坂本家のちょっと変わった姉弟事情

蓮水 涼

弟の心境


 ――もしも、人の心を読めたなら。

 

 そう思ったことがある人は、たぶんたくさんいるのだろう。


 そんな人たちに俺からアドバイス。

 やめとけ。絶対に、やめとけ。ろくなことないから。

 いやほんと。マジでなんも良いことないから。だってほら。現に今も――


「あの、恋愛運を見てもらいたいんです」

(この結果次第で先輩に告ろうかな……)


 ほら、知りたくもない事実を聞かされた。

 ああ、グッバイ俺の淡い何度目かの恋。始まった当日に砕け散ったのは初めてです。先輩って誰ですか宮崎さん。そこんとこも内心で思うだけでいいんで教えてくれると助かります。

 あ、やっぱやめて。余計傷つきそう。

 

 ちょっぴり泣きたい気分を押し隠して、俺は目の前の彼女に言う。


「……もしかして、あなたは年上の方に好意を寄せているのではないですか?」

「! そうです! どうして分かったんですか!?」

(そりゃあ、あなたの心の中が視えてますからね、こちとら)


 もちろんそんなことは言わないけれども。とにかく俺は曖昧に笑んでみせた。お淑やかに、気品ある女がそうするように。

 だって今の俺は、誰から見ても"女"だから。

 それに対して不思議そうにきょとんとする彼女は、まるで小動物のようだ。


(そんなところがかわいいと思ったのに……!)


 しかし残念ながら、彼女はすでに他の男に夢中らしい。

 な、言っただろ? これだから人の心なんか読めなくていいんだ。せめてもう少しくらい夢見させろよ。気になる子ができたその日に夢破れるってマジないわ。

 

 これが初めてだったなら、まだ俺も立ち直ることができただろう。けどもう、両の手では数え切れないほど繰り返してきたこの失恋の仕方に、俺はそろそろ根を上げたい。


 

 人の心を読んでみたいと思ったそこのあなたへ。

 お願いします。ぜひとも俺から、その能力を奪い取ってはくれませんか。俺は喜んでこの面倒な力を差し上げましょう。

 

 ……ほんと、一生のお願いなんで。



 * * *



「おいクソ姉貴、俺もうぜっっったい占いとかやらないから。なんで俺が女装してまであんな無意味なことやらなきゃなんねぇの? おまえの店なんだからおまえがやれよ」


 鬱陶しい作り物の長い黒髪を脱ぎ捨てて、俺はソファでくつろいでいた姉にそう吐き捨てた。

 何回目とも知れぬ失恋を味わって、俺の心は荒れている。だから宮崎さんを占った後、俺はすぐさま店を閉めて、同じ敷地内の二階にある居住スペースへと上がってきた。

 

 すると、俺とは似ても似つかない色素の薄い瞳が、ゆっくりと俺を振り返ってくる。

 自宅だから仕方ないかもしれないが、ゆるいTシャツに短パンと、それはまあ無防備な格好でいらっしゃるものだから、さらに俺の苛々は増していく。


(おい、人に仕事押し付けといてなにらくしてんだ、この女)


 テレビから聞こえるアイドルの声。人気絶頂中らしいその男を、彼の見た目は奇跡のなせる技だと熱弁していたのは、今俺の目の前でニヤリと悪どい笑みを浮かべたこの女だ。


「なに。その様子だと、もしかしてまた失恋しちゃったの? ゆうくんは」

「ゆうくん言うな」

「いったい何回目? ついにお客さんに恋しちゃうほど学校の女子は経験済みって?」

「誤解を招くような言い方すんな。だいたい今回のは客じゃなくて、クラスメイトが客だったんだよ」

「あらら。それはドンマイ」


 からからと笑って思ってもなさそうなことを言われる。マジでムカつくんだけど。

 てか本当に思ってないよこの女。どういうこと。


 俺こと、坂本侑二ゆうじ18歳は、こう見えてもガラスのハートしか持っていない。丁重に扱ってくれないと簡単に粉砕する。化学の実験で顕微鏡レンズとの距離感が掴めず、簡単に割れてくれた面倒くさいプレパラートのように。

 

 そして俺を笑うだけ笑ってまたテレビに視線を戻したこの女は、坂本夏希なつき18歳。一見同い年だが、今年大学生になったばかりで、俺のひとつ上。

 姉、と言いたいところだが、正確には俺の義姉である。

 俺の母親の再婚相手の、その娘というわけだ。

 

 両親とも医者である俺たち新しい家族は、新婚の二人の仕事が忙し過ぎて、家には俺と姉貴の二人でいることが多い。

 だからこそ姉貴は、大学に通うかたわら、小遣い稼ぎで占いなんかをやっている。

 無駄に広く、もともと一階は全て客間になっていたから、その一部屋を仕事場にしてしまった娘に残念ながら放任主義の義父も母も何も言わなかった。


「でもゆうくんってさぁ」


 俺が何度言ってもやめない呼び方で、姉貴がテレビ画面から視線を外さないで問いかけてくる。


「惚れっぽいわけじゃないよね? 失恋は多いけど」

「いや、言ってる意味分かんねぇよ? つーか、なんで俺が惚れっぽいわけじゃないって思うんだよ」


 自分で言うのもなんだが、俺はわりと惚れっぽいほうだと思う。

 高3になって3ヶ月が経つが、その間すでに5人に振られている。だがもちろん、告白は一度もしたことがない。する前に失恋が確定するのが最近のお約束だ。


「うーん、だって、お義母かあさんが言ってたよ? 『侑二は中二病だから無口な俺かっこいいとか思っちゃっててつまんなかったのよねー。だから義娘むすめができてくれて嬉しい!』って」

「おい何言ってくれてんだあのクソババア。誰が中二病だ。だいたい中二病ってのはなぁ」

「それはまあ置いといてもさ。実際会ったばかりのゆうくんって、かなり暗かったでしょ? 何事も我関せず、みたいな? 今とは大違いでさ。こう言っちゃ失礼かもだけど、そんな活発に誰かを好きになるところ、正直想像もしてなかったわけですよ、お姉ちゃんは」

「……」


 そう言って、最後はちゃんと俺を見て意地悪く口端を上げる姉貴に、俺はいたずらがバレた子供のようにバツが悪くなって、逃げるようにキッチンへと向かう。

 

 まあ確かに、昔の俺は暗かった。というより、高校に上がるまでは暗かった。親とでさえあまり口を聞かず、無表情がデフォルトだったのだ。

 いや、正直に言おう。実は今でも、学校ではそんな感じだ。でないと情報量の多さに脳がパンクしてしまう。

 聞きたくなくても聞こえてくる"こえ"が、酷い雑音となって勝手に頭の中に侵入してくる。

 そのせいで、現実に話しかけられているのか、それとも心の聲が聞こえているのか、区別がつかないときもある。

 だから俺は一人でいたくて、無難な感じに一匹狼を装っている。孤立し過ぎないよう、でも誰かとつるむこともないように。その点においては、俺のこの面倒な力は大いに役立ってくれたので、感謝しないこともないだろう。

 ……まあ、そうせざるを得ない理由を作ってくれたのも、この力なんだけどな。


 だから、本当は。

 ぶっちゃけ、誰かに惚れたとか、ないんだ。

 

 全てが偽りで、周りがかわいいと噂している子全員を、自分もそうだと思うようにしているだけである。

 そうでもしないと、この新しい家族ではやっていけなかったから。


「ゆうくんも、年頃の男の子ってことかな?」


 そう言いながらまたもテレビに向き直ってしまった姉貴は、ただ俺をからかいたいだけで、本当の意味で興味なんてないのだろう。

 あいつの視線は今日もイケメンアイドルに釘付けだ。

 そんな現実を視界から消したくて、コップに注いだ水を一気にあおり、喉を潤してから俺は答える。


「……当たり前だろ。健全な高3男子なめんなよ?」

「あははっ。じゃあそんなこと言う君に、特別大サービスだ」


 すると、姉貴が座っていたソファから立ち上がって、キッチンにいる俺のところにやって来た。

 それから俺のすぐ目の前で止まると、俺より背の低い姉貴は必然、俺を見上げる形になる。

 

 風呂にはまだ入っていないはずなのに、なぜかいい匂いが鼻腔をくすぐる。

 あ、これあれだ。姉貴が前に欲しいって言って買ってた香水だ。男の意見が聞きたいとか言われて、俺も買い物に付き合わされてがされたから間違いない。

 ここぞというときにつけるんだ、と言っていたが、まさか今日、その「ここぞというとき」があったのだろうか。

 だとするなら、それは。姉貴が好きな奴に会ったということに他ならない。


(くそ、失敗した。こんな甘い匂いじゃなくて、どうせなら鼻ももげそうなほど異臭のするやつを勧めればよかった)


 ぼーっとそんなことを思っていると、姉貴の手がこちらに伸びてくるのが視界の隅に映る。

 その手が俺の両頬を掴んだかと思ったら、少し強引に顔を引っ張られて、額に固い感触が伝わってきた。

 同時に、あの甘い匂いもいっそう強くなる。


(……なんだ、うん、よかった……)

「……は?」


 視界いっぱいに広がるのは、姉貴の安心したような瞳と高い鼻筋だ。というか近過ぎて状況把握ができない。

 今聞こえてきた姉貴の"こえ"は、はたしてどちらの"こえ"だったのだろうかと困惑する。

 

 わけが分からず固まっていると、額にあった温もりが遠ざかったのが分かった。

 だんだんと姉貴の顔全体が見えるようになってくると、そこでようやく俺は自分が何をされていたのかを理解した。

 どうやら額に額をくっつけられていたらしい。


「うんうん、今日もゆうくんはゆうくんで安心したよ、お姉ちゃんは」


 姉貴はたまによく分からない。


「大サービスって、まさか今のが?」

「当然でしょう。華の女子大生と急接近! 泣いて喜びなさい、少年」

「あー……ハイ、ナイテヨロコビマス」

「棒読み!」

「……悪いけど、俺課題あるから部屋行くわ」

「ちょっと! せめてもう少し動揺とか照れとかないの!? つまんないよ男子高校生!」

「うっせ。そもそも姉貴にそんなことされて喜ぶ奴がいるかっつの!」


 捨て台詞を吐いて、足早に自分の部屋へと駆け込んだ。そして確実にドアを閉めたのを確認して、そのままベッドにダイブする。


「〜っカじゃねぇのあいつ。男子高校生なめんなっつの」


 動揺なら、本当はこれ以上ないくらいしていた。

 照れなら、それを通り越して頭の中が真っ白になったくらいである。


 

 俺は、別に惚れっぽいわけじゃない。

 それでもそう見せているのは、単に俺が本当の片想いをしているからだ。

 あの、人をからかうのが趣味の、2年前に新しく家族となった、義姉に。

 

 きっかけはいたってシンプルで、初めて義姉として紹介されたときに見た、あいつの笑顔だった。

 ただただ、とにかく惹かれた。何がそうさせたのかは分からないが、そのときは周りの"雑音"も消えてしまうほどの衝撃だったのを覚えている。

 

 いわゆる一目惚れというやつだろう。

 

 笑うとできる、左頬のえくぼも。

 ちらりと覗く、控えめな八重歯も。

 思わず抱きしめたくなるほど、ドストライクの顔だった。

 

 でも今になって思うと、人の心が読める俺が、唯一ゆいいつ人に恋できるところと言ったら、もうそこだけだったのかもしれない。

 人の"心"は俺にとって現実を見せるから、夢を見させてくれるのは、もう好みど真ん中の"顔"だけだ。

 

 俺を最低な男と罵りたいならどうぞ罵ってくれ。人は見た目じゃないとか言う奴、じゃあおまえ本当に見た目は1ミクロンも考慮しないんだな? 絶対だな? ありえないから早めに投降しとけ。メラビアンの法則ってのも世の中にはあるんだぞ。……いや、あれは誤解だったか?

 

 まあとにかく、バカなことに、俺は自分の義姉となった人を、本当に大バカ者だとは思うが、好きになってしまったようで。

 心の声を聞けばすぐに冷めるだろうと思っていたこの熱は、しかし自分でも驚くほどなかなか冷めてくれなくて。

 

 

 そして例に漏れず、俺は早々に自分の力のせいで、義姉に好きな男がいることを知ってしまったのだった。





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