2-2

 神の友たる 真白まつくも

 翼広げて 空を飛ぶ

 描く軌跡は 光色

 星がきらきら 降り注ぐ

 過ぎた後には 花咲きて

 約束される ももとよ

 盛りて続く 永久とわの世よ


 馬の蹄の音と、がらごろ車輪の回る音に混じって、高い歌声がライルの耳朶を撫ぜる。

『貴様、いたいけな少女に、長い旅路を徒歩で行け、などと無慈悲な事は申すまいな?』

 リルがそう主張したので、ぼろっちい幌馬車と、馬だけは元気良く走れそうな一頭を選んで買い、オルシナ湖へ続く街道をひた走っていた。三十代のおっさん狩竜士かりゅうどより遙かに年上のどこがいたいけな少女だ、と何度目かわからない突っ込みを心でしつつ、手綱を握る手に力を込める。

 聞こえて来るのはリルの歌声だ。普通にしていれば可愛らしい声なのだ。歌を口ずさんで、それが耳障りになるはずが無かった。だが、その選曲は、『真白』であるリルを讃える自分万歳の歌ではないだろうか。また別の突っ込みが割り込んで来た。

 エントコ近くの町を出て、数日が過ぎた。整備された街道に竜が出没する事は無かったが、鹿や猪、野生馬など、地元に根付いた獣が飛び出して来て、慌てて馬車を止め、幌の中で大きく揺さぶられたリルがぶうぶう文句を垂れる事は何度かあった。

 だが、それも旅の空の下ではよくある事。むしろその日の夕食になる肉がやって来てくれた、とライルは嬉々として御者台を下り、相棒の大剣を振り回して獣をしとめた。

 夕刻になって、西に連なる神の山脈ロワの向こうへ太陽が消えると、水場の近くに馬を繋いで火を熾し、狩った獲物の肉を焼いて、その晩の食事にした。

「野生の獣の肉は固くてかなわぬ。その点、人間が食用の家畜を開発したのは、大いなる進歩だの。ああ、あの柔らかい肉が食べたいの」

 リルはそう不平を言いながらも、しっかり肉を平らげ、「おかわり」と串を差し出して来るのだった。

 そんな調子だから、野宿にも苦情を放って来るかと思ったが、どっこいリルはそこに関しては、寛容と言うべきか無頓着と言うべきか、毛布一枚をかぶってごろりと横になると、あっと言う間に気持ち良さそうな寝息をたて始めるのだった。

 火の番をライルに任せて一晩中すやすや眠っているのはちゃっかりしているが、ライルも伊達に狩竜士ではない。徹夜をしても次の日それなりに動けるくらいの体力は、三十の齢を超えてもいまだにある。そこは譲歩出来る範囲だった。

 黙っていれば愛らしい、そんなリルの寝顔が炎の明かりに照らし出されるのを見つめる。そうして、こんななりをした少女が野宿にけちをつけずに眠りにつくとは、実は彼女はライルが思っている以上に過酷な歳月を過ごして来たのではないかと思い、そしてリルの過去について自分は何も知らないのだな、という考えが脳裏を横切るのだった。

 残る竜はまだまだいるのだ。その間に少しくらい、彼女の来し方を教えてもらう事は可能だろうか。

『女子の過去を詮索するとは、デリカシーの欠片も無い男め』

 と、馬鹿力でねじ伏せられるだろうか。

 規則正しい小さな寝息を聞きながら、色々と思考を巡らせる。そんな己に気づいて、自分も随分この少女に思い入れが出来たものだ、と、ライルは一人薄い笑いをひらめかせて、時折焚き火に枯れ枝を放り込む夜を過ごすのであった。


 オルシナ湖に近づいたのは、町を出てから四日を数えた夕暮れ時だった。馬車の速度を落としてゆっくり進みながら、ライルは周辺を見渡し、そして異変に気づく。

 周りを囲む植物の元気が無い。この季節なら、木々は青々と葉をつけ、草花もしゃんと背を伸ばしている頃だ。しかし今、ライルの目に映るそれらは、まるで冬の木立のように枯れた様相を呈し、草も茶色い部分が多く、花に至っては小さい蕾のまましなびてしまっているものもある。

 かすかな水音が聴こえて目をやれば、元は綺麗なせせらぎがあったと思しき場所に、ちょろちょろと申し訳程度の水が流れている。

 オルシナという最大の水源があるのに、これは一体どういう事か。明らかな異状にライルが眉をひそめた時。

「――わかっておるな?」

 幌の中からリルが御者台の方へ顔を出して、低く囁いた。彼女に言われるまでもなく、わかる。ライルとて伊達に三十年近く狩竜士をしていない。竜を倒す以外にも、人間相手の用心棒として路銀を稼いだ事は、数え切れないほどある。

 そして今、馬車を取り囲んでいる剣呑な気配は、明らかに竜や野生の獣とは違った。こちらを警戒するおびえ、隙あらば襲いかかろうという明確な意志は、人間の発するそれだ。

 いくら先に喧嘩を売られそうになっているからといえど、人間相手にいつもの得物を振り回す訳にはいかない。ライルは馬車を止め、近くの茶色い茂みをぎんと見すえて、「おい」とすごみのきいた声をかけた。途端、「ひっ」と小さな悲鳴が返って来て、がさごそ茂みをかき分け、細身の若者が尻を向けて逃げ出そうとするのが、視界に入る。

「おいこら待て。別に取って食おうってんじゃねえんだから、そんなビビるな」

 声色で脅しておいてビビるな、と一般人に要求するのも無茶な注文か。そんな考えを脳裏に浮かべながら、ライルはぐるりと頭を巡らせる。

「そこの木の陰に隠れてるのと、そこと、そこと、あとそこ。全員気づいてる。出て来いよ」

 腐っても熟練戦士。気配を感じる場所を全て顎で指し示すと、しばしの沈黙の後、観念したのか相手がぞろぞろと姿を現した。若者から壮年の男まで、年齢はばらばらだったが、どいつもこいつも、一般的な麻の服を身にまとい、刃もぼろぼろな剣や竹槍などの武器に鍋の兜という、申し訳程度の武装をして、とても戦いに赴く人間とは思えない。

「近くの村の人間かえ?」

 そんな彼らをぐるっと見渡して、リルが口を開くと、こんな小娘が偉そうな口調で訊ねて来るとは、当たり前だが思っていなかったのだろう。男達は一様に驚いた顔をしてみた後、

「……んだ」

 中でも年かさらしき髭面の男が、おずおずと頷いた。その拍子に、底がでこぼこな鍋の兜がずれる。それをそそくさとかぶり直しながら彼は続けた。

「オルシナ湖から水が来なくなってから、観光客もめっきり減っちまったから、久々の旅人を警戒してしもうただ。すまねえ」

 その言葉に、ライルとリルは同時に片眉を跳ね上げる。オルシナはこの一帯の水源として充分に過ぎる水をたたえているはずだ。そこから水が供給されないとは、どういう事なのか。

「対岸の村の連中のせいだべ」

 ライル達の疑念に答えるように、尻を向けて逃げ出そうとしていた最初の男が言った。

「あいつらが、オルッシー様への供え物をうちらより沢山やって、ある事無い事吹き込んだせいだべ。うちの村には水がほとんど来なくなっちまっただ」

 声が震えているのは、まだライルに脅された恐怖が去っていないのと、対岸の村への怒り、両方だろう。

「『水蓮すいれん』は、そんな事も出来んのか?」

 男達に聞こえないようにそっとリルに耳打ちすると、「ああ」と少女は神妙に頷いた。

「『水蓮』は水流を自在に操る能力を持つ竜じゃ。流れる先を絞る事も広げる事も、朝飯前だろうて」

 そう言って、しかし彼女は訝しげに眉をひそめる。

「だが、『水蓮』は供え物の差ひとつで水の行き先を変えるほど、人間に近い思考を持つ奴ではないはずなんだがの。そもそも、人間からの供え物をそれと認識するかどうかが怪しいぞ」

 では、この話には何か裏が存在するという事か。ライルはそう判断しながらも、村人達に怪しまれないように、平静を保った顔を向けた。

「丁度良い。俺達も水れ……じゃなくて、そのオルッシー様に用があって来た。俺達の用を果たすついでに、あんた達の村に水が戻るように掛け合ってみるさ」

 それを聞いた途端、それまでおびえと警戒ばかりだった村人達の顔が、ぱあっと明るく輝いた。

「まじか!?」

「やってくれるべか!?」

「おお、救い主が現れたべ!」

「おおお、神様仏様、オルッシー様だべ!」

 仏とは確か、ロワを越えた遙か向こうに存在する異国の、信仰対象ではなかったか。そんなつ国の存在にまで感謝するとは、この村人達は余程困窮していたらしい。

「さあ、まずはうちらの村に来てくだせえ! 大した事はできねえが、歓迎の食事を出すくらいは出来ますだ!」

 食事。それを聞いた途端、じゅるりとはしたない音を立ててリルが舌なめずりした。傍らを見下ろせば、少女は琥珀色の瞳を、期待に爛々と光らせている。

 どうか、水の枯渇したこの村の食料庫までもが、空っぽの憂き目を見ませんように。

 ライルはそっと目を閉じて、見た事も無い仏様に祈りを捧げるのだった。

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