空白のホロ・ファクト

九郎明成

プロローグ

プロローグ

 すべてが終わったとき、彼女はそこにいなかった。

 残っていたのは僅かな砂塵と、彼女の衣服や銃。そして黒い血と黒い結晶。

 それらは時雨れた夜の街中で、冷たい石畳の上で静かに雨に打たれていた。


「ソフィア……」


 その品々の傍、がっくりとくずおれるような姿勢でいた少年が、細く呟く。

 彼の来ている灰色のロングコートは濡れそぼって変色し、それには所々、血が滲んでいた。

 少年は地面を這いずるようにして手を伸ばす。

 そして、彼女の衣服を手繰り寄せた。数刻前まで中身のあったそれは、少年の手の中で頼りなく、くしゃりと潰れた。

 彼はそのまま、彼女の服を胸に抱く。

 まるで、既に形のない彼女を、もうこれ以上失くすまいとするように。


 ――ごめんね。


 彼女の最後の言葉が、少年の脳裏に蘇る。

 ……なぜ、彼女が謝るのか。

 助けられなかったのは、無力だったのは、自分なのに。

 しかも自分は、彼女の最期の願いすら叶えてやれなかった。

 その残酷な結末は、今も眼前で静止している。


「ソフィア……ソフィアっ……」


 また少年は彼女の名を呼ぶ。今度は、何度も、何度も。

 だが当然、答えは返ってこない。


「……ひっ……ぐっ……」


 彼女の名を呼ぶ声は、いつの間にか嗚咽に変わった。

 それは食いしばられた少年の歯の隙間から漏れ出し、雨音に交じって、しめやかに空気を震わせる。

 そして、


「ああああっ……うあああああああああああああああああああああああっ!」


 夜を裂くような、慟哭。

 その日その時。その場を支配していたのは、ただひたすらに悲しみだけだった。

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