第10話 Ⅱ

 秋も半ばとなる八月に入ったこの日、シュネルドルファー一行は遂にアンクレイス王国王都マーンフーヴェルの門をくぐった。

 マーンフーヴェルとはこの地方の古語で月の丘を意味し、伝承によれば武勇に優れながらも風流を愛した初代国王が最も月が美しく見える地に拠点を置きたいと考え、この地が選ばれたのだという。特に標高が高いわけでも見晴らしがいいわけでもないが、初代国王はなかなかに乙な趣味の持ち主だったようで、周囲の山や森も空の雲も適度に月を隠すのがよく、季節によって変わる景色に月を添えて楽しみたかったらしい。

 そのためアンクレイスではその当時から毎月「月の日」が設けられており、その日の夜は各家庭や集落ごとにそれぞれのやりかたでその日の月を楽しむのが伝統となっている。

 ちなみに、アンクレイスが滅亡に瀕した際、民族心中を呼びかけたのちの王セラン・シュルデットが国民に集結日として指定した日も月の日であった。

 初代国王が愛した月の映える美しい景色はむろん、五〇〇年前に一度跡形もなく消滅している。しかしこれまでシュネルドルファーらが見てきたように、この国はすっかり元通りの緑多い国へと蘇り、昔とは違うだろうが今も今で王都周辺の野山はアンクレイスの象徴として王都を彩っているのである。

 ――という話を聞けば、レッコウはいつものごとく鷹揚に頷きながらアンクレイスの素晴らしさを語ったであろう。あるいは歌のひとつでも詠んだかもしれない。

 しかしながら、生者の棺桶になりかけている馬車の中にも外にも彼と彼の嫁気取りの巨馬の姿はない。

 なぜなら……

「きたぞ、イングヴァルの英雄だ!」

「外国人でしかも女性の封術師ですって! 二人いるけどどっちかしら?」

「知らないのか? 両方だよ!」

「ようこそマーンフーヴェルへ!」

 ……このように、城門をくぐれば熱烈な歓迎を受け王の前に国民にその存在を晒さねばならなくなることがわかっていたため、レッコウは騎士二人の先導によって一日早くこっそり城下の宿へ潜り込んでいたのである。

「予定より大幅に遅れたせいで民たちも待ち遠しかったようですな」

 と、オロフはしっかり皮肉を込めながらも表情のほうは喜色満面と綻ばせている。

「なんだか照れくさいねえ」

「ええ」

 主賓二人は笑顔というより照れ笑いと苦笑いを行ったりきたりといった顔で小さく手を振る。オイゲンは殊勝にもできるだけ目立つまいと端っこで大人しくしているが、彼の師だけはやはりというべきか、王宮までずらりと続く歓迎の行列に囲まれても表情の変化は見られなかった。

 それどころか心中ではお祭りムードに水を差すようなことを思っていたのである。

(王都を挙げての大歓迎だというからどんな乱痴気騒ぎかと構えていれば、やはりこの国の規模ではこんなものか)

 ……そう、シュネルドルファーの想像を遥かに下回っていたので肩透かしを食らったのである。

 なぜなら彼、イザーク・オイゲン・シュネルドルファーは大陸一の超大国ハイデルベルク帝国の首都に生まれ、爵位こそないもののその家格は伯爵家にも劣らぬ魔術の名門中の名門シュネルドルファー家の嫡男として育った男。いわゆる、生粋の御曹司なのである。

(まあ、こういった田舎臭さもよいものだと気づけたのは旅のお陰だ。せいぜい美味いジャガイモ料理にでも期待するかな)

 などと、皮肉ったあとに皮肉を込めて褒めるあたりも彼の彼たる所以のひとつであろう……



 歓迎行列に挟まれながら大通りを抜け、そのまま王宮へと入ったシュネルドルファーたちは、まず応接室にとおされた。

 この部屋にくるまでにもオイゲン、ユウハ、ギンの三人は初めて見る異国の王宮というものに目を引かれいちいち感心していたが、ここでもはやりシュネルドルファーは違った。

 最初の感想は、

(なんと無防備な……)

 である。

 もちろん随所に近衛兵が配置されてはいるが決して充分とは思えないほどであり、魔術的にはほとんど素っ裸といえるほど結界が薄かったのである。

 界術を得意とする者であれば破眼がなくともその程度の気配は察することができる。ましてや魔術大国たるハイデルベルクの宮殿に幼いころから父に連れられ何度も出入りしたことのあるシュネルドルファーであるから、その差を思うとまず呆れた。

 そして次に穏やかな気持ちになった。

 ほとんど防犯程度の結界しかないということはそれだけアンクレイス王家に害をなす利が少ないということ。つまりはそれだけこの国が平和である証なのだ。

 そして最後に、落胆した。

 応接室に入るまで、歴史的価値の高そうな物を一切見かけなかったからである。

 巨大な絵画はあった。洗練された彫刻も、洒落た壺や花瓶も、踏むのが躊躇われるような美しい絨毯も、あっておかしくないものはだいたいあった。

 しかしいずれも見るからに近代風。歴史的にも金銭的にも価値のある物は五〇〇年前の侵略で根こそぎ奪われており、再興してからはそのような物を蒐集できるほどの余裕もなく、ただただひたすらに再建と防衛と外交に力を入れてきた、おそらくは世界でも指折りの貧乏王家なのだ。飾ってある物もほとんどは贈り物であろうし、期待するほうが間違いというべきであろう。

 饗応役の官僚がいるため口には出さないが、シュネルドルファーは長居無用を決め込むのだった。

 ……そうして談笑したり軽く身支度を整えたりしていると、早くも国王との謁見が叶った。



 とおされたのは別の応接室。前の部屋よりよほど大きく豪華といえなくもないが、それでも王宮というよりは貴族の邸宅といった感じの部屋である。

 大きなテーブルに真っ白なクロスが敷かれ、夕食には早い時間のためかお菓子や果物などの甘味とワインが人数分用意してある。

 その上座に、彼らを招待した張本人がいた。

「ようこそ、みなさん。セラン・シュルデット四世です」

 立ち上がって丁寧にお辞儀をしながらいったその人物は、とても一国の王には見えない、一見普通の初老男性であった。服装もどちらかといえば地味な礼服であり、最大限に見積っても男爵家の楽隠居と表現するのがせいぜいである。

 シュネルドルファーだけでなく、生身の国王という存在を初めて目にしたオイゲン、ユウハ、ギンの三人もさすがに内心では驚いてしまった。

 その間にも王妃、王太子、各大臣など同席者が次々自己紹介を始め、シュネルドルファーらも最大限に礼儀をとおして名乗ると和やかに会話が始まる。

 最初はやはり、イングヴァルの森についてのお礼であった。国王をはじめ、大臣などの重臣たちからも代わる代わる礼を述べられ、それに応えていくのは面倒ではあるが仕方がない。そんなことよりシュネルドルファーは少し嬉しいことがあったのだ。

 この席に目当てのバーリエルもいたのである。

 シュネルドルファーの王都での目的は初めから彼と決まっていたのでこれは好都合。オロフに仲介を頼んでおいたが、どうやら必要なさそうである。

 そのバーリエルへ話が向けられた。

「バーリエルどののご慧眼には感服いたしました。やはり優れた術師同士、惹かれ合うのですかな」

「いやあ、まさか彼女がここまでやるとは思いませなんだ」

 どうやら本心でいっているらしく、穏やかな苦笑を浮かべながらバーリエルはやや薄くなっているグレーの頭をかいた。

 頭髪に比べて口髭はいまだ元気なようで美しく整えられており、形のいい眉と優しげな細い目が組み合わさって気品ある老紳士といった印象を与える。それどころか彼が魔術師用のローブではなく貴族の礼服をまとっていたら間違いなく彼が国王だと誤解させてしまうほどには威厳もあった。

「しかしレッコウどのにお目にかかれなかったのは残念ですな」

 と、王太子が何気なく呟いたので、シュネルドルファーはすかさず、

「申し訳ありません、あれはそそっかしい男でして」

 と話を打ち切ろうと試みた。

 もちろんレッコウ不在の理由は伝えてある。それでは援軍を送ろう、などと言い出されたら困るのだが、そこは片棒を担がされたオロフが心得ていた。

「まったくレッコウどのには驚かされました」

 用意していたレッコウへの賛辞を立て板から水を流すかのごとく次々と披露し、自然な形で話の方向を変えるのだった。

 すると功を奏したのか、笑顔でうんうんと頷きながらオロフの独壇場を見守っていたセラン四世が海陽の木造建築について尋ねたので、ユウハがこれに答えることとなった。

 それがすむと今度は衣服や食べ物の話になり、続いて言葉や音楽についての話題へと移り、海陽の霊術の根幹となっている神道への質疑応答が熱く交わされることとなり、その話を続けたまま夕食へと突入した。

 一国の中枢部がこんなにも長い時間、同じ相手と会話を続けるというのは非常に稀なことであろう。少なくともシュネルドルファーが「執務はいいのか」と心配になるほどの時間であった。

 やがて夕食も終わりに近づいたころ、口元を拭ったセラン四世が切り出した。

「お恥ずかしながら、われわれアンクレイス人は海陽について詳しくありません」

「お気になさらずに。遠く離れた地で国交もありませんし、それは海陽も同様です」

「そういっていただけるとありがたい。これまでお話を聞いていて厳しいであろうことは重々承知していますが、これから海陽と誼を結ぶことは可能でしょうか?」

 相手が国王とはいえ、曖昧な返事でお茶を濁すユウハではないから、はっきり首を振った。

「いずれかの勢力が海陽を統一しない限り、おやめになられたほうがよろしいかと存じます」

「やはりそうですか」

 頷きながらも、その表情は充分に残念そうであった。

「それでは、神道と交流をもつことはどうでしょうか?」

 それはつまり、一国が海陽の宗教を海陽国内の一勢力と見なす、ということである。

 ある意味では正しい。

 しかし海陽における神道の立ち位置は他の国における宗教のそれとは大きく異なっており、一言でいえば覇権の象徴である。

 実権を失ったとはいえ、形式上は今でも海陽の国主は海皇であり、海皇とは政治と軍事の支配者でありながら神道の総帥も兼ねる。即ち海陽は政教一体の国家であり、海皇こそが聖俗の権力のすべてを握る存在なのである。

 そのため戦国時代へ突入した海陽国内では海皇という覇権を我が物とすべく争っているのであり、神道と誼を通じるということは海皇と誼を通じるということ。

 それが国内勢力であればもはや決着がついたも同然だが、外国となれば海陽人はどう捉えるであろうか。

 ……間違いなく、侵略と捉えるであろう。

 大陸の感覚でいえば一国家が外国の宗教に理解を示した、という程度のことが、海陽人――少なくとも現在の海陽人にとっては海の向こうからの侵略となってしまうのである。

「なるほど……とても繊細な問題なのですね」

 セラン四世でなくとも戦争へ発展する危険を冒してまで国交を結ぼうとする国王はいないだろう。

「海陽の霊術師の協力を仰げればと思ったのですが、そう都合よくはいかないということですね」

 心底残念そうに漏れ出たセラン四世の呟きは、しかし、シュネルドルファーの常識という的に突き刺さった。

「まさか陛下、海陽の霊術師にこの国の鎮魂を依頼なさろうとお考えか?」

「はい。とはいえ、それに見合うだけのお返しができるかどうかは疑問ですが」

 シュネルドルファーにとっては笑ってすませられるような内容ではなかった。

 この国が見栄や体裁を気にしない国柄だということは承知しているが、まさか国王自らが他国の術師に自国の歴史に関わる重大な儀式を、それも根本からの解決を依頼したいなどと口にするとは、ハイデルベルク人たるシュネルドルファーには感激すら与える言葉だったのだ。

「この国の術師が嘆きませんか?」

 もちろん、遠回しにバーリエルを気遣ったのである。

 ところが、当のバーリエルからとんでもない答えが返ってきた。

「むしろ私が恨まれるやもしれませんな。なにせ、陛下に提案したのは私ですので」

 シュネルドルファーはこめかみをハンマーでぶん殴られた思いだった。

「わが国の人間にあなたがたを教科書にして叩きつけてやりたいですな……なにしろわが国の魔術師ときたら、見栄や体裁を誇りと勘違いしている老害ばかりでして」

「ははは、シュネルドルファー博士、ようやく本音が出ましたな」

 シュネルドルファーは心臓の「ギクリ」という声を聞いた。

「もしや、私のことをご存じか……?」

 バーリエルはわざとらしく人の悪い笑みを浮かべた。

「なにを隠そう、『実践せざるは魔術師に非ず』から『メオロギア朝空白の二五年』まで貴殿の著書全五冊、すべて拝読しております。ようするに、ファンですな」

「お、お恥ずかしい……」

 最初の著作『実践せざるは魔術師に非ず』は権威主義に陥り排他的で理屈に偏っている現在の魔術師連盟の体質を批判し、実践を経てこそ理論は確立される、ゆえに実践を軽んじる者は魔術師として未熟である、といったあまりにも喧嘩腰な内容であった。

 出版したのが一七歳のときだったことを思えば若さゆえの過ちともいえるが、作者自身も今思い返してみてやりすぎを後悔するほどには強烈な批判書なので、お偉方から睨まれるのは当然であろう。しかも当時のシュネルドルファーはそのことを反省するどころかますます意固地になって実践主義を説いたものだから連盟内では完全に異端児扱いされている。こうして世界中を自らの足で回るのも持論を貫くためであると同時に、連盟内に居場所がないから外に出ざるを得なかった、という事情も多分に働いているのだった。

「ユウハさん。今は難しくとも、いずれ海陽が統一され外国との国交が再開されたときには正式に申し込みたいと考えています。そのときは再びあなたにご協力を願うことになるかと思いますが……」

「はい、喜んでお引き受けいたします」

 国内外を問わず自らと神道の活躍の場を求めて単身海を渡ったほどの女性である、これこそまさに最大級の目標といっていいだろう。

 ユウハの笑顔は一同の心を爽やかに照らしたのだった。

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