生き残った特攻隊員

 橋本は出撃の命令をされた。司令官から口頭で名を呼ばれた数名が特攻隊として出撃することになる。それは死を宣告されたのと同じ。誰も恐怖を口に出来なかった。「死にたくない」などと口に出せばどんな目に遭うか、想像しただけで寒気がする。


 特攻隊として名を呼ばれた橋本は大きく歓声を上げてはしゃぐ。橋本以外の数名も同じ。そうやって自分を鼓舞して勇ましく元気に振る舞うのがお約束だったからだ。国のためにと喜んで命を捧げること。それを望まれる時代だった。


 特攻隊出撃が発表された数名のために、ささやかな宴会が開かれた。でも橋本はどんなに酒を飲まされても酔うことなんて出来なくて。結局一人、兵舎の隅に座って死の恐怖に泣いた。声を出して泣けば司令官に見つかるため、声を押し殺して身体を震わせる。


 翌日、橋本の出撃の日であり国のために死ぬ予定だった日。橋本と他の特攻隊員は身支度を整えて航空機の前に待機していた。片道分の燃料しかない航空機は橋本には処刑の道具に思える。覚悟を決めて航空機に乗ろうとした時、それを止める声がした。


「玉音放送を待て」


 橋本と数名の特攻隊員は航空機から降りてその近くに整列した。司令官がラジオを持ってやって来る。玉音放送を聞いたのは航空機の近くだった。司令官に怯えながらも玉音放送を待った。


 玉音放送が終わると橋本は呆然とした。日本は負けた、長かった戦争が終わった。そう聞いてもすぐに受け入れることは出来なくて。最初は玉音放送がイタズラかと思った。反応に困って他の者を見ると、皆同じように真顔だった。


 司令官は玉音放送を聞き終えるとその場に崩れ落ちた。右手で両目を覆い、身体を震わせながらも必死に声を抑える。その様子を見てようやく橋本は「今日は死ななくて済む」と実感を得る。それと同時になんとも言えない虚無感が橋本を襲った。


 昨日までは特攻隊として一矢報いることを考えていた。死ぬのは恐ろしいが、敗戦の方が恐ろしかった。それが今はどうだ。天皇の肉声で日本の敗北を知らされ、終戦すると言うではないか。もう国のために死ななくていいと、言うではないか。


 多くの仲間が戦地で命を散らした。彼らはもう帰ってこない。橋本を襲ったのは、死んでしまった仲間に対する罪悪感。


「生き残って、すまない」


 死んだ仲間に向けて発した言葉は、誰に聞かれるわけでも無く大気の中に消えていった。

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