第3章:アカデミーでの日々

第十六話:見覚えのある背中

「おーい、英二ー! 出発するわよー。早くしなさーい」

 1階から江里菜の快活な声が響く。

「わかってるって」

 英二は鏡の前で身なりの最終確認をしながら返事をする。

 エージェントアカデミー入学日の朝はあっという間にやって来た。

 短い間だったが世話になったこの家ともお別れだ。家主の小柳津は英二の出発を見送ることもなく、「じゃあ」と言ってしばらく前に家を出ていた。

 英二は身だしなみの確認を終えると、荷物が一式入ったリュックを背負い玄関に降りた。玄関では既に江里菜が待っていた。

「さ、行くわよ」

 家の前に駐車していたエアタクシーに乗り込む。2回目となると多少慣れた感覚はあるが、やはり依然として落ち着かない気持ちも否定できない。

 江里菜の指示のままエアタクシーは空を進み、やがて大きな建物の前に降り立った。広大な敷地に、少しレトロを感じさせる建物が所狭しと並んでいる。周囲は高い塀に囲まれ、厳重に警備されているようだ。

「着いた。ここがエージェントアカデミーよ」

 エアタクシーから降りた江里菜はその建物を見つめて指を差す。

「ここが……」

 英二はそのまま江里菜について門の前に向かった。

「今年の入学生の桜井英二とその付き添いの小柳津江里菜です。はい、これが生徒証」

 江里菜が門番とおぼしき男に向かってパスポートのようなものを見せる。

「確かに。さあ、中へどうぞ。皆様、中央棟のグランドホールにお集まりです」

「どうも。さあ英二、中へ入るわよ」

「う、うん」

 江里菜と英二はアカデミー敷地内への門をくぐった。中へ入ると、この建物の大きさがより身に沁みて分かった。いったいこれだけの大きさの建物をどう活用しているのだろうか。

「じゃあ、ここでお別れね」

 敷地内の光景に見とれていた英二に江里菜が唐突に告げた。

「え?」

「私、ちょっと寄ってかなきゃいけない所があるのよ。心配しなくても大丈夫、さっき門番の人が言ってた通り中央棟のグランドホールに向かえば良いわ。あの建物の中にアカデミーの全体マップが掲示してあるから、それを見ればどこに何の建物があるか簡単に分かるわ」

 江里菜は30メートルほど先に立てられた3階立ての建物を指差しこともなげに言う。

「なんか唐突だね……」

「ごめんね。でもこの数日間本当に楽しかったわ、ありがとう。アカデミー生活頑張ってね。英二ならきっと大丈夫よ」

「……まあ、頑張るよ」

「うん、立派になった英二に会えるの楽しみにしてる。じゃあ、私は行くわね。バイ」

 江里菜は英二に向かって右手を軽く上げてウインクすると、そのまま風のように颯爽とその場を立ち去ってしまった。

 その場に取り残された英二はとりあえず先ほど江里菜が指し示した建物に向かうことにした。その建物の正面の壁には『インフォセンター』の文字が並んでいる。

 インフォセンターの扉を押して中に入ると、正面のホールの中心に大きな電子パネルが立て付けられ、そこに立体的な地図のようなものが映し出されていた。

 どうやらあれがマップに違いない。英二はそのパネルに向かって進んだ。

 そのマップの前には先客がいた。黒髪を肩の少し下まで伸ばした、おそらく自分と同年代くらいだと思われる少女が少し前に身を乗り出しながらそのマップをまじまじと見つめていた。

 あれ――

 その後ろ姿には何故か見覚えがあるような気がした。英二はその少女のことを意識しながらパネルに近付いた。

 後ろから誰かが歩いてくることを感じ取ったのだろうか、その少女がふとこちらを振り返った。

「えっ……」

 英二はその少女の顔を見て言葉を失った。思わずその場に立ち尽くし、目を見開く。英二の不自然な挙動を見て、その少女は少し驚いた表情を浮かべた。

「あの……何か……?」

 しばらくの沈黙。

 やがて英二は我慢出来ずに口を開き、その少女に尋ねた。

「藍……だよな?」

 その少女は寸分の違いなく藍と同じ容姿をしていた。目、鼻、口、そして輪郭から髪に至るまで。

「え……」

 少女は再び困惑した声を出した。

「あの……人違いじゃ……?」

「えっ」

 今度は英二が困惑する番だった。

「私の名前、藍じゃないです……」

「藍じゃない……」

 英二は徐々に冷静さを取り戻していった。

 そりゃそうだよな、こんなとこに藍がいるはずがない――

「ごめん、人違いみたいだ……」

「そうですよね……はは」

 その少女はほっと安堵したような、それでいて少し恥ずかしそうな表情になった。

「急に驚かせて悪かったね」

「いや、全然大丈夫ですよ。私に似てる人がいるなんて、何だか嬉しいし」

「すごい、ポジティブだね」

「えっ、そうかな。自分に似ている人がいるなんて何だか嬉しくないですか」

「ふうん、そういうものかな」

「私変わってるのかな……あ、そうだこのパネルに用があるんですよね。ごめんなさい私ちょっと邪魔ですよね」

 そう言うとその少女はひょこっと横にずれた。

「あ、どうも」

 英二は直前まで少女が立っていた場所に進み、パネルに表示されている立体地図を覗き込んだ。

「中央棟は……っと」

「えっ、中央棟?」

「……そうだけど?」

「私も中央棟を探してたんですよ。もしかしって探してるのって……」

「グランドホール」

「わ! やっぱり。そうなんじゃないかなーってうっすら思ってたけど、ほんとに一緒だったんだ」

「え……てことは同じ入学生?」

「そう! わー、1人ですっごくさみしかったから同じ入学生に会えて嬉しいなあ」

 少女は瞳を輝かせながら弾けたような笑顔を浮かべる。

「そうだ、わたしは結有って言うの。ぜひ仲良くしてください」

 結有か……

「君の名前は?」

「俺は英二」

「英二くんか、かっこいい名前だね」

「そんなことないでしょ」

「ちなみに英二君はどこから地下世界に来たの?」

「どこから? んー……東京だけど」

 それを聞いた結有は目を丸くした。

「ほんと!? すごい、東京の人に初めて会ったよ」

「そうなんだ」

「ねえ、やっぱり東京ってすっごい大都会なの?」

「まあ、そういうとこもあるね。でも意外と普通だよ」

「そうなんだ、すっごい興味あるなあ東京。もっと話聞かせてよ」

「まいったな」

 英二は右手で頭を掻いた。そのときふと、壁に掲げられた時計が目に入った。

「やばい、時間!」

「あっ、ほんとだ! もうこんな時間。急がないと」

「この建物出て、右だったよね」

「そうだね、行こう」

 2人は急いでインフォセンターを飛び出し、マップで見た情報を頼りに中央棟へ急いだ。

 グランドホールに着くと、そこは講演会場のような空間となっていた。教壇を中心にすり鉢状に半円を描く形で机と座席が設けられ、教壇から離れるほど席は高い位置にある。

 全体を見渡したが、ざっと30人くらいの人はいるだろうか。2人はまだ空いている席を見つけ出し、隣り合わせに腰掛けた。

 席に着くなり、ふう、と結有が息を吐いた。

「何とか間に合ったみたいだね」

 時計の時刻は集合時間の3分前を示していた。英二は改めて周囲の面々を見渡していた。

 多くが男子で、女子の数は5人ほどだろうか。口を開いている者はおらず、会場全体にはぴりっとした空気が満ちていた。

 しばらくして教壇の奥にある扉が開き、1人の男性が部屋の中に入ってきた。センスの良いジャケットをびしっと着こなし、全身から落ち着いた雰囲気が漂っている。

「あれは……?」

 英二はその男に向かって目を凝らした。

 決して見間違いなんかじゃない。ホールに入ってきたその男は小柳津だった。

 小柳津は教壇の上に置かれた演説台に手を置き、会場全体をぐるっと見渡した後、一同に向かって口を開いた。

「ようこそ、エージェントアカデミーへ」

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