想いから逃げて


「ねーなんにする?」「やっぱLポテっしょ」

「わたしはシェイクだけにしとく」

「あー香奈子ウエストやば気味だもんね」

「気にしてることいわないのー」

「ナホはー?」

「あー、私は……」

 ファーストフードの店内は奈帆たちと同じようなティーンエイジャーがたむろしていて、甲高いさえずりが飛び交う。

 メニューを見上げながら言い掛けたとき、背後から声がした。

「た、田端さん……」

 たどたどしく、少しねっとりとした声。

 弾かれたように振り返ると、果たして河津ミツオのやや前かがみの姿があった。

「ど、どうしたの、河津くん」

 声が揺れる。店内の喧噪、フライドポテトの揚がる匂いが遠ざかり、丸裸で放り出されたような恐怖と羞恥が心臓を鷲掴みにする。

「た、田端さん!」

 たどたどしい、が素っ頓狂な大声がざわめきを破って響く。

(やめて……やめてこんなところで)

「ぼくは! ぼくは、本気、です。ぼ、ぼくの下手な手紙じゃ、伝わらないかも、だけど……」

 顔を真っ赤にして、熱っぽく奈帆を見つめ、必死に動かす大きな唇の間からは唾が飛んでいる。

「ぼくは、田端さんが、好きです。どうか……」

(ちょ、ちょっと……!)

「ぅーわ、マジだよ、こいつ……」

 呆然となっていた奈帆の耳に、周りの友達の声が戻ってくる。

 首を巡らして彼女たちに視線を送る。このまま彼女たちが彼の思いを非難して、否定してくれればーー

「うーん……こりゃ処置なしだわ」

 だが彼女たちはある者は肩をすくめ、ある者は頭を振ると、互いに目配せをして奈帆とミツオから一歩身を引いた。

(……え?)

「ナホー、あたしらお邪魔みたいだから先帰るねー」

「やっぱこーいうのは、二人だけで話すべきよ、ね」

「じゃ、ま、そういうことで」

「また明日ね」

 あらかじめ打ち合わせしていたかのように滑らかに言葉を並べると、友人たちは滑るように自動ドアを潜り抜けてしまった。

「ちょ、ちょっと」

 虚しく伸ばした手を引っ込める。

(ちょと、まって待って!? 味方してくれるんじゃないの? あんなに河津くんのこと悪く言ってたじゃない)

「こ、これで、二人だけ……だね」

 恥ずかしそうに笑いかける河津だが、他の客の少なからぬ視線が二人に向けられ、ひそひそと声も漏れ聞こえてくる。

(こ、こんなの……)

「か、河津くん、えっと、その……」

 こんなところで迷惑だよ、困るよ、気持ち悪いよ、好きなんていうのやめて。

 そう口に出せればどんなによかったろう。ただパニックに陥り、あるいは「いい子」でいたかった奈帆は、何度も回りを見回した後、突然自動ドアめがけて駆け出した。とにかくその場から逃れたかった。

「まって、田端さ――」

 彼の声を振り切る。試合中でもこんなにはならないというくらい心臓が脈打ち、ときめきとは程遠い熱が体を巡って、息が切れた。

気づけばバーガーショップのある通りから大きく外れ、日当たりの悪い、あまり通ったことのない狭い路地に迷い込んでいた。

「はぁ、はあぅ、はぁ……」

 陸上部の友達に見られたら笑われるような無茶苦茶な走り方の結果、肩で息をしながら足をゆるめ、たまたまそこにあった古ぼけたベンチに崩れ落ちる。

「はあ……」

(これからどうしよう。手紙やメールだけじゃない、直接来た……明日、学校でもあんな感じだったら……?)

 最初に不用意に思わせぶりな行動をしなければ、あるいは最初に告白された際にきっぱりと断っておけば。

 その考えを受け入れるには奈帆はまだ子供過ぎた。頭の中で不安だけが渦巻き、ローファーの足元だけを見つめていた。

 

 どのくらいそうしていたのか、辺りがより一層陰り、肌寒い風が首筋を撫でた。

「さっむ……」

 首を縮め、ベンチから立ち上がる。ともかく家に帰らなければ。

 俯いていた顔を上げると、

「あれ……ここ、どこ?」

 がむしゃらに走ってきたためか、日が暮れかけているからか、自分がどこから来たのか分からない。

 コンビニでもあれば道を聞こうと思ったのだが、路地裏にはよく分からない店や、見知らぬ住宅の裏口しかない――と思ったが、ふと灯りの一つに目が引き寄せられる。

「こんな店、さっき見たかな……」

 その店は、異様な佇まいをしていた。軒先がやたらと狭く、両脇の建物に挟まれ押しつぶされたように縦に細長い。窓の数から二階建てのようだが、隣の店舗の一階と二階を合わせた高さよりずいぶんと長い。各階の天井は妙に高い位置にありそうだ。

 奈帆は目をこすってみたが、見間違いではなかった。やたらと細長い店は確かにそこにある。そっと近づいてみると、手書きの看板がこれまた細い、黒塗のドアに吊るされている。

「なつかしの古本屋 のすたるじいや……? ヘンな名前」

 とにかく道を聞こうと思って細長いドアを押すと、思ったより重い音を立てて軋んだ。

 天井から下がった小さな豆電球一つに照らされた店内をそっと覗き込む。戸口は狭く、奥に向かって細長い。壁の両側には黒い木の棚が並んでいて、大きさも色もバラバラの本が無造作に差し込まれている。

「こ、こんにちは……ちょっと道を……っう」

 かび臭さと埃臭さがむっと鼻を覆い、戸口で躊躇っていると、影になっている店の奥から声がした。

「ようこそ、や。迷える子羊のお嬢ちゃん」

 関西弁の、面白がるようなイントネーション。

「迷ったんは帰り道か? それとも恋バナがらみか?」

「ど、どうも……って、え……?」

 言葉の意図が読めず戸惑っていると、闇の中から声の主が滑るように姿を現した。

 暗がりに溶け込むように真っ黒いパーカーを羽織り、漂白した象牙のように真っ白い髪を胸元に垂らしている。にやにやと笑みを浮かべている顔は血の気の失せたように白く、釣り上げた唇にはほとんど色がない。白さと黒さがあまりにも際立っていて、目がちかちかした。

「夏樫孤々菜や。よろしゅうな」

 笑みはそのままに、彼女は一枚の名刺を投げてよこした。黒い紙に白い文字で「古本屋 のすたるじいや 店主 夏樫 孤々菜(17)」と書いてある。

「は、はあ……」

「なんや急いで駆け込んできてそこに座っとるのが見えてなあ。えらいつらーな顔で入ってきよったからなんやあったんかなあって思うたんや」

「え……見てた……んですか?」

「タメ語でええよー、見たとこ同い年くらいやろ?」

 とは言うが、目の前の白と黒の彼女からは自分のような高校生のような雰囲気よりは、むしろ浮世離れした空気をまとっていた。

「じゃ、じゃあ、見てたの?」

「うんうん、バタバタバタバタ、まるで誰かから逃げとるみたいやったなあ。その後なんやぽっちゃりした男の子がどたどたどたどた走ってきて、アンタとは別のとこ行ってもうたわ」

「河津くん……」

「そのおデブちゃん泣きそうな顔やったでー? アンタがフッたからちゃう?」

 なおもからかうようににやにやし、彼女は……夏樫は奈帆の顔を下から覗き込む。夏樫は頭ひとつ分背が低かった。

「ち、違っ……いや告白されたのは確かだけどっ」

「ふーん? まんざらでもなかったりするん?」

「いや、わたし好きじゃないよ、河津くんのことっ」

 早口で言い切ってから、自然と本音が出てくることに驚く。

「断りたいのに、すごくぐいぐいくる、から……」

「ふーん……せやったら、ウザいんやな」

「えっ」

「アンタは、好き好き―っていうてくるあの子が、イやでうっとうしー、追っ払いたい、そうやろ」

「そ、そこまでは言って……」

 ただ、自分の気持ちがたやすく河津ミツオという男子を攻撃するものにつながることを、否定は出来なかった。

「なあ、お嬢ちゃん。ええホンあげよっか。アンタ、イヤなんやろ?あのぶーちゃんに好きですー言われて」

 体を近づけ、いたずらっぽくこちらを見上げた夏樫は、背伸びしてそっと奈帆の耳にささやきかけた。ぱっちりとした目の黒い瞳はどこまでも黒くて、吸い込まれそうになる。

「ホン……?」

 一瞬何を言われたのか分からなかった。

「そう、本。うちは古本屋やから、本はぎょうさんあるで」

 さっと奈帆から離れ、左右に並んだ本棚を手で示す。

「で、でも本を買っても……」

 意味なんて、と言おうとしたとき、夏樫は左の本棚に手を伸ばした。

「せやけど、魔導書やったら?」

「魔導書? 魔術でなんとか出来るの?」

 夏樫は、白い顔にいっそう深く笑みを刻む。

「そうや。ガッコじゃ教えてもらえへん魔術ならな」

 指をかけ、引っ張り出した古い革表紙ハードカバーの本を取り出し、片手で奈帆に差し出す。

 深い緑の下地に、角ばった飾り文字のアルファベットでタイトルが並んでいる。豆級の灯りが、剥げかけた文字の銀箔を照らし出す。  

「 Das Marionettentheater 0556」。そう記されていた。

「あの……夏樫さん。この魔導書、なに?」

 緊張した声で問うと。

 夏樫は、夜よりも黒い髪の少女は笑んだ。


「開いてみてのお楽しみ、や」


 愉しくてたまらないと、悪魔のように。

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