第四九話:英二の決断

「結有、今だ! 頼んだ!」

 凱が声を張り上げる。

 通路に待機していた結有がこちらに素早く駆け寄って来る。

「はい!」

 結有は倒れ込んだ厄災・ラッセルの前に立った。

 一瞬、英二の顔を見た。

 何か伝えたいことがあるかのように。

 そして直後に迷うことなく浄化術を開始した。

 結有の腕が目の前で交差され、それがぐるりと回転する。

 ラッセルの体が怪しげに紫色に光る。

 明らかに邪気の総量が以前と比べ物にならないくらい大きい。

 結有は何度もその動きを繰り返す。

 徐々にその邪気はラッセルの体を離れ、大気中に姿を現した。

 禍々しい――

 邪気を見た英二はそれ以外に言葉が思い浮かばなかった。

 こいつが、今から結有の体の中に。

 結有は英二に向かって口を開いた。

「行くよ、英二」

 英二は思わずきゅっと唇を噛んでいた。

 すぐに乾いたはずの涙が、再びつうっと一筋頬を伝った。

「やめてよ、そんな悲しい顔は。世界を悲しみから救える一歩手前なんだから。君は本当に頑張った。ほら、笑顔を見せて」

 涙は一層溢れ出し、とどまる気配を見せない。

「もう、そんなんじゃ私も迷っちゃうじゃない……英二が強い気持ちを持ってくれないと、私は安心して次に進めない」

 英二は涙を拭った。

 強くなれ――

 自分に必死で言い聞かせる。

「ねえ、約束して。私がこの邪気を吸収して心臓に集めたら、迷わずそこを焼き尽くすって。これだけの邪気……きっと長くはその状態は保てない。だからお願い、迷わず焼いて」

 結有の言葉は力強い。

「ああ……分かった。約束する」

「ありがとう」

 結有がにこりと微笑んだ。

「じゃあ、行くね」

 結有が構えを取る。

 俺は、何の為に生きている――?

 世界を救うため?

 不気味に宙に浮かぶ邪気に両手を向け、結有は目を閉じた。

 運命とかは正直よく分からない。

 でも、今の俺の気持ははっきりとよく分かる。

 俺がしたいこと。

 守りたい。

 何を?

「……行きます」

 結有がゆっくりと息を吐きだしてから言った。

「はっ!」

 かっと目を見開いて結有が全身全霊を込める。

 邪気は少し抵抗する様子を見せたが、すぐにその場から引きずられ、結有の体に向かって急速度で飛び始めた。

 グワッ――!

 邪気は結有に向かって一直線に進む。

 結有は唇を引き結んだ。

 その時、英二が結有の前に立ちはだかり、邪気に向かって両手を広げた。

「来い!」

 英二は叫ぶ。

「え……!」

 結有は慌てて声を上げるが既に手遅れだった。

 邪気は結有の前に立つ英二の体に勢い良く吸い込まれていった。

「あいつ……何やってんだ! とち狂ったか!」

 凱も英二の行動に思わず声を上げる。

 英二の中を邪気が蠢く。

 見る見る体を邪気が侵し始めた。

 凱が痛む体を引きづりながら近くに寄る。

「何やってんだお前は!」

「ごめん……」

「お前が邪気に乗っ取られたら、世界は終わりだ」

 凱は蒼白な顔をしている。

「ごめん、親父。でもさ、俺はとち狂ったわけじゃないんだ」

「何を……」

「俺は大切なものを守りたい。その為にこの決断をした、それだけだよ」

 まだ、俺の中の蓋は開き切っていない。

 英二はそう確信していた。

 何もかも焼き尽くすほどの煉獄の炎を持った、閻魔が潜む地獄の釜の蓋が。

 今こそ全てを開放する時だ。

「みんな、この邪気は俺が焼き尽くす。俺の命まで燃やせば、きっと出来る」

「お前……」

 凱は英二の覚悟に言葉を失った。

「英二……」

 結有は両目に涙を浮かべていた。

「大丈夫だ、心配しないで」

 英二は穏やかに結有を諭した。

「のんびりしてる暇はないからさ。じゃあ、いくよ」

 英二は両拳を握り締め、全身に力を込めた。

 心の中で強く唱える。

 燃えろ。

 黒炎がふつふつと燃え上がる。

 燃えろ、燃えろ。

 ばっと体内で炎が発火する。

 取り込んだ邪気も英二の体内を所狭しと暴れ回る。

 その邪気を燃え上がった黒炎で炙り、燃やそうとする。

 しかし邪気も強大だ。

 なかなか燃焼作業は捗らない。

「ぐっ……」

 英二は全身にびっしょりと汗をかきながら歯を食いしばっていた。

 体内に全ての気を集中させる。

「英二……」

 一人孤独に戦う英二を結有は見つめることしか出来ない。

 まだだ。

 あんたの力はこんなものじゃないだろ?

 英二は自分の体の中心に向かって語りかける。

『やれやれ、正気かよ』

 先程の声が再び英二の頭に響いた。

『頼む、あんたの力を全て俺にくれ……蓋を、蓋を全て開けてくれ。炎を燃やし尽くしてくれ』

 開きそうで開き切らない、そのもどかしさと英二は戦っていた。

「ああああああああああああ!!!」

 声を張り上げ、前屈しながら力を振り絞る。

『使い切っちまったら、もう、二度と火は灯せねえぞ』

『構わないさ……全て出し尽くす。頼む、頼む……』

『分かったよ。主が言うんならしゃあねえな』

 そして、遂に、蓋が開いた。

 燃え盛る業火が英二の体の中枢から弾け、全身を包んだ。

「きゃっ……」

 結有は口に両手をあてがい息を呑んだ。

 英二の体は赤黒く光り、外からでも英二の体内が激しく燃えていることが分かった。

 その英二の体内で、閻魔の業火は邪気を徹底的に焼き尽くした。

 十分過ぎる火力の炎が体内のすみずみまで行き渡り、邪気に逃れる隙は一分たりともなかった。

 全て燃やし尽くせ――

 もう二度と、悲しい思いをする人々が現れないように――

 体内の炎が燃え尽きるまで英二は火力を緩めることはなかった。

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