第十一回 信仰とは何だろうか?

 信仰とは何だろうか? そう思う事がしばしばある。


 僕は宗教というものに興味が強い。それは仏教・神道・キリスト教だけでなく、新宗教や新興宗教の類もで、ラジオの宗教番組や諸宗教の機関紙なんかも読んでいる。それぞれ人間として真っ当な事が書いてあり(中には眉を顰めるものもあるが)、頷く回数も一度や二度ではない。

 信教は? と訊かれると、浄土真宗大谷派であるが、それよりも真言宗や曹洞宗、時宗、浄土宗のお寺に通い、そうしたお坊さんとの繋がりもある。ある意味、宗教ウオッチャーだ。



 そこで、本題である。


 信仰とは何だろうか?


 神や仏の存在を信じる事なのか? その教義に則って生活する事か?

 そうだとすれば、僕に信仰心は無い。だが、寺社へ行けば、手を合わせずにいられない。手を合わせなければ、寝る前に歯磨きをしないように、何だが気持ちが悪いのだ。


 僕の地元は、福岡市内でもまぁまぁの規模の寺町だった。福岡藩政時代に、防御施設として寺町が沿岸部に備えられ、その名残が強い地元だった。少し歩けば、寺。また寺。そして神社という具合で、暇があれば手を合わせていた。そうして習慣から、手を合わせずにいられなくなったのだろうし、だから気持ち悪いのかもしれない。


 で、その気持ち悪さの根源を考えた時、僕は信仰という二文字に到る。

 僕は神仏というものを明確としての存在は信じていないのかもしれないが、概念としては信じているのだろう。

 僕の信仰とは、暮しに根差し習慣的な側面もあるのかもしれない。

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