第18話 「禁止……ですが」


 前話で、主治医に飴を持ってくる患者さまのことを書きましたが。本当に、医療従事者と患者さまの間で、金品の授受は禁止されています。

 よく、入院時に「主治医にどれくらい包めばいいの?」と訊く方がいらっしゃいますが、そんなことをしても医療行為の内容は変わりませんので(日本では、各疾患に治療の『ガイドライン』が設定されており、そこから大きくはずれることは、まずしない)――どうか、気を遣わないでください。

 過度な競争や価格の高騰をさけるため、日本の医療は保険で支えられています。診察料も薬品代も手術料も、全てお国に決められていますので、値下げは出来ませんが、高騰もない仕組みです。

 医師によっては、「俺が『袖の下』をもらって態度を変える人間だと思っているのか?」とばかりに怒りだす方もいますので、あの、本当に、やめておいた方が無難です。


 それでも、何かと持ってきて下さる方は、います。


 特別養護老人ホームの往診の際。車椅子に座ったお婆さんと、介護士さんが、にこにこと医師を待っていました。

「先生、これあげる」

 手編みのざぶとんカバーです。もともと編み物がご趣味の方で、ひざ掛けやショール、孫のベストなど、しょっちゅう編んで配っています。ついに贈る相手が尽きたのか、毎週やってくる医師にもあげようと考えたご様子です。

 介護士さんが、駄目押しします(注1)。

「先生にあげるんだって、楽しみにしておられたんですよ。ね~(にこにこ)」

「ね~(にこにこ)」

 ……いただいて帰ります。



 デイサービスで作業療法のリハビリをしていた利用者さんが、レース編みでくるんだ鈴のキーホルダーを、沢山作りました。定期受診の際に持ってきて、

「ほら、みんなにあげるよ」

 看護師さん含め、スタッフ全員に配って帰りました。おかげで、しばらくみんな、仕事中にチリチリ鳴らしていました。



 若年性認知症(注2)の方が、リハビリを兼ねて陶芸を始めました。最近、上手に出来るようになったと、作品を持って来てくれるようになりました。ぐい呑みや、花瓶や、動物の置き物など……ジワジワ増えています。



 ある書道家の方が脳梗塞になり(注3)、大事な利き手が麻痺してしまいました。絶望し、一時はどうなるかと周囲は心配しましたが、利き手交換のリハビリ(注4)を受けて退院しました。新しい利き手で頑張るそうで、リハビリのお礼にと、自分で書いた掛け軸を下さいました。

 掛け軸。

 ……さすが、達筆です。何かイイコトが書いてあるらしいのですが、素人にはさっぱり読めません。どうしよう?  やはりリハビリ室に飾るべきか?  いや、他の患者さまがくじけるかもしれない……などと協議の結果、院長室に飾ることになりました。

 趣味の写真や絵など、退院したあとで下さる方は時々います。大抵、院内の何処かに飾っています。



 田舎なので農業を営んでいる方が多く、収穫期になるとさまざまな物を持ってこられます。

 たけのこ、絹さや、玉ねぎ、フリージア、白菜、大根、みかん、柿、栗、りんご……大抵、根菜は土つきのまま、段ボールに入れて抱えて来ます。朝市のようです。

「スタッフみんなで分けて」というおつもりですが、受け取れないと言うと、

「えー。持って帰っても、腐らせて捨てるだけだよ。余っているんだから」

 うっ……いただきます。



 新米が採れたからと、上新粉(白玉粉)にして持ってきてくれた方もいます。単身赴任中の男性医師は、

「俺に、マンションで独り白玉団子を作って食え、と……?」困惑していました。

 看護師さんたちが、いただいて帰りました。



 二十年以上、院長の外来に通っている杜氏さんは、毎年、新酒の時期になると、できたお酒を持ってきます。

「先生のおかげで、今年も一年、よく働けたから」と仰います。

 もらえないよ――いやいや。という遣り取りの後、診察室の机の下に、そっと大吟醸の一升瓶が置かれている光景は、なかなかシュールです(ちなみに、院長は下戸なので、これは病院の忘年会で消費されます)。

 


 釣り好きな方が、「たくさん釣れたから」と、クーラーボックスに鮮魚を入れて来たことがあります。

 またある時には、さばを丸ごと塩焼きしたものを、三本、新聞紙にくるんで持ってきた方もいました。

 ええと――とりあえず、診察室が凄いニオイになったので、急いでビニールで包み直しました。



 生物なまものは困りますが、ものはさらに困ります。

 趣味でメダカの養殖(注5)をしている男性。脳外科で軽い脳梗塞の治療を受け、「命を助けてもらった」と大喜び(いえ、そんな重症ではありません)。以来、受診の度に「先生、これあげる」と、生きたメダカを持って来るようになりました。

 ビニールの袋に入ったメダカです。白いのや紅いのや、青っぽいのや、最近はいろいろな種類があります。一度に二十匹くらいを持ってこられるので、医師一人で飼育しきれるものではありません。

 かくして、スタッフの家庭で、メダカの飼育が流行するようになりました。環境がいいとどんどん殖えます。発端の脳外科医は、ついに、自宅の玄関前に張り紙をしました。

『メダカ、ありマス。無料タダで、あげマス。』

 ――近所の小学生が、ちらほら貰いに来るようになりました。


  ***


 金品の授受は禁止です。くれぐれも、高額なお金や商品券を渡すような真似は、なさらないでください。

 くださる方は、多いわけではありません。こちらが要求しているつもりもありません。やり取りがあろうとなかろうと、私たちの仕事は変わりませんので、ご安心ください。


 例に挙げたのは通院歴の長い、馴染みの方ばかりです。病院ですので、当然みなさま治らない病気や障害を抱え、なかには人生の終末期を迎えている方もいます。

 そういう方たちが、わずかでも私たちに親しみをもって下さり、病気や障害があっても趣味や仕事を行い、人生を有意義に過ごしていると示して下さっているのだと受けとめています。

 ご批判を受けることは覚悟していますが、規則だからと冷徹に拒絶出来るほど、私たちは強くはありませんし、そんな強さは不要――と考えています。


 皆さま、お気遣い頂き、ありがとうございます。(でも本当は、たまにいただく応援や感謝の言葉だけで、私たちは、充分勇気づけられているんですよ……。)





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(注1)駄目押し

 もとは囲碁用語で、既に勝っていると分っているが、勝敗に関係のない目(駄目)に碁石を置いて確認することだそう。そこから派生して、「勝負はついているが、さらに念を押す」「念のために確認する」などの意味で使われます。

 ダメ出し、とは違います。


(注2)若年性認知症

 65歳未満で発症する認知症の総称です。

 認知症とは、「後天的な 脳の器質的障害により、いったん正常に発達した知能が不可逆的に低下した状態」を表し、アルツハイマー病だけでなく、脳梗塞や脳炎、外傷による脳挫傷なども含みます。よく「認知症=アルツハイマー病」のように使われていますが、違うのでご注意下さい。


(注3)脳梗塞

 脳卒中と脳梗塞の違いについて、説明するのを忘れていました。

 脳卒中とは、脳に栄養や酸素を送っている血管の病変によって、突然発症する疾患の総称です。「卒中」=そつとしてあたる(突然倒れる)、の意味。脳血管障害とも言います。

 血管が詰まって血流が塞がれることで脳細胞が死に至るのが、脳梗塞です。血管が破れて脳内に出血するのが脳出血、脳の表面をおおうクモ膜内に出血するのがクモ膜下出血です。脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血の三疾患を合わせて、脳卒中と言っています。


(注4)利き手交換のリハビリ

 人間の大脳は左右に分かれており、左半球が右半身の、右半球が左半身の運動を司っています。脳梗塞などで利き手が麻痺し、回復が思わしくない場合、利き手ではなかった側の手を訓練して、利き手として使えるようにします。これを「利き手交換」と言います。


 ところで、右利きと左利きで脳の機能に違いがあるの? という疑問について。例えば右利きの約95%、左利きの約70%の言語中枢は、同じ左半球にあります。右利きの約5%は右半球にありますが、左利きの約30%は、実は両方にあったりなんだりで、はっきりしません。

 一人ひとりの患者さまと接したかぎりでは、右利きだろうと左利きだろうと、特に差がある印象は受けません。ご本人が困っていなければ、どっちでもいーんじゃないでしょうか(ゆるいな)。


(注5)メダカの養殖

 先日、某国営放送が特集を組んでいました。全国的に流行しているようですね。金魚さながら色や模様のバリエーションが豊富で、簡単に変異株の系統飼育が出来、人気だそう。珍しいメダカはかなり高い値段で取引されていますが、私たちが頂いたのは、無論、高価なものではありません。


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