4-9

 アウルからの帰り道。

 いつの間にか曇り空には切れ目が入っており、辺りには悪天の証拠として小さな水たまりだけが静かに広がっていた。石畳から雨上がり独特の臭いも昇ってくる。

 そんな中、ノインはリリと共に自宅へと足を進めながら、今まで起こった出来事にあれこれと考えを巡らせていた。一人で考え込んで何か答えが出るわけではなかったが、それでも疑問は、自答は、次々と浮かんできていた。

 奇妙な魔法使いと、それに狙われたらしいカリーナ。何でも屋としての仕事云々を考えると可能性は無限にあるが、フィデルの話では、カリーナはリリがソフィアの面影を宿していることを見抜いていたようなので、それと今回の件は何か関係があるのかもしれない。


(リリのことでも調べようとしてたのか……?)


 可能性としてはある。ノインとて市政府や公安の目を避ける必要がなければ、あれこれ積極的に調べていただろう。なので、あくまで間接的にしか関わっていないカリーナならば、そのことについて個人的に動いていてもおかしくはない。


(……それを嗅ぎまわったせいで、あいつは殺された……?)


 憶測に過ぎないがつじつまは合う。だがそこで一つ疑問なのはあの魔法使いだ。リリに関わる何らかの情報を掴んだ、あるいは掴みかけたカリーナがそのせいで殺されたのなら、あの魔法使いが掃除屋、暗殺者ということになる。そして情報の置かれていた場所があの図書館なら、その魔法使いは市政府側に味方していると考えるのが妥当だろう。


(どういうことなんだ……)


 もしかしたら市政府は、リリのことのみならず、魔法使いに関しても何か情報を隠しているのかもしれない。

 それにノインは数日前、少々気になる記事を新聞で見つけていた。

 イースト二番街魔法使い襲撃事件――。

 イースト二番街のある一帯が、たった一体の魔法使いの攻撃によって一度に破壊されたという事件である。奇跡的に死者は出なかったものの、半壊した民家が六棟。公安官二名と大人子供含めた民間人四名が重軽傷。一体の魔法使いの被害にしては珍しいほど大きい。しかもそれでいて、食われた人間は一人もいないという。

 たぶん、その二番街の被害は、セルジオの言った魔法使いの自爆によるものだと、ノインは予想していた。そしてセルジオはここでリリと出会っていたのだ。

 だが第一報の後も、この事件で魔法使いがどういう行動を起こしたのか詳細な報道は無かった。当然少女の件も何も書かれていないし、市政府からは何の発表もされていない。


(あの日、何があったんだ……?)


 その後も、ノインは新聞を読み漁っていたのだが、これといってめぼしい情報は無かった。

 唯一気になったのは、フラグメントの旧研究所を魔法使いが襲撃し、同時に施設内でごく小さな地盤沈下が発生したという記事だったが、特に大きく報道はされておらず、大したものではないように思えた。一番街、それも人気もないであろう施設で魔法使いが暴れたというのは妙だったが、別にありえない話という訳でもない。事実と違う報道がなされている可能性もあるが、そんなことを考え出したらどんな事件でもきりがなくなる。


(……なんだろうな)


 ノインは何というか、もやもやしていた。

 自分は本当に知るべきことを、何一つ知らない。そんな気がするのだ。

 先日、人気のない夜間に、一人で二番街の被害現場へ行ってみたりもしたのだが、特に掴めたことなどもない。


「…………」


 消えぬ疑念を抱えたまま、ノインは黙々と夜道を歩き続ける。

 そしてそんな時だった。

 道の脇で佇む、ある建物を見つけたのは。


○ ○ ○


「……あ」

 その建物を見つけて、ノインは間抜けた声を出した。

 今ノインらがいるのは、ちょうどノース三番街とイースト三番街の狭間にある街路だった。帰り道からは外れた道だったが、無意識のうちに足を運んでしまったらしい。


「……まだあったのか」


 ノインは傍にある建物を見上げて呟く。

 それは古びた小さな教会だった。表の鉄柵は閉じられており、八割がた錆びている。小さな前庭は草が伸び放題で、奥の礼拝堂も相応にくたびれていた。また建物の内外含めて人の気配など無く、直近に使われていた様子も一切ない。一見するとなんとも粗末な教会である。

 しかしここはノインにとっては特別な場所であるのだった。


(……久しぶりだな)


 もうずっと来ていなかったが、ソフィアが生きていた頃、ノインは彼女に付いていくような形でよくここへ通っていた。ソフィアは教会も兼ねた孤児院の出身であるらしく、こうした宗教にも少し縁があったのだ。

 ノインがソフィアとここに来るきっかけとなったのは、彼女との会話だった。

 他愛ない日常の会話から、ソフィアが教会に通っていると知ったのだ。ノインは宗教に興味などなかったが、恋人が通う場所がどんなものかを知るために、一度付いて行くことにした。

 それが始まりだ。以降は何となく彼女の礼拝に同行するのが習慣になった。

 尚、当時もここに神父や修道女シスターはおらず、教会の見た目は今とほとんど同じだった。この教会が信仰する神はそこまでメジャーなものではないので、朽ちているのも近辺に信仰者がいなくなったとか、その辺りの理由なのだろう。しかしソフィアはここに来ると毎回真摯に祈りを捧げていた。

 彼女は礼拝を勧めてくるようなことは一度もなかったが、雰囲気に流されて、ノインも何度か祈ったことはある。たまにだが、礼拝堂の掃除も一緒にやった。

 しかしそうしたところで、当時のノインに、『神様』への信仰心など微塵も湧かなかった。無論今も、無条件に信仰しようとは思わないのだが。


「……カミサマ、ね」


 ノインは自嘲気味に呟く。

 あの日の夜、その神様はソフィアを救ってはくれなかった。万能であるはずの存在は、真摯に祈っていた彼女を裏切った。結局、神というのは何も彼女にもたらしてはくれなかった。

 くだらない話だが、一時期は本気で恨んだものだ。


(……馬鹿なもんだ)


 たぶん当時の自分は、自身の中に溜まった負の感情を、神という不確定な存在に押しつけることで心の平穏を保っていたのだろう。もしそれが人間の救いだというなら、神は存在するのかもしれないが……今考えると、なんとも子供じみた話だと思う。

 ペンダントだってそうだ。

 あの時の自分は、ソフィアのペンダントをカリーナに押し付け、彼女の銃も写真もスキューアに置いて、自分の手元には何一つ彼女の遺品を残そうとはしなかった。今でもそのままな辺り、まだ完全に折り合いをつけられてはいないのだろう。

 吹っ切っていないというフィデルの言葉も、全くその通りなのだ。写真の前の花にしても、ソフィアが生前好きだと言っていたものを、ボスウィットが買って供えているものである。

 結局自分は、ソフィアの死を認めたふりを続けているだけ。

 今も昔も変わらず、子供のままなのかもしれない。

 フィデルにああは言ったが、ボスウィットの態度についても、心の奥底では感じている。

 ボスウィットはソフィアの死に対し、単に淡泊だったのではないはずだ、と。

 当時のスキューアにおける三人の関係は、討伐屋と拠点の経営者という上辺だけのものではなかった。たぶんボスウィットは、彼女の死をきちんと受け止めていたからこそ、そうした反応をしたのだろう。ボスウィットは彼女の死後、手続きのあれこれを一人でやっていたので、その辺りも含めて気持ちの整理は付けやすかったのかもしれない。

 ただそれがわかっていても、死者が自分の愛した人間である以上、不満を覚えてしまうのはどうしようもなかったが。


「ん?」


 そこで、ノインは隣にリリがいないことに気付いた。

 見ると、彼女はいつの間にか鉄柵を開けて教会の前庭に侵入していた。どうやらこの鉄柵も昔のままらしい。見た目だけで鍵などかかっていないので簡単に入ることができてしまう。


「おいリリ、やめとけ」


 ノインは彼女を呼び止める。昔は大丈夫だったが、今は浮浪者ホームレスのたまり場になっている可能性もあるのだ。余計な面倒事を増やされるのはごめんだった。

 しかし彼女は、ノインの言葉を無視して教会の中へと入っていってしまう。


「ったく……」


 ノインはリリを早々に連れ戻すべく、後を追って敷地内に入る。

 踏みしめた前庭の草と湿った土の感触は、五年前と全く同じに思えた。

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