4-7

 その後、ノインは一度スキューアを経由してから、徒歩でノース三番街にある討伐屋拠点、アウルに足を向けた。途中、小雨がぱらついてきたが、雨宿りするほどのものでもなかった。

 ノインの目的は、カリーナの弔問であった。

 ボスウィットから聞くところによると、カリーナの遺体を引き取ったのはアウルの主人であり、葬儀の日程が決まるまで、彼女の遺体はアウルに安置することになったらしい。

 本来なら昼間にでも出向くべきだったのだろうが、気持ちの踏ん切りがつかず、結局こんな時間になってしまった。正直、まだ彼女の遺体と対面する覚悟はできていないのだが。

 しかしヴェストシティの葬儀は基本火葬だ。彼女の遺体が生前のままで存在するのはせいぜいあと二、三日。弔問を下手に引き伸ばして、彼女が灰になってしまっては、それはそれで気持ちの整理がつけられなくなりそうだった。

 ちなみに、今ノインの隣にはリリの姿がある。

 彼女はボスウィットに預けてくるつもりだったのだが、ついてきたがるので連れてきた。霧の無い夜なので多少人目はあるだろうが、公安官がいない分、普通に連れ歩くだけならそう問題もないだろう。

 ノインはいくつか角を曲がり、アウルに向かって足を進める。スキューアから徒歩では少し遠いのだが、この時間では路線車も動いていないので仕方ない。それに、ボスウィットに銃器関連部品のことで使いに出されることも度々あるので、ノインもこの道は慣れっこである。

 そして間もなくして、ノインらはアウルに到着した。

 表通りから少し入ったところにある、煉瓦造りの三階建ての宿屋。その一階部分に設けられた小さなテナントスペースにそれはある。平和な今宵、窓からは小さく明かりが漏れている。アウルはスキューアと同じく住居も兼ねた拠点であるし、中に主人はいるのだろう。ただアウルは小さな酒場でもあるので、もしかしたら彼は今仕事中かもしれない。確か今日は営業日だ。証拠に、店の横には小さな置き看板が出ていた。

 この街で夜の酒場など繁盛するはずはないのだが、一部の者は昔ながらの形というものを大切に守っているらしい。ここもそんな場所の一つなのである。

 ノインはアウルの前でしばし躊躇していたが、やがて意を決すると、入り口の戸を静かに押し開けた。ドアベルがちりんと涼やかに鳴る。


「いらっしゃい」


 店の中から投げられたのは年老いた男の声。その声の主は備え付けのカウンター机でグラスを磨いていた。ノインとリリはその声と、陽気なアコーディオン・ミュゼットに招かれるように、中へ入る。


「一日ぶりだな」


 言ったのは、ノイン。

 だが主人はノインを見て、顎をさすった。


「んー……確かボスんとこの……」


 後半、男は言葉を詰まらせる。

 昨日病院で会っているというのに、どうやら『また』名前が出てこないらしい。


「ノインだ」

「おお、そうだ。ノインだったな」

「……いーかげん覚えろって」


 ノインは呆れつつも、いつものやり取りを返す。


「いやすまんすまん。年取るといろいろとガタが来るもんでな」


 ――いや、あんたがそうなのは俺の時だけだろうが。


 つい発しかけた反論をノインは懸命に呑み込んだ。

 フィデル・マッケンジー。御年六十を迎えた、アウルの主人である。

 深い皺の刻まれた温厚そうな眼差しを持つ男で、白い頭髪を後ろになでつけ、銀縁の丸眼鏡をかけている。細身の体に纏うのはラフな白のカラーシャツと黒のベスト、スラックス。その立ち姿は紳士然としていて、一見すると討伐屋などという粗野な職業の関係者には見えなかった。以前ボスウィットから聞いた話によれば、彼は昔、優秀な外科医だったらしい。

 性格は、その見た目通りもの柔らか。医者だった頃も、さぞかし良いお医者様だったのだと想像できる。ノインも、彼が怒っている姿は見たことがなかった。

 まぁ、あえて問題点を挙げるとするならば、こちらの名前を一向に覚えてくれないということぐらいか。どうも自分の名は、彼の記憶リストから外れやすいものであるらしい。


「にしても、お前さんがここに来るのは久しぶりだな。今日はどうした?」


 にこやかにフィデルが聞く。

 しかしノインは、沈黙したまま視線を店内に彷徨わせた。


 ――カリーナに会いに来た。


 その言葉は発せられる寸前に喉につかえ、声にはならなかった。やはりまだ、自分の中で気持ちの整理はついていないらしい。

 するとフィデルは、まるでノインの心境を見抜いたかのように、唐突に話を変えてきた。


「可愛らしいお客さんだね」


 彼はノインの後ろにつき従っている少女に目を向け、言う。

 するとリリはノインの後ろに少し隠れつつも、ぎこちなくあいさつした。


「……こん、にちは」

「こんにちは、レディ」


 フィデルは、時間のずれたリリのあいさつを訂正することなく返す。

 そして彼はノインに視線を戻して、


「……お前さん、結婚してたのか?」

「んなわけねーだろ。この子は知り合いの子でな。しばらく預かってんだ」


 ノインはさらりと嘘をつきながら、リリの頭に手を置く。

 だがその言葉に、フィデルは顎をさすって首をかしげた。


「……はて、お前さんにこんな小さな子がいるような知り合いなんぞいたかね」

「あー、言ってなかったんだよ。別にわざわざ喋ることでもないだろ」


 ノインは適当にはぐらかして応じる。

 彼にならリリのことを話しても問題はないとも思うが、やはりそれは無暗に話すことでもないと思えた。フィデルも、「そうか」とだけ答えてあとは何も言わない。


「…………」

「……で、どうする?」


 会話が途切れたところで、フィデルは静かにそう言ってきた。

 彼が言うのは、カリーナに会っていくか、ということだろう。

 やはりノインの迷いは、見透かされていたようである。


「カリーナは奥にいるのか」

「ああ、儂の部屋で寝とるよ。おかげで儂の寝床がなくなっちまった」


 彼の言葉は、まるでカリーナが仮眠でも取っているかのように聞こえるものだった。当然のことを当然として述べた、そんな当たり前さがある。フィデルはあえて軽く言ったのだろうが、その気遣いは、今のノインには少し心苦しかった。


「……カリーナに、会わないの?」


 リリが尋ねてくる。

 だがノインはその問いに何も答えられなかった。

 するとフィデルは、唐突にカウンターに座るように勧めてきた。しかも勝手に酒瓶やグラスまで用意しだしている。


「……別に飲みたいわけじゃ――」


 ノインは断ろうとしたが、フィデルは問答無用でグラスを二つ置いた。


「儂のおごりだ。しがない年寄りの酒の席ぐらい、付き合ってくれてもいいだろう?」


 言うと、フィデルはそのグラスの一つに酒を注いでくる。もう一つにはミルク。

 さすがに、ここまでされてしまえば断れないので、ノインはリリを伴って席に着き、促されるままグラスに口をつける。

 するとそこで、フィデルが独り言のように呟いた。


「弔問客はお前さん達が初めてだな」


 それを拾って、ノインは尋ねる。


「……ここのメンバーとかは?」

「連中にはまだ伝えてないからな」

「ふーん。……ボスウィットも来てねーのか?」


 その言葉の最後は、少し不機嫌そうに。


「ボスは直接は来てねぇな。昼間に花は届いたがね」

「……ふん。あっさりしたもんだな」

「そうか?」

「まぁあいつは、ソフィアの時もそうだったからな」


 ノインはグラスを置いて、頬杖を突く。


「ソフィア……久しぶりに聞いた名だな」


 言いながら、フィデルは顎をさする。

 彼もソフィアのことは知っている。カリーナを通じての知り合い程度だったが、互いに付き合いはあった。そして彼女が死んだときも、フィデルはきちんと彼女を弔いに来てくれた。


「もう五年くらい経つかね?」

「そうだな」

「……お前さん、まだ吹っ切ってないのか」

「…………」

「女々しいな」

「うるせぇ。ボスウィットみたいにはなりたくねーよ。……人間、年とると死ぬことに鈍感になるのかね」


 目の前にいる老人フィデルに構わず、ノインは言う。

 あくまで主観の話になるが、ソフィアの死に対して、当時のボスウィットの態度はどこか淡泊なものがあった。討伐屋と拠点経営者という関係ならそうした反応も当然なのかもしれないのだが、ノインとしては未だ納得できない部分がある。

 だがフィデルは先のノインの言葉を受けて、小さく笑った。


「そう見えたか」

「?」

「いや、なんでもない」


 フィデルの言葉に疑問を感じつつも、ノインは静かにグラスを傾ける。

 だがそこでふと、フィデルにあることを尋ねた。


「そういや爺さん。最近、カリーナになんか変わったことなかったか?」

「なんだ藪から棒に」

「……いや、ちょっと気になることがあってな」


 ノインは頬杖をついたままでテーブルに視線を落とす。


「探偵の真似事でも始める気か?」

「そうじゃねーけど……昨日、あいつがなんで図書館なんかにいたのか、知りたくてな」


 カリーナの目的は未だ不明のままだった。何でも屋としての仕事らしいとは思っているが、昨日あの場所で、彼女は何をしていたのか。それにあの魔法使いは、最初からカリーナを狙っていたように思う。

 加えて、今回の一件について公安が主だった動きを見せていないようであるのもノインとしては引っかかっていた。報道はこれからされるかもしれないが、その場に居合わせ、救急搬送まで行ったノインへの事情聴取などの話も、まだ来ていないのだ。ここに来る前に立ち寄ったスキューアでも、ボスウィットは特に何も言っていなかった。公的機関からリリを隠しているノインにとっては好都合だが、妙な話には変わりない。


「ふむ……」


 ノインの問いに、フィデルはしばし顎をさすって考える。

 するとしばらくして、彼は何か思い出したように手を打ち鳴らした。


「どうした? なんか思い当たることでもあったか?」

「いや、明日のゴミ出しまでに酒瓶まとめなきゃならんのを思い出した」

「……こっちは真面目な話してんだが」


 ずっこけかけながら、ノインはフィデルに白い眼差しを向ける。


「ああ、すまんすまん。つい。……で、カリーナのことだったな」

「…………」

「酒場の店主があまりこういうことを他人に話すわけにはいかないんだが……そういやあいつ、最近ちょっとしんみりしてたことがあったっけかな」

「しんみり……?」

「一週間ほど前だったかな。死人の面影がどうとか」

「面影……」


 そう言われて思い出すのは当然、リリが宿すソフィアの面影。

 もしかしたらカリーナも、気づいていたのかもしれない。


「で、その時カリーナはなんて?」

「その時はそれだけだったよ。あいつはすぐ帰っちまったからな」

「……そうか」


 ノインは再び考え込む。

 が、この場で答えが出るはずもなく、思考は堂々巡りに陥った。

 しかしある時、ノインはリリのグラスが空になっているのを見ると、自分もぐっとグラスをあおって中身を飲み干し、フィデルに告げた。


「……悪ぃ、今日は帰るわ。ごちそーさん」


 そしてさっさと席を立つ。

 アルコールにはそれほど強くないが、この程度ではさすがに酔うとまではいかない。


「あいつには会っていかないのか?」

「……やめとく。あいつも、俺に死に顔なんざ見られたくないだろうからな」

「花も供物もなし、死人にも会わずに弔問とはな」

「悪かったな」

「いや、いいんじゃないかね。お前さんらしくて」


 褒めているのか貶しているのか微妙な言葉だったが、ノインはフィデルの言葉に小さく鼻で笑って返す。そしてノインはリリを連れると、そのままアウルを後にした。

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