを引いた。

 撃発された弾丸ナハトレイドは魔法使いの頭部めがけて飛翔し、目標に迫る。

 直後、ナハトレイドは魔法使いに牙を突き立てた。

 脳幹からはうまく外れたようで、銃弾に含まれている成分は、魔法使いを即死させずにその体組織を一方的に蹂躙し、魔法を封じる。しかも突進の最中に攻撃を受けてバランスを崩された魔法使いは、そのままソフィアの目の前で地面を舐めるように無様に倒れこんだ。まるで水風船が割れたように、黒い体組織が周囲に飛び散る。

 そして当然、ソフィアは伏した魔法使いに〈ベルベット〉の銃口を向け、とどめを刺しにかかった。後は彼女がトリガーを引けば、それで終わる。

 だが次の瞬間、魔法使いは倒れた姿勢のまま、ソフィアに向かって手を


「!」


 突然の行動に、ノインは一瞬反応が遅れた。

 その魔法使いの手はまるで蛙の舌のように動いて、銃を握ったソフィアの右腕を絡め捕った。そして魔法使いはそのまま瞬時に手を収縮させると、全身でソフィアに張り付き、彼女の体をその黒い体組織で包んでしまう。


「ソフィア!」


 ノインは銃を片手に、彼女のもとへ走る。

 この状況で銃は使えない。この魔法使いの体の構造はわからないが、彼女が中にいる状態では銃撃などできなかった。腕力で強引に救出するしかない。

 だが次の瞬間、異変が起こった。

 魔法使いのどろどろとした体組織、それがある一点に収束していったのだ。

 粘液が引いて行った部分から見えるのは、当然、人の形。衣服に包まれた足が、腰が、腕が、徐々に見えていく。それは紛れもなく彼女だった。

 だったのだが。


「ソ……フィア……?」


 ノインは姿を見せた彼女の前で呆然と立ち尽くした。

 彼女の見た目はこの一瞬で明らかに変質していた。

 チャームポイントの赤い髪は先端を残して黒く染まっており、瞳も肌も、一部が同じく黒に変色している。服は内部からの圧力でところどころ破れ、その破れた隙間からは、黒い何かが歪に隆起していた。そして頚椎の辺りには、まるで腫瘍のように魔法使いの体組織が固まり、膨らみ、脈動を続けている。


「なんだよ! なんだよこれっ!」


 ノインはその腫瘍のように収束している魔法使いの体組織に向かって照準する。

 だがその時、彼女が声を上げた。


「ウゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 聞いたことのない彼女の絶叫。

 そして彼女は、手にしていた銃をノインへと向けた。


「!」


 彼女の殺意を感じ取り、ノインは横に跳んだ。

 瞬間、銃が撃発され、〈ベルベット〉の銃弾がノインに向かって走る。

 幸いにも、その一発は外れた。

 だが彼女はそのまま銃を連射した。そしてうち一発が、ノインの脇腹に突き刺さる。


「ぐっ……!」


 ノインがよろめき、僅かな隙が生まれる。だがその一瞬でソフィアは一気に距離を詰めてきた。そして彼女は大して力を溜めることなく、ノインを軽々殴り飛ばした。


「がっ……」


 ノインは受け身も取れず地面に転がり、大きくせき込んだ。とんでもない腕力だ。しかしノインは、何とか身を起こし、ソフィアの姿を探す。

 だが、立ち上がりかけたノインの目の前には既に彼女が立っていた。

 昔出会った時とはまるで違う、本気の殺意をその目に宿して。


「ソフィアっ!」


 パニックになりかけたノインが叫ぶが、ソフィアは無言でノインに銃口を向けた。腹部の激痛と、状況が飲み込みきれない混乱で、ノインはその場から一歩も動けない。トリガーにかかったソフィアの指には、徐々に力がこもっていく。彼女は完全に正気ではないようだった。


 ――操られている? 寄生されているのか? 魔法使いに――


 脳内を一気に流れる思考がノインを一層混乱させる。


 ――こんな形で彼女に殺される? そんなこと。嘘だろう? 夢だろう――


 しかし眼前の銀の銃口は語る。これは現実だと。


 ――彼女を返してくれ。誰か。誰か助けてくれ――


 それに答えるものは誰もいない。ヴェストシティの夜は、どこまでも静かで。

 そしてついに、ソフィアは〈ベルベット〉のトリガーをストロークいっぱいまで引き絞った。

 ノインは瞬間的に目を閉じる。

 銃声。

 直後、粘度の高い湿った水音がノインの耳に届く。

 しかしノインはそこで不思議に思った。

 撃たれたような感覚がないのだ。重傷のときは痛覚が一時的に麻痺すると聞くが、着弾の衝撃も一切無かった。

 その時、声がした。


「どんな……時も……目は、開けときな……さい……て……言った、でしょ……」


 彼女の声に、ノインははっと瞼を開く。

 するとそこには、腹部から赤黒い血を滴らせるソフィアの姿があった。その傷口に押し当てられているのは〈ベルベット〉。


「……何を……」


 ノインはか細く呟く。と、そこで彼女は再び口を開いた。


「こロ……して……」


 ぐぐもった声と同時に、ソフィアが右手にある〈ベルベット〉の銃身を左手で掴む。

 だがそこで、呆然としていたノインは我に返った。


「ソフィア! 今……今助けてやるから!」


 ノインは足に力を込めて立ち上がる。

 脇腹に気の遠くなるような激痛が走るが、ノインはそれをすべて無視した。

 彼女は、寄生してきた魔法使いにかろうじて抗っているようだった。

 まだ、助けられる。

 しかしソフィアは叫んだ。


「――だめぇっ!」


 その声に、ノインはびくりとなって動きを止める。

 ソフィアは、再びノインに照準しようとしていた。暗い銃口が再びノインに向く。だが彼女はまた左手で銃身を抑え込むと、ふらふらと後退した。銃声が響き、狙いの逸れた弾丸が彼女の周囲の地面を小さく抉る。

 そしてその後、〈ベルベット〉はスライドを後退させたまま沈黙した。弾切れだ。


「ソフィア……!」


 好機と見たノインは、脇腹の傷を押さえつつ、おぼつかない足取りでソフィアに近づく。

 だが。


「だめ……らって」


 言ってソフィアはその場で〈ベルベット〉を捨てる。

 そして、告げた。


「撃っ……てっ!」


 ソフィアは、近づいてきたノインの手を取る。そしてノインの握っていた〈ギムレット〉の銃身を右手で握り、自分の喉元に強く押し当てた。


「手……もう……あんまり、動からい、……お、願い……」


 そしてソフィアはもう片方の手でノインの右手を掴む。


「……こ……ままじゃ――あら、ひ……――なたをころ……ゃう……」


 彼女の力は凄まじく強かった。あまりの力に、ノインは手を引っ込めるどころか、トリガーにかかったままの指を離すことすらできない。まるでその力は彼女の願いの強さの表れであるかのようで。

 だが彼女の希望は、ノインにとって到底受け入れられるものではなかった。


「ソフィア! 手を放してくれ! すぐ助けるから!」


 彼女の言う通り銃を撃発すれば、彼女は死んでしまう。

 それで魔法使いが死ぬのかはわからないが、少なくとも彼女は確実に死んでしまう。

 そんなこと、できるはずがなかった。


「ノ、イン……早……く……」


 ソフィアは掠れるように呟く。だがノインはソフィアに向かって悲痛に叫んだ。


「何言ってんだよ! 絶対助ける! だから――」


 しかしそこで、ノインは気づいてしまった。

 自身の手を握る彼女の手が徐々に指先まで黒く染まってきている。

 見ると、ソフィアの目にも変化があった。彼女の瞳はもうほとんどが黒く、そこにいつもの赤い光は無い。おそらく、魔法使いの寄生が進んでいるのだろう。そしてたぶん、このままでは、彼女は彼女でなくなってしまう。


「なくなっちゃう……嫌……だか、ら……お願い……」


 ノインの予想を肯定するかのような彼女の言葉。

 そしてその言葉を機に、ノインの手を掴むソフィアの手には徐々に明確な力――殺害の意志のこもった力がこもり始める。凄まじい闘争本能を持つ魔法使いという化け物に寄生され、彼女もまた、闘争本能を刺激されているのだろうか。

 もはや、彼女に人としての時間は少ないのだ。今はまだ意識があるが、それも長くはもたないのだろう。彼女の言葉は、人として逝きたいという願いの表れであるらしかった。

 しかし、でも、だからといって。

 その時、手に滴の感触があった。空からは再び雨が、大粒の雨がぽたぽたと降り始めていた。


「できない……」

「……ノイン……」

「いやだ…………いやだいやだいやだいやだ」


 ノインは涙でぐちゃぐちゃになった顔で首を横に振る。

 しかし、時は待ってくれない。彼女の体が、どんどん黒く染まってゆく。

 同時に、ノインの中にどうしようもない絶望が這い寄ってくる。

 

 ――ごめんね。

 

 声が聞こえた。

 それは、よく聞いた声。いつもと変わらぬ、彼女の声。

 そしてノインはトリガーにかかったままにになっていた指に、知った温もりを感じた。

 彼女の指がノインの指に触れ、そのまま、トリガーを押し込ませる。

 直後に響いたのは銃声。

 しかし知っているはずの銃声は、普段よりやけに重苦しく感じるものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る