第38話 吸血姫と猫

「蘇生不適。残念だが寿命だな」

 医師の声が冷たく響き、全てが終わった。

 もう薬師である私の出る幕はない。私は黙って処置室から出ると、廊下のソファに腰を下ろした。

 ここは隣にある病院だ。こういう場面は何度も見てきたが、やはり気分のいいものではない。

「よし、帰るか」

 私は病院を出て自分の店に戻った。そこで、いつもと変わらぬお客さんと馬鹿話に興じる私。この変わり身の早さも、ある意味職業病といえる。

 そんなある日だった。

『おい、聞こえるか』

 長剣兄ぃの声が脳内に響いた。

「感度良好。どうしたの?」

 別に声に出す必要もないのだが、誰にも聞こえない程度の小声で答えた。

『ああ、例の爆弾事件の残党どもの隠れ家が分かった。正規の王令で潰しに行く。お前さんに同行しろとは言わんが、同行するセリカとうちの罠士が渡すものがあると騒いでいる』

「分かった。すぐ行く」

 三毛に店番を頼み、私は街の外に出た。

 すると、すっかりテントを畳んで纏め、馬車に積み込んだ五+セリカの姿があった。

「あっ、来た来た!!」

「忙しい所すいません」

 罠姉さんとセリカがそれぞれ言った。

「危ない任務なんでしょ。気を付けて」

 月並みな事を言うと、二人は顔を見合わせて意を決したように何かを……はぁ。

「カレンがこれを一番嫌うのは分かっています。私たちが帰ってくるまでの間、お守りで付けていて下さいませんか?」

 もう何回目だ?

 セリカが取り出したのは首輪だった。丁寧に『カレン・ストラトス』と刺繍されている。

「やっぱり、嫌だよね?」

 罠姉さんが苦笑した。

 嫌だけど。嫌だけどさ……。

「いいわよ。その代わり、絶対に帰って来い!!」

 私のこの反応に、セリカは一瞬呆けたような表情を浮かべた。

「えっ……で、では……」

 私の首に不快なアレが巻き付くが、私はもっとデカいモノ……命に首輪を付けられているのだ。今さら、こんなのどうって事はない。嫌だけどさ。

「期間は一ヶ月を見込んでいます。三ヶ月経っても帰って来ない場合、その首輪は自動的に外れますので」

「……怖い事言わないの。ほら、頑張ってこい!!」

 そして、一行は旅立っていった。

「はぁ、寂しくなるわね……」

「そうですね」

 ちょうど通り掛かったのか、いつの間にかカモミールが立っていた。

「あの、食材の調達をしたいのですが、普段は皆さんにお願いしていて……

 ……あー。

「『街』じゃ猫缶ばっかりだし、人間の街なら馬車で数時間掛かるわよ。私は人間の馬車は運転出来ないし……」

「馬車さえ用意して頂ければ、私が動かせるのですが……」

 ……ふむ。

「ちょっと待ってて。手配出来るか聞いてみる」

 私は「街」にダッシュで戻ったのだった。


「うん、人間用の馬車?」

 ここはいつも薬草を仕入れている調達屋のお姉さんの店。

 相変わらず壁を背にして立つ癖は変わらず、耳の飾り毛が可愛いが、今その顔は珍しく怪訝なものになっていた。

「うん、大至急。普通の荷馬車でいいから手配出来ないかな?」

「……三十分で用意しよう。『街』の入り口で待っていてくれ」

「ありがとう。ちょっと、お金取ってくる!!」

「うむ」

 今度は店に戻り、だいぶ減った私のへそくりを引っ張り出していた所に、大混雑の嵐が到来。全て捌いて、手配屋のお姉さんに代金を払い、「街」の外に出た時には夜も夜中になっていた。

「お疲れさまです」

 荷馬車と言うにはちょっと立派な馬車の脇に、カモミールが立っていた。

「あれ、待っていたの?」

 私は様子を確認しに出て来ただけだったのだが、まさかいるとは思わなかった。

「はい、道が分からないもので……」

 ……あー。

「細目でも呼べば良かったわね。まあ、せっかくだから、ご一緒しますか」

「はい」

 人間用の馬車はデカい。猫ゆえに飛び乗る事は容易だが、何か怖い。

「では、行きましょう」

 手綱を持ったカモミールは、ゆっくりと馬車を発車させた。

「暗いけど、この石畳を辿って行けば人間の街に辿り着くわ」

 ちなみにだが、私が拗ねて逃げ込んだ街だ。お恥ずかしい。

「はい」

 特段話す事もなく、私はガタガタという揺れに任せて半分寝ていた。

 猫という生き物、やる事がないと寝るのだ。

「その首輪、セリカさんたちですね」

 カモミールが小さく笑った。

「ん? うん、無事に帰って来られるように願掛けだってさ。なに考えているんだか……」

 小さくため息をつくと、カモミールはやんわりした魔法の明かりの中で笑みを浮かべた。

「うらやましい人望です。私は国では、友人と呼べる存在はいなかったですからね」

 どこか寂しげにカモミールは言った。

「そうなの?」

「ええ、王族などそのようなものです」

 ふーん……。

「そっか、まあここなら飽きるほど暇な猫だらけだから、退屈はしないと思うわよ」

 実際、暇な上に珍しい近隣の住人であるカモミールに興味を示す猫どもは多い。

 ほら、好奇心旺盛だからねぇ。飽きっぽいけど。

「そうですね。皆さんよくして下さるので、本当に助かっています。あっ、分岐点ですね。どちらでしょう?」

「ん?」

 分岐点なんてあったっけか?

「ストップ!!」

 カモミールが馬車を止めた。

『細目!!』

 私は医師で細目に呼びかけた。

『なんだい?』

 のんびりと、いつも通り返答が来た。

『今どこ?』

『ん? 街で飲んでるけど……』

 よし!!

『私の位置を探って!!』

『分からないけど分かった……えっ?』

 嫌な予感……。

『そこはモーリス大平原だ。こんな夜中に何やっているんだよ!!』

 ……当たった。

 モーリス大平原とは、「街」から馬車で数時間の距離にある大平原だ。

 昼間は別に何ともないただの平原だが、夜になると……。

「あれ、妙に星の数が多いですね」

 空を見上げたカシミールが、何かを予感したのか拳銃を抜く素振りを見せた。

「やめて、あれに銃は効かない。ここは、モーリス大平原。別名『魂の墓場』よ」

 そう、ここはいわゆる「霊場」の一つではあるのだが、その力が半端なく強い。

 霧散しきれず行き場を失った魂は大体ここに吸い寄せられ、寄り集まって……。

「『星』が降ってきます!!」

「百八十度転進、逃げろぉ!!」

 そう、まるでバケモノじみた何かになって、一気に襲いかかって来るのだ。

「はい!!」

 カモミールは馬車を反転させると、猛スピードで馬車を走らせ始めた。

 対抗手段はない。逃げ切るしかない。

 背後をちらっとみると、無数の魂の塊がこちらをやはり猛スピードで追ってきていた。

 アレに捕まったらどうなるか、誰も知らない。全員、蘇生出来ないレベルまで魂を破壊され、命を落としているからだ。

 カモミールがなにかつぶやきはじめた。

 私の知らない原語だ、

「……ディーオ・エイチ・シータ・ボー!!」

 瞬間、馬が薄く光り輝き……馬車が暴力的に加速した。

 咄嗟にその辺に爪を引っ掛けられたから良かったものの、一歩遅れていたら吹っ飛ばされていただろう。

「ほぇぇえ!?」

「馬の運動能力を数分間だけ二百八十倍に強化しました」

 地面の段差を拾い、馬車が見事にジャンプした。

 し、死ぬ!!

 かくて、私たちは辛くも死の平原を脱出したのだった。


「ごめんね。寝ちゃっていたから言えなかったけど、一見すると枝道に見えるこっちが本道なんだ」

 つい忘れていた。街道まで戻ると私はカモミールを正しい道へと誘導した、

「ごめんなさい。起こせばこんな事には……」

 私が悪いのに、カモミールはしょんぼりしてしまった。

 悪い事したな……。

 まあ、あとは一本道。寝ていても着くはずだ。

「それにしても、さっきの魔法って凄いわ。身体強化系はいくつかあるけど、あそこまで極端に上げて反動なしっていうのは、ちょっと考えにくいわね」

 魔法薬でもドーピング系というのもあるし、魔法でも一時的に身体能力を上げるものはあるが、あそこまで極端なものはない。

 なぜなら、体がもたないからだ。上げた分だけ反動も大きい。

「あれですか。元々は、吸血をする時に、相手の運動能力を極端に落とす魔法だったのです。拘束する事と同義ですね」

 ……聞かない方が良かったかも。

「それを、逆転させたらどうなるかと研究していたところ、偶然出来たものです。暇でしたので」

 ニコッと笑うカモミールが何か怖い。

「ごめん、今回だけ、一度だけ言わせてもらうよ。もう二度と思わないって約束する……」

「はい」

「カモミールって吸血鬼なんだね。私、ちょっと怖い……以上」

 もう言わないからな。うん。

「ちょっとじゃないでしょう。全身の毛が立っていますよ」

 全く気にしていない様子で、カモミールは笑った。

「えっ、いや、これは生理現象で……」

 カモミールは空いている方の手で私を撫でた。

「怖がって当然なのです。そうでなければ、吸血鬼の沽券に関わります」

「……何じゃそりゃ」

 こうして、私たちは無事に街に到着したのだった。


 無事に街に入り、買い物を済ませた私たちは、安全面を考えて夜明けまで休憩する事にした。これなら、店の開店には間に合う。

「申し訳ありません。お付き合い頂いてしまって……」

 酒場でかなり遅い夕食を取っていると、カモミールがしきりに恐縮した。

「まあ、いいって事よ。あとでなんかちょうだい」

 なんて冗談を返した時、食堂の片隅で怒声が起こった。

「あーあ、酔客の喧嘩か。まっ、気にしないで……」

 カモミールがいきなり拳銃を抜いて、天井に向かって一発撃った。

 えええぇぇぇぇ……。

 一気に静まり返る店内。カモミールが静かに立ち上がり、喧嘩の体勢のまま固まっている二人に銃口を向けた。

「我が主は静かな食事をお望みだ。次は、その空っぽの頭に穴が空くぞ」

 ……いや、言ってない。言ってないから!!

 かくて、食堂は葬儀会場のように静まり返り、私はカモミールを押し出すようにして食堂から逃げ出したのだった。


「その、なんていうか、キレてぶっ放すのやめてね。ホント、頼むから!!」

 違う食堂に入り直し、私はカモミールに懇願した。

 下手すれば、捕まりかねん。

「本当に、何とお詫びしてよいか……」

 かなりヘコんだカモミールが、食べ終えた焼き魚の尻尾を、ペチペチ箸で叩いている。はぁ……。

「まあ、誰しも間違いはあるけどね。私も人の事を言えたもんじゃないし」

 職業上間違いは許されないが、それでもないとは言い切れない。

 タチが悪いことに、後で気がつくんだ。これが。

 最悪の気分になる瞬間である。

「さて、出ましょうか。少しは仮眠しないと、カモミールも辛いでしょう」

「はい」

 カモミールが代金を支払い、食堂を出たときには夜明けまで数時間という所だった。

「今から宿を使うのもバカらしいから、馬車で寝ますか」

「そうですね」

 外に駐めておいた馬車に乗り、人混みをかき分けるようにして進み、街の入り口付近の空き地で適当に荷台に移った。

 荷物は荷台の半分ほど。吸血姫と猫が寝るスペースくらいは余裕であった。

「そういえば、カモミールって王族か。こういう経験はあまりないよね?」

 あえて「元」とは言わない。王族は王族だ。

「いえ、あの島で飽きるほど経験しました」

 カモミールは小さく笑った。

「ああ、そっか……」

「よかったです。もし、あなた方とお会いしていなければ、あそこで朽ち果てていた事でしょう」

 カモミールは仰向けにひっくり返った。

「……私の国は、決して豊かではなかったですが、自然が豊富でいい場所でした。吸血鬼の国でなければ、どの国も相手にしなかったでしょうね」

 ……。

 私は黙って話を促した。

「私は祖国の復興や、人間への復讐は考えていません。これが、自明の理なら受け入れましょう。今はこの地に根を下ろす。その事だけを考えています。ですから、私の事は王族と思わないで下さいね」

「王族は王族よ。例え国がなくたって、最低限の敬意を払わないとダメでしょ」

 残念、私の頭は少し堅物なのだ。

「フフフ、どうしたものですかね。この状態で勝手に不死身にされてもなお、まだ敬意を払って頂けるのは嬉しいですが、私は少し寂しいかな」

「そう言わないでよ、『相棒』。お堅い狸で有名なんだから……」

 思わず苦笑してしまった。

「では、友情の証として、これを……。少しよろしいですか」

 カモミールは上半身を起こした、

 次いで、私も立ち上がった

「これ、母からのものなのですが」

 カモミールは首に提げていたペンダントを外した。

 軽く呪文を唱えてサイズを変え、その金色のペンダントを私に掛けた。

「ちょ、ちょっと、こんな高価なもの……」

 淡い光りの中だが、材質は明らかに金だった。

 それに、この意匠……安物ではない。

「よいのです。あなたには、友人として、私の国があったという思い出を、ぜひ共有して頂きたいのです」

 ……。

「光栄でございますってね。さて、軽く寝ましょう」

「はい!!」


「ふむ、最近バタバタしていると思ったら、色々あったようだな」

「素敵といえば、素敵な休暇でしたね」

 店の昼休み、いつものように集まってきた教授とさくらがお弁当を広げていた。

「はい、いつもの栄養ドリンク。そうそう、色々あってねぇ」

 さすがに不死身なっちゃった事は言っていないが、カモミールとの出会いやらなにやらは掻い摘まんで話した。

『先生、裏門異常なし』

『西側異常なしだよ~』

 そんな事をしている間にも、脳内に三毛と細目の声が響いてきた。

 今は人間チームがいないので、猫チームが暇さえあれば街の周辺警戒をしてくれているのだ。対価もないのに……。

『分かった。ありがとう』

「あっ、先生。私も混ぜて貰っていいですか?」

 これは珍しい、花屋であり蘇生士のシロがやってきた。

「あっ、はいはい。どうぞ」

 シロが縁台にちょこんと座った。

「おお、いいところに。お前さん、島を持っていたんだって?」

 教授がシロに声を掛けた。

「はい、ささやかですが……」

 ……ささやか?

「今度案内して下さいな。私の飼い主様が、新しく事業を始めようとお考えのようで、もしかすると、投棄されているリゾート計画に興味を示されるかもしれません」

 ……うむ、分からん!!

「私は今の状態が好きなのですが、以前の持ち主様のご意向を考えると、それもありですね。ぜひ話してみて下さい」

 どうやら話はまとまったようだ。全く分からんが。

 こうして、昼休みの時間は過ぎていった。


「さて、帰るか……」

 店を閉めて帰ろうとした時、カラカラと音を立てて扉が開いた。

「ん? シロじゃん」

 花屋はとっくに閉まっている時間だが、どこか真剣な顔をしたシロがそこにいた。

「……理由は聞きません。先生の魂、一度見させて下さい」

 ……来たか。蘇生士の目は誤魔化せない。

「どうしたの?」

 理由は分かっていたが、私は素知らぬふりして聞いた。

「先生自身がご存じかと。蘇生士として、放ってはおけません」

 シロの声に怒気のようなものが籠もる。

「分かった分かった。好きに見てちょうだい」

 シロは何も言わず、私の胸の辺りに手を当てた。

「……やっぱり、昼間感じた違和感は正解でした。先生の魂は、強力な魔法で縛られています。これでは、永劫生きる事になります」

 ……。

「蘇生士として許せない状態です。しかし、こんな魔法は私では解除出来ません。私が出来る事はただ一つしかありません……」

 答えは分かっていた。

「……禁術の不正使用を告発する事。知りながら隠したら、その者が罪に問われる。それを承知で、確認しにきたんでしょ?」

 苦笑しながら、私は言った。

 まさか、カモミールがやったとは思うまい。私が暴走したと思うのが普通だ。

「はい、私はどうしても見逃せませんでした。杓子定規でごめんなさい……」

「いいのよ。あなたはあなたの信条に従っただけ。さて、外に警備隊でもいるんでしょ、行きましょうか?」

 すると、シロはきょとんとした表情になった。

「警備隊ですか?」

「えっ?」

 今の流れだと……。

「ご存じなかったのですか。猫の法律では、禁術使用は猫缶十個没収くらいですよ。それも、面倒臭いからってうやむやにされるケースが……」

「これだから猫は!!」

 ツッコミを入れずにはいられなかった。いや、私も猫だけど!!

「一応、告発だけはしておきますが、大事ないと思います。それにしても、無茶しましたね」

「魔法の暴走事故よ。私も鈍ったわ」

 このくらいの嘘は必要だ。

「分かりました。それでは、私はこれで……」

「ああ、シロ。みんなには、私が死なない事は言わないでね」

「もちろんです。言えないです」

 シロが出ていったあと、私は大きく息を吐いたのだった。


 結局、なんのお咎めもなくうやむやにされ、数日過ぎたある日の昼休みの縁台。

 そこは、なんかよく分からない戦場になっていた。

「で、細目は結局どっちを取るの?」

 ビンビンに怒りに満ちた声を上げる三毛に、細目と巻き込まれた教授が首を引っ込めた。

 いやまあ、薄々感づいてはいたのだが、私が盛大に細目を振ってから、三毛との交際を再開させていたようなのだ。

 それは別に構わないし、悔しいが細目のペースに合わせられる子なんて、多分三毛くらいしかいない。それは認めている。

 しかし、それでも止めない私への引っ付き行動。三毛も我慢していたようだが、ついにぶち切れた様子である。

 これが第三者なら、痴話げんかならよそでやっとくれなのだが、不本意にも当事者に鳴ってしまっているのだ。この巻き込まれた体質……。

「どっちを取るもないだろ~。ほっとくと、狸はヤバいし……」

「じゃあ、私はほっといてもヤバくないと?」

 ……はあ、心底どうでもいい。

「細目~、私はいいからちゃんと交際しなさい。今は意思疎通出来るんだしさ」

 下らないので、とっとと切り上げるべく、私はさっさと口を挟んだ。

「いや……」

「だから、いや……じゃないっての。基本温厚な狸さんも怒るよ!!」

 いい加減、イライラしていた。うん。

「三毛も三毛よ。ギャーギャー騒がないで構えてなさい。どうせ、そいつの相手出来るのなんて、あんたしかいないんだからさ。付き合ってよく分かった!!」

 三毛と細目が目を丸くして固まった。

「あのさぁ、ちょうど良く教授も私もいるし、今ここで婚約でもしちゃったら? きっちり立ち会わせてもらうわよ」

 怒った狸さんは走るのです。

「こ……」

「こんにゃく!?」

 細目、ここで微妙な猫語かい!!

「ほぅ、それはいいな。細目、男をみせろ」

 教授が乗り気になってしまった。

「あら、素晴らしいですわ」

 さらに、遅れて登場のさくらも加わり、細目の退路はなくなった。

「え、えっと……」

「ど、どうしよう……」

 さっきまでの大げんかはどこへやら、急にモジモジし始める二人。

「貴重な昼休みに騒ぐだけ騒いだんだから、恥ずかしい言葉の一つでも垂れてみろ。この細目!!」

 私のこの一言で、ようやく決心したらしい。細目が三毛の手をそっと取った。

「三毛……猫缶の温度は37.5度で頼む!!」

 目を極限まで吊り上げた本気モードの細目が繰り出した言葉に、三毛以外の一同全員ずっこけた。

「……はい」

 はい。じぇねぇよ、三毛!!

 ダメだ、やっぱ細目には三毛しかいない。

 そう確信した私だった。


 色々な意味で当てられた事もあって、猫チームによる危険な夜の周辺警戒はやめてもらうことにした。なにかあったら困るからだ。

「さて、暇だしカモミールの様子でもみてくるか……」

 店を閉めると、私は歩きで街を出てカモミールの家に向かった。

 扉をノックすると、すぐに彼女は出た。

「ああ、ちょうど良かったです。一つ相談事がありまして……」

「相談事?」

「はい、中へどうぞ」

 カモミールに導かれ、私はダイニングの椅子に飛び乗った。人間サイズなので、なかなか座れない。

「で、相談事というのは?」

 カモミールが椅子に座るのを待って、私はもう一度聞いた。

「はい、なにか仕事がないかと思いまして。いつまでもお世話になりっぱなしというわけにはいかないですし、この地に根を下ろすという意味でも……」

 なるほど。

「うーん、猫の街には入れないし、探すなら人間の街だろうけど、ここから通うのはキツいわね。引っ越す?」

「いえ、私はあくまでもここに……」

 ふむ……なんか、いいのあったかな。あっ!!

「ちょうど、おあつらえ向きのがあった。呼んでくるから、ちょっと待ってて!!」

 私は、一度「街」に引き返したのだった。


「……」

 相変わらず、どこにいても壁を背にして立ったままのスタイル。

 そして、やっぱり可愛い耳の飾り毛。

 そう、連れてきたのは、他でもない調達屋のお姉さんだった。

「あ、あの、初めまして……」

 その異様な雰囲気に、カモミールもどうしていいか分からないらしい。

「……話を始めてくれ」

 なんで私が!!

 とか言っちゃいけない。帰っちゃうから。

「彼女に自己紹介は不要よ。『街』で色んな物を調達してくれるんだけど、最近になって運び手が引退しちゃったみたいでさ。人間サイズの馬車を運転出来る人を探していたみたいなの。私みたいに『クラリソーネ五十個、十分で!!』とか無茶言う顧客ばかりだし、楽じゃないと思うけど、やってみる?」

「……パーフェクト」

 自分で言え!!

 とか言っちゃいけない。帰っちゃうから!!

「はい、喜んで」

 二つ返事でカモミールは了承した。

 そこで、初めてお姉さんは壁際を離れ、カモミールの目をジッと見上げた。

「……悲哀と決意か。悪くない。いいだろう。報酬は一回につき二十万だ。物や条件によってプラスもある。楽ではないからな」

 それだけ言い残すと、調達屋のお姉さんは去っていった。

「な、なにか、凄い迫力の方でした……」

「いや、そうなんだけど、二十万の仕事ってヤバい気が……」

 まあ、いいけどさ。怖い怖い。

「さてと、就職祝いになにか持ってくるわ」

「いえいえ、お気遣いなく。本当にお世話になってばかりで……」

 申し訳なさそうな表情を浮かべるカモミールに、私は小さく笑みを返した。

「なーに、気にすんな相棒。いや、友人!!」

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