第2話 雨中の猫

「はぁ、雨かぁ……」

 私たちの天敵の一つは雨。一本一本の被毛が……なんて面倒な話しはいい。単純に濡れて肌に張り付き、とにかく気持ち悪いのだ。

 そんなわけで、今日は念願叶って暇なわけだが、なんとなくシケっぽい空気がヒゲに纏わり付いて、あまり気分は良くない。

 こんな時は、作り置きの薬を作るに限る。一般的に使われる薬は、咳止め、鼻水、鼻づまりなどなど、いわゆる風邪薬だ。

 風邪を馬鹿にしてはいけない、肺炎など起こせば命取りになりかねないし、鼻呼吸が基本である私たちには、鼻づまりはかなりの問題なのだ。

 使った分の補充が終われば、さて……暇だ。

「さてと、勉強勉強っと」

 この街で……いや、この国の薬師で三本の指に入ると、誰かが勝手に吹聴しまくっているようだけど、私はそんなに上手くはないと思っている。隙間時間に勉強は必須だ。

「うーん、『異界転移』に『異界転生』……やめとこ。もはや、薬の領分じゃないし」

 なかなか楽しいフレーズではあったが、薬でどうにか出来るものではない。薬学学校始まって以来の才女と言われたりもしたが、それはあくまでも学校の成績。しがない街の薬師には、手に余る。

「さてと、お次は死霊術と蘇生術か。うーん、蘇生は覚えておいて損はないかな」

 薬だけで蘇生できたら、そんな素晴らしい事はないだろう。手っ取り早く魔法を覚えた方早いのだが、私はあくまでも薬にこだわる。だって、私は魔法使いではなく、薬師だから。

「蘇生法 術式は……えっと」

 私のやり方。それは、魔法書に書かれた呪文を単語単位にまで分解し、魔法薬学的な意味を持つ文章に再構成して処方を導き出し、薬草をかき集めて調合する。失敗したら、また薬草の配合を変える。その繰り返しだ。薬師とは研究者でもある。

 そんなことに熱中していると、お客さんがやってきた。太いフサフサ尻尾が印象的なノルウェージャン・フォレストキャット様だ。この『街』の住人ではない。

「はい、どうされましたか?」

 いらっしゃいと言ってはいけない。好ましい理由で薬屋に来るお客さんは、絶対にいないからだ。

「あの、あなたが『狸面』の先生でしょうか?」

 ……そっちルートね。はいはい。

「そう呼ばれるのは私だけですね。違う街の方とお見受け致しましたが……」

「はい、隣の『村』からきた者です」

 ……人の事は言えないけれど、住んでいる場所に名前くらい付けようよ。

「それは、遠路お疲れさまでした」

 隣村までは歩きで半日。決して近い距離ではない。

 私はお茶を淹れて勧めた。特になんの変哲もないお茶……のはずだったが。

「うにゃぁあ!?」

 ……あれ?

 よく見たらお茶缶ではなく薬瓶だった。『猫薬局方 またたび粉』。局方品なので、純度99.9%だ。

「あちゃぁ……」

 ノルウェージャン様が、用件の前に前後不覚になってしまった。十五分くらいで抜けるはずだが……。

「これって、医療事故かしら?」

 もちろん、答える者はいなかった。


 さて、ハプニングはあったが、ノルウェージャン様をと医者を乗せて私は馬車を操っていた。薬草運搬用の荷馬車なので、乗り心地は悪いが歩くよりは速い。

 用件はこうだ。村長の娘が急に倒れて意識不明、村の薬師では手に負えないとの事。

 こういった「往診」は、近隣の村からよく依頼が来る。その度に、聞いた情報から必要になりそうな薬草などと一緒に、隣の病院の医者を馬車に乗せ、こうやって出かけて行くのである。

 その場で対応出来るならよし。ダメなら、街の病院に委ねることになる。

「あっ、見えてきました!!」

 村の入り口にはテントが張られ、患者さんがスタンバイしているようである。

「村長の家は狭いので、あらかじめ手配しておきました」

 うーん、場合によっては動かさない方がいいんだけどなと思いつつ、私たちは数分後にはテント前にいた。この村、全員ノルウェージャン様だ……珍しい。

 って、まあ、仕事仕事。シュタッっと、年齢を感じさせない身のこなしで馬車から飛び降り、意味もなくニヤッと笑みを浮かべている白衣のジジイ……医師は無視して、私は緩やかに呼吸を続ける村長の娘さんに近寄った。

「念のための確認ですが、こちらが患者さんでよろしいですね?」

 取り違え防止の観点から、私は近くにいた恰幅のいいノルウェージャン様に聞いた。

「私は父親だ。間違いない、その子が娘だ。何とかならぬだろうか?」

 父親ということは村長か。まあ、それはいいとして、私はさっそく診断を開始した。

 ……ぬっ?

「ドクタ~。いつまでも格好付けていないで、サッサと診察を。私の簡易診断でははっきりしません」

「ちょっとくらい、相手にしてくれても良かろうに。これだから、若い者は……」

 ブチブチ言いながらも、プロフェッショナルな仕事をするのがこの医師だ。

「ふむ、ここでは限られた手当しか出来ぬ。最終的には街にあるわしの病院に入院という形になるが、よろしいかな?」

 だから、無駄にニヤリと笑うなって。

「あ、ああ、お願いしたい。それほど重症なのか……」

 村長が少したじろいだ。ほら、そんな顔するから……。

「腎臓が少々やられておるが、今ならば治せる。おい、狸。クラリキーネ、それと、モリスタン!!」

 誰が狸じゃ!!

 なんて言ってる場合じゃない。どっちの薬も劇薬だ。少しでも配合を間違えれば、この子は間違いなくあの世に吹き飛ぶ。そんな微妙な配合をこんな荷馬車の上で、しかも雨が降る最悪の天候で……やってしまうようなクレイジーな薬師が私だ。

 サササッと配合を終え、魔法で最終調整。掛かった時間は二分くらい。

「相変わらずいい腕しておる。さて‥‥」

 私から薬を受け取った医師が患者さんに注射し、これで取りあえず一安心。あとは荷馬車に寝かせ。街の病院へと急ぐ。当然、お父様も同行だ。

 急ぐあまり、馬車が跳ね上がるたびに患者さんも跳ね上がっている気もしたが、多分気のせいだろう。伝え聞く人間の救急車もこうだと聞くから、なんの問題もない。カバーなんてないから、雨ざらしにしておく方が問題だろう。

 一時間強で病院に到着した段階で、薬師の仕事は終わりだ。店に戻り、濡れた体をブルブル震ってから、カウンターの裏に戻る。今日はもう仕事をした。これ以上来るなよ‥‥。

 しかし、私の願いはまたしも‥‥。

「あの、お腹が‥‥」

 雑種様といったらなにか馬鹿にしているようなので、茶トラのミックス様がやってきた。かなり辛そうである。もう!!

「はい、少々診させて頂きますね……。あれ、食中毒か自家中毒か‥‥。なにか傷んだ物を食べた心当たりは。どこか外食などは?」

 飲食店が原因の場合だと、役所に連絡する義務がある。

「ああ、そういえば三日前の缶詰‥‥」

 ……食うな。そんなの!!

「恐らく、それが原因かと。薬では治せないので、水分補給だけはマメにしてゆっくりして下さい」

 残念ながら、食あたりの薬はない。あっても、作るかそんなもん。寝てれば治る!!

「そうですか……」

 ミックス様は辛そうに帰っていった。

「ああもう、今日はクローズ!!」

 こうして、私は店を早じまいしたのだった。こういうところも、猫的でしょ? なんちゃってね。

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