第9話 Ⅱ

 弱り目に祟り目という、凶事が続くさまを嘆く諺が海陽には存在するが、流れに掉さすという、都合のよいことが重なって物事が順調に進むさまを表す諺もまた、存在する。現在のアフリス村がまさに、流れに掉をさした状態であるといえるだろう。

 イングヴァルの森の件以前からレッコウの主導により壊れない橋を作るべく盛り上がっており、そこに国の英雄となったユウハが目覚め、さらにたった今、せめてもの礼にと領主が手配してくれた親方二人と弟子六人のベテランの大工たちが領都から到着したのである。

 ちょうどレッコウが陣頭指揮を執りながら橋脚の土台を作っており、八人の大工たちはまずシュネルドルファーが拵えた氷の橋と川の中にある氷の水よけに驚いた。

「ウチでも働いてくれる魔術師を探すか? 便利だなあ、おい」

 シュネルドルファーほどの達者でなくとも多少時間をかければ同じことができる魔術師は多くいるが、残念ながら土木工事に従事したがる魔術師などいないのが現実である。それだけに彼らにはこの光景が羨ましく思えたようだった。

「待っておったぞ!」

 と、向こう岸から氷の橋の手すりの上を滑ってレッコウが大工たちの前に降り立つ。普通ならそのあまりに怪しげな恰好に眉をしかめるものだが、大工たちは既に聞いていたらしく愉快気に表情を綻ばすだけだった。

「あんたがファイネンのご領主さまで。なんでもどえれえ橋を作ろうとなさってるってんで、わしら一同楽しみにしてきたんでさあ」

「ウム! 見よ、これがそのどえれえ跳ね橋ぞ!」

 レッコウは骨が見えないように気をつけながら懐から設計図を取り出した。

 たちまち真剣な顔つきになった大工たちは、徐々に驚きの表情へと変わり、互いが同じ顔をしていることを認めると、素直に白旗を上げたのだった。

「こいつはすげえ、見たこともない跳ね橋だ」

「しかも細部までしっかり計算されている……ファイネン人の建築技術はいったいどうなってるんで?」

「わが国は水害が多いゆえ、橋や港にはできうる限りの工夫が凝らしてあるのだ。その中でもこれは吾輩自慢の新作ぞ」

「やり甲斐があるってもんですわ。で、わしらはなにをしやしょう?」

「ンム……」

 レッコウは、現在川の中で作業中の若い衆を見下ろした。

「おそらくおぬしらさえおればこの橋は難なく作れるのであろうが、村のこの先一〇年、二〇年を考えれば、あの者らにやらせるのがよかろうと思ってな」

「なるほど、確かに」

 林業が国家資格となっている以上、材料を無駄にしないためにもその加工業である大工も、大型建築に限り公務員である。そのためアフリスのような田舎ではその集落の長が準公務員となる大工を一人任命し、橋などの大型建築物を作る際にはその大工と長が領主に願い出て許可を取り、家具などの小物を作る際は大工の許可によって可能とするシステムになっている。

 つまりアフリスには専門家と呼べるような大工がおらず、外部の者に橋を作らせるとのちのちメンテナンスをするにも一苦労という事態になりかねないのだ。

「石材や金属の扱いはそこそこできるようだが、やはり国柄よな」

「あいわかりやした。この村の若い衆をわしらが責任もって鍛えてやりまさあ!」

「ウム、よろしく頼むぞ」

「さあ、おめえら! 久々の大仕事だ!」

「おおッ!」

 大工と村人たちが共同作業を始める様子を見届けて、レッコウは一人遠い空の向こうへと思いを馳せる。

「今頃わが海陽はそれどころではあるまいな……次のイングヴァルとなる者が現れなければよいが……」

 ふと、もしかしたらキルケも似たようなものだったのかもしれないと思い、両肩をがくりと落した。

 キルケの執念はレッコウを手に入れるために燃やされており、手に入れられぬままレッコウが死んだため、あのような強い呪いを残すことになったのではないかと。

 むろん、レッコウにはなんの非もない。あるとすれば生前にキルケを殺しておけなかったことだが、そうしていたらしていたで、やはり同じような結果になっていた可能性が極めて高いのだ。

「そう考えると、海陽のなんと異様なことよ……」

 ギンは、海陽ではよく怨霊や死者が暴れるといったが、それはレッコウの時代からそうであった。とうことは、海陽人は大陸人よりほよど負の感情に囚われやすい性質をもった民族ということになるのだろう。

「だとすればある意味あやつも立派な海陽人であるな……嗚呼、おぞましい」

 もはやろくに思い出すこともできない魔女の陰気な笑顔を想像し、肩を震わせるのだった。



 レッコウが浸りたくもない感傷に浸っているころ、工事における己の役目が既に終わっているシュネルドルファーは家の庭でギンにつき合わされていた。

 本来ならば記録執筆をするはずだったのが、「ちょうどいい機会だからちゃんと魔法を勉強しようと思うんだよ」というギンから無理やり教師にさせられてしまったのである。

 さすがのシュネルドルファーも「つまらないから」で国を飛び出すほど強引なギンを跳ね除けることはできず、渋々基本から教えることにしたのだが……

「指先に魔力を集中させてみろ」

「ん~~……!」

 右手の人差し指を立てて意識を集中させるギンに、シュネルドルファーはもう何度目になるかわからないため息をついた。

「信じられん……」

 なんと、できないのだ。

「……あたし、才能ないのかい?」

「それはあり得ん」

 イングヴァルの森であれだけ長い時間、濃密な魔力を操り続けたのだから魔法の才がないなどということはあり得ないのだ。

「口ならどうだ?」

 楽器を弾く指がだめなら歌う口、ということで提案すると……

「…………」

 まるで料理を食べさせてもらうために待っているかのような状態のギンに、シュネルドルファーは不可解さを隠し切れない表情で腕を組んだ。

「ああああああ」

「なぜそれだけはできるんだっ!?」

 そう、音を出せば一緒に魔力を放出することはできるのだ。

 ただし、放出のみ。

 錬魔運用術基本三形態のうち、意図的に行えるのは放出のみ。

 応用四形態では放出の要素を強くもつ拡散と持続のみ。

 循環、維持、集中、爆発はまるでできないのである。

 もちろんいずれの要素も術の中に自然に含まれているため、まったくできないということはない。わざわざ破眼で確認したところ、ギンの体内ではごくごく自然に循環も維持もなされていたから、体質的に致命的な欠陥があるというわけでもない。

 それなのに、いざ操ろうとすると放出に関する技術以外できないのである。

 そんな術師を、シュネルドルファーは見たことがなかった。

 これでは実質的な意味での魔法である術系統に進むことすらできない。

「もういっそのことそれもありか……?」

「なにがだい?」

「どうやらおまえは放出技術に特化しすぎていて、火を噴きつけたり結界を張ったりといった系統立った魔法が使えんらしいから、いっそのこと……」

「火を出すぐらいはできるよ、馬鹿にしないどくれ」

 あまりに意外な返しだったため、シュネルドルファーは目を点にして固まってしまった。

「あんた、そんな面白い顔もできるんだねえ」

「……やってみろ」

 両手でぐしゃぐしゃと顔をこすり、呆れ顔に戻ったシュネルドルファーは次の瞬間、またもや固まってしまった。

「はあああああッ」

 という声と一緒に、綺麗に紅を引いたギンの口から小さくも美しい炎が吐き出されたのだ。

 これにより、混乱するシュネルドルファーの頭の片隅にひとつの仮説がぼんやりと輪郭を成してきた。

「すべては音、か……?」

「それはもうわかってるだろ」

「おまえ、向こうの端に立て」

 指差す先は物置小屋があるほうの庭の端。そして返事も聞かず歩き出したシュネルドルファー自身は畑がある反対側へと向かい、雑草を引っこ抜くと柵の杭の上に置いた。

「そこから声を飛ばし、この草だけを燃やしてみろ」

「さすがにそれはやったことないけど、わかったよ」

 ギンは深呼吸したのち二、三度軽く息を整える。そして狙いを定めて、

「はあッ!」

 と、短いながらも鋭く力強い声を上げた。

 するとどうだろう、一瞬ののち、柵も少々焦げたが見事に雑草を燃やして見せたではないか。

「おっ、できた!」

 喜ぶギンを無視して、シュネルドルファーはもう一度雑草を摘み取って隣の杭の上に置く。

「今度はこれを凍らせて見せろ」

「…………?」

 ギンが即座に頷かなかったのは、シュネルドルファーがギンと標的の間に立ったからである。

「その状態でかい?」

「この状態でだ。間に障害物があろうと音の伝達に問題はないはずだ」

 魔力を宿した声が標的に届くまでの間にも術としての効力を発揮するのであればシュネルドルファーも凍らせることになるが、それはないと判断してのことである。もちろんそういった使い方もギンはできる。イングヴァルの森で見せた使用法がまさにそうであったから、彼女は本来、音が届く範囲すべてに効果を及ぼす拡散と持続に特化した術師なのだろう。

 果たして、シュネルドルファーは自身の体を通り抜けていく無害な魔力を感じ、ギンからは見えていない標的が凍るのを確認した。

「どうやら信じられんことに、おまえは特定の技術に特化した術師らしいな。魔術師としては欠陥ともいえるが、ある意味では天才ともいえる」

「あんたの物言いだとまったく褒められてる気がしないんだけどねえ」

「馬鹿正直に称賛するつもりはないが、これはこれで面白い。いいか、今の実験でわかったことがある。それは、おまえの魔法はすべて音が条件になっているということだ」

「だからそれはわかってるんだって」

「より正確にいえば、音を出すことが術式であり、出した音が魔法で、その効果は音の届く範囲すべてに有効ということだ」

「あんた、回りくどい言い方が好きだねえ」

「ふん、おまえはもう少し論理的な思考を身に着けるべきだな。音とはなにか、わかるか?」

「音は音だろ」

 その答えが読めていたので、シュネルドルファーはいちいち呆れるようなことはしなかった。

「音とは振動だ。声を出せばその振動が空気に伝わり、音は空気に乗って他者の耳に届く。自分の声が聞こえるのはそれに加え自分の体が振動して音を伝えているからだ」

「へえ~」

「つまり空気を遮断してしまえば音は飛ばないということになる。これはとうの昔の実験により証明されていることだ」

「でも空気がないところなんて、水の中ぐらいしかないじゃないか」

「魔法で風を操れば真空を作り出すことは可能だ。よって、おまえの天敵は風ということになる」

 いいながら、互いの間に小さなつむじ風を起こして見せた。

「しかし同時に、風こそがおまえの魔法の生命線でもある」

「そっか、あたしが風を自在に操れば、音はどこまでも届くんだね?」

「そのとおり。つまり理論的にはおまえの魔法範囲はこの大地のすべてということになる」

「わーお! すごいじゃないかい!」

「あくまでも理論上の話だ。それにおまえの技能傾向を考えると界術との相性もよく……」

「そういう細かいことはいいから、早く風の操り方を教えとくれよ!」

 大好きな論理的講釈をぶった斬られて憮然とするシュネルドルファーだったが、彼は決して理屈屋ではなく、理論と現実とがぶつかった場合、多少の葛藤はあれど現実を選び取ることのできる現実主義者である。ゆえに、オイゲンとは違いギンには魔法理論を述べるよりまず実践させるほうがいいということも、きちんと理解できるのだった。

「やれやれ、まずはだな……」

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