10-3 明けかざす月


 お稽古の帰り道、川沿いを夏音と二人でお散歩しながら、涼しくなってきた風を感じています。


 民謡は、日本の自然と深くかかわっています。

 わがふるさとを想い、踊りながら四季の風を感じます。

 夏の終わりに静けさが近寄ってきて、揺れるすすきの穂に、人の腕の動きを重ねてみます。風の流れを体で表現していく趣がすきです。


 自然は、口に入れるものにも感じ取れます。おいしい旬のものっていいですよね!

 今晩の夕食は何かなぁ、秋刀魚にすだちをかけてきゅっとか。

 なんてことを思い描く道の途中、駄菓子屋さんに寄って「きなこあめ」と「べっこうあめ」のどちらにするか迷っていると、隣で夏音がくすくす笑っているの。

 まるで「いつまでもこどもだな」って言ってるみたいに。


 なのに唐突に「髪飾り、似合ってるな」なんて言うものだから、私はまっすぐに夏音が見られなくなってしまいました。

「ねーねー、まるい硝子瓶に入ったお煎餅ってどうしてしけないのかなー。魔法だよね!」

 とか何とかその場を濁して、ぱっと離れてしまいました。

 急にそんなやさしい目で見られると、だめです。


 ぎゅっと手を引っ張られ、「寄ってくだろ?」と「こころ屋」さんの紺の暖簾をくぐる夏音にうなずいたものの、どきどきが止まりません。

 いつもの白玉あんみつがちゃんと喉を通らないよ。赤いつやつやのさくらんぼがこっちをじっと見てますー。

 前に女子たちの会話で話題になった「さくらんぼの茎を口の中で結べたらキスが上手という伝説」を試してみた時のことを思い出していました。

 あの時、結べたらハズカシイノデ、結べなかった振りをしたのでした。

 

 あの故郷での夜のキスのことは、ちゃんとわかっています。

 あれは、心配したから、私が泣いていて慰めたかったから思わず、しただけなんだよね、夏音?

 でも最近のあなたの目を見ていると、それだけじゃないのかな、なんて期待してしまう私がいます。


 隣を歩く夏音が、ふいに私の手を繋ぎました。

「あのさ」

「なあに」

「すきだよ、そういう髪飾り。か、可愛いな」

「えー。ほめてるのはリボンなのー?」


 やっと言ってくれた「すき」や「可愛い」は、私に向けてほしいのにぃ。

 ふくれっ面をしていたら、ふいに頬にあたたかいものが触れました。

 そして耳元で「紗雪がすきだ」とはっきり言ってくれたことにびっくりしました。

「やだ、夏音、顔が真っ赤」

「おまえもだよ」

 花火大会でもないのに繋いだ手の温もりが、秋のせいか心地よいのです。



 日差しがやわらかい曇りの日、こんな日のお仕事。

 浴衣を洗って軽く糊をして、物干し竿にかけています。ゆらゆらと二枚の浴衣が仲良さそうに風に揺れているのを眺めて、季節の移ろいを感じます。

 こうして秋には他の着物にも順番に風を通して、またきちんとたたんでから帖紙たとうしに包んで桐の着物用の箪笥たんすにしまいます。


 帖紙は着物を湿気から防ぎ、やさしく包み込でくれるものなのです。そして私は、和紙の感触と、着物地が見える、まるい明かり取りの小窓のような部分がすきです。


「あ、こら、紗雪。この浴衣のたたみ方は何? ちゃんと綺麗に直しなさいな」

 あーん。私はどうもこれが苦手です。きっとたぬきのまるい手がいけないんだ。スッとたたんでいるつもりなのに、もこもこしてしまうのです。夏音は上手なので、お願いしちゃおう!


 縁側で庭を眺めながら足をぶらぶらしているうちに、夕陽が落ちていきました。夏を過ぎるとあっという間に一日が短くなっていくようです。



 今夜のお月さまもきれいです。まもなく中秋の名月。

 月は故郷につながる空を思い出させます。

 ね、みんな、元気でやっていますか。

 風鈴がりんと鳴って、離れている距離が私に悲しみを思い起こさせます。いつまでも消えない、大切な人たちへの気持ち。


 両手を上げて、指先を少し近づけて、頭上に円を表現してみます。

 これを「あけかざし」といいます。

 お相手はお月さまが似合います。満月を愛でるように、慈しむように、円を作って、月を眺める。自分の懐に入れてみたくて手を伸ばすのです。


 意外と月の光がまぶしくて、思わず手で顔をかざしてみました。

 「かざし」とは、頭上に手を掲げて,顔を覆ったり陰を作ったりすることを言います。

 踊りの所作にはこのかざしの名がたくさんあります。「さしかざし」「ななめかざし」「たてかざし」「添えあけかざし」など。

 私はこの「かざし」という響きがだいすきです。


 月に向かってそんな仕草をしていたら、庭から夏音が桔梗の花を摘んで戻って来ました。ついと茎を短く折って、私の髪に挿してくれます。

 いつからこんな気障なことが自然にできるようになったのかしら。近寄った時にふと見せる大人びた横顔にどきりとしました。


 かざしといえば、かんざしを共に思い浮かべるけれど、かんざしは「髪挿し」に由来するとされています。花を頭に飾ることから「花挿かざし」が変化したという説もあるそうです。花や木の枝を折り、髪や冠に挿す風習はなんと風流なことでしょう。

 すきな人から花を飾られるというのは、いつの時代であっても嬉しいものですよね。私もそんな人に相応しくなれるでしょうか。


 両手でお月さまのまんまるを、そっと包むこむように愛でてみる。

 ラムネでカチンと乾杯して、ごくごく音を立てたあの幼き日。

 田舎にいる時から、いつも空にあった月。恋が小さな欠片のような時代からずっと、見つめてくれていました。 


 隣にはいつも夏音がいてくれたから。私には夏音がいるから、生きていける。

 いつしか特別になって、もう私たちは戻れない。戻りたくない。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る