たぶん誰の役にも立たない医療系エッセイ

石燈 梓

第1話 「腫れていません」


 ヒト(注1)の頭骸骨とうがいこつ(注2)は、脳の成長に合わせて大きくなります。

 胎児期~乳児期の成長が著しい期間、頭骸骨はきちっと癒合しているわけではなく、隙間が空いています。隙間はいくつかありますが、前頭部の大きな部分を『大泉門だいせんもん』、後方の小さい部分を『小泉門』といいます。小泉門は生後一か月くらいで閉鎖し、大泉門は二歳ごろに閉鎖しますが、それまでは、触るとペコペコしているのがわかります(注3)。赤ちゃんが大声で鳴いていきんだりすると、ちょっと膨らむこともあります。可愛いですね。


 これら泉門が閉じ、部分ごとに分かれていた頭蓋骨が癒合すると(注4)、あとは脳の成長、体の成長に合わせて大きく、硬く、丈夫になります。


 二十歳くらいになると、成長した頭蓋骨の中に、大脳はほぼ隙間なく、ぴっちり収納されています。各自の脳のサイズに合わせているわけですから、当然と言えば当然です(隙間があったら、何か病気を疑わなくてはなりません)。


 二十歳、くらいまでは……。


 その後……残念ながら、脳は少しずつ、萎縮いしゅくしていきます。要するに、神経細胞の数が減って、頭蓋骨との間に隙間がひらき始めるのです。

 かといって、それは全て病気によるわけではありません。正常範囲内の萎縮で、機能的に問題がなければ、「年齢相応」の萎縮として扱います。

 萎縮を悪化させる要因は、いろいろあります。お酒、たばこ、脳卒中、アルツハイマー病、などなど……。高齢になるほどこうした病気が重なり、萎縮のひどい人が増加してくることは、想像に難くないと思います。


 ……………。


 何が言いたいのかと言いますと、ですね。


 この少子高齢化時代、病院に来る患者さんは、ご高齢の方が多いです。小児科や産婦人科でない限り。七十代以上、八十~九十歳代の方が多く、そういう方の頭部CT(注5)ばかりを観ています。病気の高齢者の大脳は、もう、寂しくなるほど萎縮しています。

 そこへ、ごくたまに、若い方(二十~三十歳代)がいらっしゃるのです。「頭が痛い」という理由で。対応した内科の医師が、検査として頭部CTを撮影します。そして、大慌てで走ってくるのです。「ちょ、ちょっと、このCTを観て下さい!」と。


 「この人、脳が腫れていませんか?!」


 ――腫れていません! 


 若いから、みっちり脳がつまっているだけです。というか、こっちが正常なんです。健康だから。

 萎縮している脳ばかりを観ていると、そっちが普通に思えてきてしまうという、悲しい話です。





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(注1)ヒト

 生物学では、種名は片仮名で表記するのが一般的です。人はヒト。


(注2)頭蓋骨

 医学用語では、ズガイコツではなく、トウガイコツと読みます。


(注3)触るとペコペコ

 柔らかい泉門は、危険なのであまり触らないで下さい。米子弁でこれを「ひよひよ」と言います。


(注4)癒合

 癒合した部分を、縫合と言います、縫い合わせているわけではありません。


(注5)CT

 Computed Tomographyの略。コンピューター断層撮影。

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