3-9

「厄介なことになったもんだな」


 区画外の一角で、ノインは誰ともなく呟いた。


「すまない。俺の力不足だ」


 答えたのはセルジオ。彼は今、携帯用の簡易救護キットでロイの応急処置を行っている。

 あれから、ノインは負傷したロイを発見し、彼を担いで戦線を離脱した。

 今この場にいるのはノインとリリ、ロイ、そしてセルジオ。

 セルジオとは、ロイの無線で位置情報を交換して合流した。例の魔法使いは一応撒いている。が、油断はできない。

 赤目の魔法使い以外にも魔法使いはいるのだ。万が一他の魔法使いと戦闘になれば、発生した音から赤目もこちらにやってくるかもしれない。この街で出回っている拳銃は必要以上に魔法使いを刺激しないように特殊な防音加工が施されているが、消音装置サプレッサーほどの効果はないのである。

 それに、こちらの手元にはそう多くの装備は残っていない。セルジオのフラッシュバンもさっきのものが最後であり、ロイの帯革にあるはずの装備携帯用のポーチも完全に破れ落ちてしまっていた。ロイの拳銃は彼が握ったままだったので回収できているが、出会った時に彼の腰に付いていた携帯用の電気灯すらも今はない。

 ロイの容体は予断を許さない。生きてはいるものの、彼は意識を失っており、腹部には未だ黒い棘が深々と刺さっていた。棘自体は両端が折れて短くなっていたので抜けないこともないのだが、傷が大きすぎるので棘を取り除くわけにはいかない。下手に抜くと失血死となってしまうだろう。こんな場所ではこれ以上ろくな手当もできないので、セルジオが呼んだ救援の到着まで彼が耐え、そして魔法が解けないことを祈るしかなかった。

 ちなみに今ノインらがいるのは、ほどほどに広い街路の片隅だ。本当なら建物の中に入るのが安全なのだが、あいにくと周囲の建物は入り口が完全に閉ざされていたり、内部が崩落していたりと、容易に入れるような状況ではなかった。おまけにこの一帯は身を隠せそうな細い路地などもない。


「で? お仲間はあとどれくらいで来るんだ?」

「二十分ぐらいだとは思う。この辺りは車も入れそうだし、何とかなるだろう」

「そうか」


 するとそこでセルジオはロイの処置を終え、今度は自分の足の傷を手当てにかかる。ロイほどではないが、合流した段階で、彼も右足に深い刺し傷を負っていた。十中八九、あの魔法使いとの戦闘で負ったものだろう。

 と、そこでノインは、彼らから視線を逸らすように顎を上げ、虚空を仰いだ。

 そしてしばらくして、口を開く。


「……じゃ、俺らはここで退散するわ」


 ノインは横にいたリリを伴って踵を返す。

 自身の安全が最優先。ノインの出した答えはそれだった。

 薄情である、という認識はない。

 今この場でまともに動けるのはノインとリリしかいなかったが、最低限の手助けはしたはずだ。それに救援が来るなら状況に希望は持てる。加えてロイの発言から、あの魔法使いはこの公安官二人が追っていた個体であるらしいので、討伐屋である自分が手を出すと何かと面倒そうだった。縄張りとも言っていたので、この二人はたぶん、最近見つかった例の特性を持つ個体の討伐任務中なのだろう。

 しかしノインが歩き出した直後、その背中には、セルジオの声が投げかけられた。


「……その少女は?」


 彼の声に、ノインは立ち止まる。


「俺は昨晩、子供を連れた魔法使いと交戦し、取り逃がしている。珍しい灰色の髪だったので、よく覚えている。彼女とは、何か関係があるか?」

「…………」


 セルジオの言葉に、ノインはじっと押し黙る。

 だがその時、一帯に低い唸り声が響いた。


「……ち」


 ノインはその声の正体を察し、警戒する。自身の手当てを終えたセルジオも、壁に寄り掛かるようにして立ち上がった。


「……ここもまだ奴の縄張り内だしな……さすがに追ってきたか」

(縄張り、ね)


 やはりあれは、そういう個体か。しかし、そうと知って対峙するのはこれが初めてである。


「……さて、どうすっかな」

「逃げるなら早くすることだ」

「……呼び止めた人間がそれ言うか。今更無理だろ」


 さっきの唸り声は間違いなく魔法使いのものだ。それが聞こえるところまで近づかれているなら、もはや安全に逃げられる保証はない。

 ノインは仕方なく〈ギムレット〉を抜いた。そしてすぐさま、リリに近くの物陰に隠れるように指示する。絶対に出てくるなと、強く言い聞かせて。

 するとその時、曇の裂け目から月が顔を覗かせた。数条の束となった月光は朽ちた街を青白く照らし、僅かながらノインらの周囲に光をもたらす。

 そして光は、ノインらの前方、百メートルほどの位置にある建物――半分倒壊した元四番街時計台のてっぺんにいる生物を浮かび上がらせた。出会った時と変わらない相手の赤い視線が、明確な敵意を乗せてこちらに突き刺さる。


「逃がしてくれそーにねーなぁ……」


 ノインは呟いて、魔法使いを睨み返す。

 だがその時。魔法使いの後ろから追加で二つ、黒い影が顔を覗かせた。


「!」


 それは、魔法使い。新たに現れた二体は、まるで赤目に付き従うようにしてこちらを見下ろしている。そして計三体の魔法使いは、同時に地面に飛び降りた。着地と同時に地霧が吹き飛ばされ、その近くにあった壊れたガス灯が小さく揺れる。そして追加の二体は、まるで赤目を守るかのように陣形を整えた。


「……どーいうこった……?」


 確認されている限り、魔法使いは群れない。たとえ複数体同時に出くわしても、基本、個々で行動するのだ。目の前の魔法使いらのような行動は、明らかにイレギュラーである。


「……縄張り意識のある魔法使いってのは群れも作るのか?」

「……俺が知る限り初めてのケースだ。赤目という特殊個体の能力ということかもしれん」

「なんつー奴を追ってんだよお前らは」


 背中に不快な汗が噴き出すのを感じながら、ノインは〈ギムレット〉を構え直す。

 すると赤目の魔法使いは突然、その手を前方へかざした。同時に、前の二体の魔法使いは自分の腹部に躊躇いなく手を突っ込み、そこから黒い棘――それも、馬上槍ランスのような形をしたものを抜き出す。赤目が、魔法の発動を指示したのだろうか。

 そして三体の魔法使いはノインらに向かってゆっくりと距離を詰めてきた。


「……どうすんだよコレ」

「お前達だけでも逃げろ」

「って言われてもな」


 さすがにこの状況でけが人二人を放って――むしろこの場合は犠牲にして――逃げられるほど、ノインも非情にはなれなかった。それに、そうしたところで逃げられるとは限らない。


(……やるしかねーか)


 ノインは胸中で呟き、覚悟を決める。

 そして一人、魔法使いらに向かって歩き出した。この場でまともに戦えるのは自分一人だ。前に出るのは必然自分になる。


「おい――」


 背後から、セルジオの声がかかる。だがノインは彼を肩越しに見やり、


「戦うしかねーだろ。あんたは自分の相棒と、俺の連れの護衛を頼む」

「……後方から援護しよう。怪我人でもそれくらいは可能だ」

 しかしノインはセルジオの申し出を断った。


「足手まといだ」


 そう言ったのは、なにも格好つけや自己犠牲の精神からではない。

 本当に邪魔だと思ったからだ。

 ソフィアが死んでから、ノインはずっと一人で魔法使い奴らと戦い続けている。

 ノインにとって、相棒は彼女一人であるし、彼女以外の人間と戦いの呼吸を合わせることには慣れていない。それに幸い、ノインは昔、一人で二体の魔法使いと同時に戦った経験もあった。まぁ、その時はナハトレイドも満タンあった時なので、経験がどこまで活きるかはわからないが。


「…………」


 断固としたノインの態度に、セルジオは何も言わなかった。

 本当に邪魔なのだというノインの意思を察したのかもしれない。

 しかし彼はそこで一つ言葉をかけてきた。


「……赤い目の奴には気をつけろ。ナハトレイドが効かない魔法使いなら、昨日のものと同じく爆発する可能性がある」

「……爆発だと?」

「正しくは破裂、かもな。瀕死になると自身の体の一部を四散させ、同時に周囲に血の棘をまき散らす……要は自爆だ。通常の魔法使い以上に、中途半端な攻撃は危険だ。一気に畳み掛けて即死させれば回避できるかもしれんが、それでも安全は保証できん」

「おっかねぇな。――昨日のアレはそういうことだったのか」


 最後の一言は、セルジオには聞こえないように。

 するとセルジオはノインを呼び、あるものを手渡してきた。それは、公安官専用拳銃、〈グレイ・ハウンド〉。


「弾数は十一プラス一発。全弾、ナハトレイドだ。本来は規則違反だが、緊急事態だからな。俺はロイのものを使う」

「……サンキュ」


 ノインは〈ギムレット〉をホルスターに仕舞うと、〈グレイ・ハウンド〉のスライドを引き、構える。そして、できる限りセルジオらから遠い位置で戦うべく、魔法使いらに向かって駆け出した。

 と、同時に、魔法使いらも動いた。

 赤目は動いていないが、その近衛二体が、一気にこちらに突っ込んでくる。


(赤目が動かないならいけるか……!)


 ファーストコンタクト。

 先手を取ったのは魔法使いだった。

 二体のうち先行していた一体が、ノインに向かって一直線にランスを突き出してくる。

 しかしノインはその動きをぎりぎりで見切った。最低限の動きで体を捻り、ランスを背後に受け流すように回避する。そしてそのまま、近づく魔法使いの頭部に銃口をねじ込むようにして、トリガーを引いた。

 着弾。

 攻撃後の隙を突いた一撃はあっけなく魔法使いの頭部に刺さった。撃ち出されたナハトレイドは、魔法使いの頭部を出血させることなく破壊する。

 どうやらこの従者にはちゃんとナハトレイドが効くらしい。そして幸運なことに、至近距離から撃った銃弾は脳幹を貫いたようだ。魔法使いは抵抗もせず地面に倒れ、体を崩壊させる。


(まず一体……!)


 だが間髪入れず、真横から殺気が迫った。ノインは直感に従ってバックステップを踏む。

 と、数秒前までノインがいた位置を、左から伸びた黒い槍が貫いた。


「このっ……!」


 ノインは地面に着地するなり、攻撃してきたもう一体の魔法使いに照準してトリガーを引く。

 が、この一撃は回避されてしまった。

 さらに銃撃。だが次弾も背後に飛び退くように回避されてしまう。


(……さすがに簡単にはいかねーか)


 だがそこで、ノインはあることに気づき、左手で〈ギムレット〉を抜いた。そして歯でスライドを引くと、即座に魔法使いの向かって発砲する。

 すると直後、それは魔法使いの直上に落下を始めた。


(ビンゴ……!)


 ノインが狙ったのは壊れたガス灯だった。

 この地域のガス灯は、五メートルほどの支柱の先に鋼鉄製のランタンが固定してあるだけの簡素なものだ。しかも今、魔法使いの直上にあったそれは、支柱が曲がって壊れ、ランタンが中の細いゴム管だけで宙ぶらりんになっていた。故にその『命綱』を破壊すれば、四、五十センチもある鋼鉄の塊は容易く落下する。

 しかし、魔法使いもその程度では動じなかった。自分に向かってくる落下物を破壊すべく、上空に視線を向けて黒い槍を振るう。

 だがそれは決定的な隙である。


「寝てろ化け物」


 ノインは魔法使いの足――人でいえばアキレス腱のある部分に向けて〈グレイ・ハウンド〉のナハトレイドを撃ち込む。

 比較的細い足首は銃撃で千切れ、魔法使いはランタンの落下に合わせて地面に倒れ込んだ。

 ノインは一気に接敵し、容赦なく魔法使いの頭にナハトレイドを浴びせる。


「ヲアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 おぞましい叫び声。

 しかしそれを最後に二体目の魔法使いは動かなくなり、その後体は、砂塵と化した。

 そしてノインはその場で立ち止まり、残ったボスを睨んだ。


「……手下はいなくなっちまったぜ? 臆病なリーダーさんよ?」


 軽く上がった息を整えながら、ノインは魔法使いを挑発するように肩をすくめる。

 ――と、そこでノインは、右手の〈グレイ・ハウンド〉をホルスターに仕舞い、左手の〈ギムレット〉と持ち替えた。ナハトレイドが効かない個体なら、ボスウィットの通常弾の方が有効と判断してのことだ。

 すると直後、赤目の魔法使いは一気にその場から飛び掛かってきた。まさか先の言葉を理解したわけではないだろうが、その様は怒っているようにも見える。

 だがノインはその攻撃を敵意ごと受け流すようにするりと避けて、冷静に魔法使いと距離を取った。

 そしてごく自然な動作でコートのポケットに左手を突っ込むと、あるものを掴み、素早くそのを抜いて、魔法使いに放り投げた。

 それはまるで、ゴミをくずかごに放るような自然な動作。

 そこに攻撃の意図は乗っておらず、故に、魔法使いはその一手に反応できなかった。

 そして直後、それは破裂した。

 発生する強烈な閃光と高音。

 ノインは目と耳を塞いでしのいだが、魔法使いにそれは直撃していた。

 出がけに、ボスウィットから受け取ったフラッシュバン――それは理想的な形で使用され、魔法使いの視覚と聴覚を混乱させた。

 しかし。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 突然、赤目の魔法使いは暴れ出した。そして自傷して魔法を発動させると、従者の二人が持っていたものよりも一回り大きなランスを作り出し、周囲に振り回す。


(くそっ……!)


 ノインはさらに魔法使いから距離を取りつつ舌打ちする。

 セルジオから受けたものを合わせると、この魔法使いはこの短時間でフラッシュバンによる攻撃を二度受けている。それにより、極度の興奮状態となってしまったらしい。想定していなくもない行動だったが、興奮の度合いが予想よりも高い。こちらのフラッシュバンは正規品でないため、その性能の低さも影響しているのかもしれない。

 ノインは暴れる赤目に遠巻きに銃撃を入れてみるが、やはりというか、その程度ではろくなダメージになっていないようだった。

 するとその時、魔法使いは槍を構え、こちらに襲いかかってきた。さすがにまだ視覚や聴覚は回復しきっていないはずだが、その狙いは的確だ。ノインは素早く反応して横に回避する。

 しかし魔法使いはノインを通り過ぎた後すぐに反転し、今度は槍を捨てて、飛びかかるようにして襲ってくる。

 安易に銃撃したのは失策だった。奴はどうやら火薬の匂いを頼りに索敵しているらしい。


「くっ……!」


 さすがに二度目の回避は間に合わなかった。

 ノインは魔法使いに組み付かれ、押し倒される。

 そして眼前の魔法使いはノインの首を右手で押さえつけると、口を大きく広げて、ノインを食らいにかかる。

 だがそのまま食われてやる気など、さらさらないノインである。気道を押さえつけられて呼吸すらままならない状態ながらも、ノインは魔法使いの頭部に〈ギムレット〉の銃口を向け、ありったけの銃撃をかます。

 だが全弾撃ち尽くしても、魔法使いを殺し切ることは叶わなかった。セルジオの言った自爆とやらをする兆候はないが、例のごとくしぶとい個体のようで、頭部の損傷は既に再生を始めている。ノインは咄嗟に両手で魔法使いの首を掴んで抵抗したが、人間の腕力でこの化け物の力に抗いきれるはずはない。今は奇跡的に力が拮抗しているものの、こんな状態、あと一分も持たないだろう。


「ノインっ!」


 その時、遠くで甲高い悲鳴のような声が上がった。

 ――リリだ。言いつけを守ってこちらには来ないようにしているようだが。


(いい子だ……来るんじゃねーぞっ……)


 胸中で呟きつつ、ノインは戦術を模索する。だがこの状況を打開できる策など、簡単には思いつかなかった。眼前では、魔法使いの顔がどんどん大きくなってゆく。


(くっ……そったれ……!)


 早くも手はしびれ、もはや力は均衡を失っていた。

 だんだん、石畳の感触を背中に強く感じるようになる。


 ――ソフィア……お前のとこ、行くことになるかもな――


 近づく絶望を前にして、そんな考えが頭をよぎりだす。

 だが、その刹那。

 とんでもない銃声がしたかと思うと、ノインの直上にあった魔法使いの頭部がはじけた。返り血がノインに飛び散り、そして次の瞬間には魔法使いの拘束が緩む。

 見ると、再生途中だった魔法使いの頭部はほとんど吹き飛んでおり、魔法使いは首なし同然の状態だった。状況を把握したノインは魔法使いを蹴り飛ばし、軽く身を起こす。だが赤目の化け物はさしたる抵抗も見せず、そのまま地面に倒れた。

 そしてその後、化け物の体は呆気なく砂塵と化し、そこにはペレットが残った。


 ○ ○ ○


「ノイン!」


 街路の上で起き上がったノインの胸に、リリが泣きながら飛び込んできた。

 今朝方、自分が襲われたときよりもたくさんの涙を流して、ノインを強く抱きしめてくる。


「……いきてる……ノイン……いきてる」


 リリは嗚咽交じりにそう告げて、また泣く。

 ノインはそんな彼女を少しだけ驚いたように見つめつつも、なだめるようにその小さな背中をさすった。


「……悪ぃ。心配かけたな」


 柔らかい眼差しで彼女を見つめ、ノインは謝る。

 すると彼女はふるふると首を振りつつも、いいの、いいの、とだけ、返してきた。

 そして、リリを慰めてしばらくたった頃。

 ノインはこちらに近づく足音に気付いた。

 見上げると、足の傷を庇うような姿勢で、セルジオが近くに立っていた。


「無事で何よりだ」


 セルジオはぶっきらぼうに一言告げる。

 と、ノインは出し抜けに、一つ尋ねた。


「……何したんだ、一体」


 ノインが聞いたのは、あの状況で魔法使いの頭部を大きく破壊した手品の『種明かし』だ。

 状況からしてセルジオが何かしたのは確実だが、ナハトレイドすら効かない化け物に、彼は一体どうやってあんなダメージを与えたのか。

 あの異常なほどの銃声についても気になる。

 するとセルジオは、答えとばかりに自身の腰のホルスターからやけに大きい銀色の拳銃を取り出してみせた。リボルバーのような形状だが、その銃身には特徴的な円筒形のシリンダーがない。どうやら単発式の拳銃のようだ。

 公安官が持つ単発式拳銃。ノインには思い当たるものがあった。


「……イフリートか」


 〈イフリート〉とは、数年前に公安が作り出した特殊拳銃だ。

 弾数は専用の高威力弾が一発のみ。撃発のたびにメンテナンスが必要であるため、戦闘中の連続使用はできない。ナハトレイド以外で魔法使いを確殺できるように開発された武器であり、その威力は桁外れ。射程も長く、拳銃のくせにちょっとした子爆弾のような威力があるという。実際に見るのは初めてだったが、さっきの魔法使いの有様を見る限り、その威力は噂に違わぬものであるようだった。

 だがノインは怪訝に思った。


「なんでそんなもん……」


 〈イフリート〉はその扱いにくさゆえに、今はほとんど使われていないと聞く。常備しているものでもないはずだ。だがセルジオは言ったものだった。


「昨日逃がした魔法使いもナハトレイドが効かなかったのでな。念のため用意してきた」


 そしてセルジオは腰のホルスターに〈イフリート〉をしまう。


「……んなもん持ってんなら最初から使えよ」

「弾数の関係上、確実に動きが止まった瞬間を狙う必要があった。そう安易に使えん」

「人を囮に使う公安官ってのはどーなんだよ」

「援護を拒否したのはお前だろう。それとも、あのまま放置した方が良かったか?」

「……あーへいへい。ありがとーございました」


 少し釈然としないノインだったが、結果的には彼のおかげで助かったのだ。そこは素直に感謝すべきだと思い直し、それ以上は何も言わなかった。

 それに対象が止まっていたとはいえ、セルジオの居た位置からここまでは数十メートルの距離があっただろう。その距離で魔法使いの頭部に――それも、魔法使いの首をつかんでいたノインの手を一切傷つけずに命中させたのは、単純にセルジオの技能の高さゆえである。


「……さて」


 するとそこで、ノインはリリを立ち上がらせ、自分もコートをはたいて立ち上がった。そして、傍に落ちていた赤目のペレットを片手で拾い上げる。

 だがノインは、それをセルジオに向かって差し出した。


「……なんだ?」

「なんだじゃねーよ。お前らが追ってた獲物なんだろ? 俺なんかが横取りしていいのか?」

「しかし、戦闘の内容から判断すれば――」

「赤目のトドメはお前だろ。別にいいさ」

「…………」


 納得できないような顔をしつつも、セルジオは赤目のペレットを受け取る。

 しかしそこで、ノインはセルジオに対して言った。


「……ただ、頼みがある」

「頼み?」

「今日ここに『灰色の髪の少女を連れた討伐屋はいなかった』。そういうことにしてほしい」


 ノインは借りていた〈グレイ・ハウンド〉をホルスターから取り出すと、銃身を握って彼に差し出す。

 するとセルジオは、それを受け取りつつも、事情を察したようにリリに視線を向けた。


「……その少女、やはり……」

「ああ。お前が昨日戦ったっていう魔法使いが連れてたのは、たぶんこの子だよ。偶然出会って、俺が勝手に保護してる」

「……正直なものだな」

「今更隠してどーなるよ」

「それで、見逃せと?」

「無理言ってんのはわかってるさ」


 泣きついてきたときに落ちたリリの帽子を拾い上げながら、ノインは言う。

 ノインが彼に持ちかけたのはちょっとした取引だった。

 このセルジオという公安官は、昨日自分が出会う前のリリを知っているらしい。まさか昨日の今日であの魔法使いを狩り逃した当事者に会うとは思わなかったが、彼女の珍しい髪色なども考えると、見間違いではないのだろう。となるとこのままでは、彼女は公安に連れて行かれてしまうことになる。

 もちろんそうなったとして、何も公安に悪意があるわけではないだろう。状況を考えれば当然のことだ。むしろ彼女を勝手に保護している自分たちの方がよっぽど問題である。

 だがそれでも、ノインは彼女を彼らに渡す気はなかった。


「俺が見逃したとして、その後どうする気だ?」

「この子の元いた場所を探すだけだ。で、それまでは一緒にいる。……約束したからな」


 当然、彼女の存在に関する懸念が無くなったわけではない。

 しかしさっき、リリの涙を見てより強く思ったのだ。もう、彼女を悲しませるようなことはしたくないと。

 彼女がそうならずに済むのならば、できる限り、一緒にいようと。


(結局、悲しみなんて、少ないに越したことはねーからな)


 辛い涙など、もううんざりなのだ。

 五年前、自分のそれは枯れ果てたが、それだけに、自分のせいで彼女が泣いてしまうのは――悲しみに暮れてしまうのは、辛い。共にあることで別れがより辛くなる可能性もあるが、それでも今、これ以上彼女を悲しませることはノインにはできなかった。


「…………」


 セルジオは無言だった。何かを言うべきか悩んでいるような顔で、ノインらを見据える。

 が、しばらくして出たセルジオの言葉は、ノインにとって意外なものだった。


「言われなくてもそうするつもりだった」

「……へ?」

「言葉通りだ。昨晩の段階で彼女のことは上に報告しているが、今朝方、それについて返答があってな。上が言うには、『少女などいなかった』と、そういうことらしい」

「それってどういう……」

「さぁな。しかし、上が『いないもの』と判断していることを、下士官が追及できるはずもない。報告する義務もないはずだ」


 えらく固いというか、糞真面目な物言いだが、それだけに、彼の言葉に嘘はないように思う。


「……んなこと喋ってよかったのかよ? ふつー機密だろ」

「部下を助けてくれた借りがある。借りを作ったままというのは好きじゃないんでな」

「……それで、今は見逃してくれるってことでいいのか?」

「イースト地区の討伐屋が謎の少女を預かっているということは私が個人的に記憶しておく。何か事が起これば、その時だ」


 セルジオはそう言って踵を返し、ロイのもとへ戻っていく。

 ノインはそんな彼の背中を眺めつつ、


(……カタブツだな。ありゃ)


 結局最後までセルジオは明確に『見逃す』とは口にしなかった。無理を言ったのはこちらだが、なんとも、彼の性格が窺い知れる一幕である。

 ただノインはそう思いつつも、彼には少々親しみを覚えていた。上がどうのと言っていたが、少女のことを報告するやり方など、いくらでもあるはずなのだ。


(……けど、なんで公安はリリのことを黙殺したんだ?)


 魔法使いに連れ去られた人間の捜査や保護など、公安がメンツにかけて必死に行いそうなものである。まさか公安は、リリの素性を何か知っていたりするのだろうか。

 ノインは顎をさすりながらしばし黙考する。

 だがその時、ノインの思考を遮るように、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。

 たぶん、応援の公安官らの乗る車が近づいているのだろう。


「……行くか」


 ノインは頭を切り替えると、リリと共にそそくさとその場から立ち去る。

 セルジオに見逃してもらえるとはいえ、応援部隊がここに着くまでには退散しておかないと、さすがに厄介なことになる。ロイの容体は気になるところだが、さすがにこれ以上は自分が感知するべきことでもないと思えた。

 そしてノインは現場を大きく迂回するように順路をとって、スキューアヘと向かった。

 今日はもうくたくただ。仕事を続ける気にはならない。それに魔法使いの血で汚れたコートは、早めに洗濯しないと血がこびりついて着られなくなる。

 だが、その帰り道のことである。

 ある所で、唐突にリリが口を開いた。


「ありがと」

「?」

「ノイン、私が一緒にいられるように、あの人に言ってくれた」

「ああ……」


 彼女が言うのは、セルジオとの交渉のことだろうか。どうやら、こちらの意図はちゃんと理解していたらしい。

 するとそこで、リリはこちらを見上げた。


「ノイン」

「ん?」

「……なんでもない」


 そう言ってリリはノインから視線を外して、ハンチング帽子を目深にかぶる。

 だがその言葉に、彼女の仕草に、ノインはなぜか少しどきりとした。

 そして不思議と、この彼女との会話に『彼女』はいなかった。そんな気がした。

 と、そこでノインは、妙な気まずさを払拭するため、話題を変えた。


「とにかく、帰ろう。……そうだ。明日にでもお前のコート買ってやるよ」


 そう言って、ノインは彼女ににっと笑いかけた。


 ◇ ◇ ◇


 ちなみに、そのノインの言葉は、ボスウィットからの『誠意』付きの賠償金を期待してのものだった。

 だが店で一息ついたノインはその希望を打ち砕かれることになった。

 ボスウィットが差し出した『賠償』。それは彼手製の弾丸、三十ダースほどだった。換金しても明らかに四百ゴルトに届かないその品に、思わず憤慨したノインだったが、そんな彼にボスウィットはこう言ったのだった。


 ――この弾丸はあくまで詫びの気持ちだ。本命は仕事前に渡したやつだよ。


 そういわれてノインが思い出すのはあのフラッシュバン。

 公安官の使うようなグレードのものではないが、確かにあれは普通に買おうとすれば末端価格は四百ゴルトを軽く超えるものだろう。裏で取引すれば、ほとんど同じ値段で売れるはずだ。


 ――アレは俺のとっておきのへそくりだからな。


 そう言ってボスウィットはにかっと笑い、わざとらしく歯を光らせてみせた。

 確かに彼はへそくりが現金であるとは一言も言っていなかった。

 そのフラッシュバンも、カリーナからの品であり、ボスウィットとしてはいろいろな苦労があった末に手に入れたものであったらしいとか。

 だがそんなことノインの知ったことではない。

 当然、いい加減なオヤジには制裁が下り、その顔面にはノインの靴底が、げしっと張り付いたのだった。

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