第2話 骸骨の次善的な隠し場所

第2話 Ⅰ

 ジブラスタという国の気候風土はこの大陸内においてはかなり特殊な部類に入る。国土の半分ほどを砂漠というほどではない砂地が占め、残りを山岳や平原が占めるが、なぜか山岳以外の地形がランダムに入り混じっているのだ。道なき砂地を歩いていると突然緑豊かな森が現れ、抜ければまた砂地、しかも隣には草原が――といった具合である。気候も同様に読みづらく、砂地ではよく砂嵐が起き、天の気まぐれのように短い雨が雨量不安定で降る。はっきりしているのは夏は暑くて冬は寒いというくらいである。

 そういった天候事情から、この国の人々はどんな天候にも対応できるように砂よけ雨よけ日差しよけ寒さよけを兼ね備えた特殊なターバンとローブを生み出した。さすがにオールシーズンとはいかないがどちらもそのときの天候に合わせて形を変えることができるという優れもので、この国に長くいるのであれば外国人でもこれらをもっておかなければ大変な目に遭うこと疑いない。

 また、いつ雨や砂嵐がくるかわからないため建物にレンガや木材はほとんど使用されておらず、そんじょそこらの田舎村でさえ石造りで、やはり天候の面倒臭さからかあまり外観に気を配ったような建築物は見受けられない。そのためそれなりに大きな町に行っても街並みが地味であるのが、外国人からは不評であった。

 そんな文化上の例に漏れない東部の商業都市ダロアにて、ひときわ人目を引く三人組の一行があった。

 先頭を歩くのは薄手のターバンを巻いて長い黒髪を首のうしろで結った長身の男で、いかにも魔術師然とした品のいい藍色のローブをまとっており、その堂々とした歩き方と荷物の少なさから一行のリーダーであることが誰の目にも明らかなシャープな印象を与える青年。

 そのすぐうしろをついてゆくのは、やはりターバンを巻いた光沢のある明るい栗色のくせ毛を汗で額に貼りつける程度には荷物を背負った十代後半と思しき少年で、遠目から見ればただの従者にしか見えないだろうが、先頭の男と似たやや緑がかった青いローブといかにもマダム受けしそうな可愛らしい顔とで社会的身分は低くない師弟関係であることを窺わせる。

 ここまでならば別に珍しくもないただの魔術師師弟の旅である。ところが、最後尾できょろきょろとあたりを見回しながらついてくる者が、明らかに異質であった。

「フム、時は流れど確かに風蛮を思わせる光景ぞ。されどここまで大規模な都市を作り上げるほどに発展するとは、やはり時の流れ、侮りがたし」

 この古い大陸共用語の発生源は、いかにも年季の入ったズタ袋。袋の正面に二つの穴が開いており、首元で口を締められ、首から下はこれまたその辺にあったボロ布を巻いただけというような、奴隷にしてもあまりに酷い恰好であった。その上前の二人よりも大きな荷物を背負っており、腰には立派な剣を差しているから、不思議というほかない。

 果たしてあれは奴隷なのか、罪人なのか、それとも変装しているだけの変装下手な有名人かと、一行を目にした人々はひそひそと囁き合っていた。

 もちろんこの一行はシュネルドルファー博士と弟子のオイゲン、そして自らの墓所を吹き飛ばして派手に復活を遂げたかつての海陽王、レッコウである。

 なぜこういうことになったのかというと、話は事件直後へ遡る。



 魔女キルケを撃退して因縁に終止符を打つという大団円も束の間、自身の状態を知ったレッコウは悲しみに暮れてしまった。

「オウオウ……シクシク……嘆かわしや、嗚呼嘆かわしや、嘆かわしや……わが自慢の鋼の肉体いまいずこ……」

 瓦礫だらけの地べたを転がりながら嘆き続ける骨に、皮肉っぽい笑顔を浮かべながらシュネルドルファーは応えてやる。

「蛆の湧いた腐乱死体でなかっただけましだろう」

「慰めになっておらぬわっ! おぬしらにわかるか、ある日ふと目覚めて鏡を覗き込めば、あるはずのわが顔がなく覚えのないただの骸骨がこちらを見返しているこの恐怖がッ! 戦歴長き吾輩といえどこれほどの恐怖を覚えたことなどないわっ!」

 本当にショックだったのだろう、兜を叩きつけても収まらないようで、骨の拳で地面を殴り始めてしまった。

「ああ、そういえば聞きそびれていた。いや、もう解決したようなものだが、念のため改めて尋ねておきたいことがある」

「なんだ!」

「名はなんというのだ?」

 レッコウは首の骨が外れそうな勢いでシュネルドルファーを見返した。きっと顔が健在であれば瞼の両端が裂けんばかりに見開いて阿呆のように口を開け放っているに違いない。骨の状態でもそう確信させるだけの不思議な説得力のある動作だった。

「お、おぬし……わが名を知らぬと申すか……?」

「うむ、先ほどまでは知らなかった」

「知らぬでわが寝所に忍び込んだと申すか……?」

「いや、ここは墓所だ」

 どうやら骨であること以上にショックだったらしい。呆けたまま前に倒れ込んでない顔面を思い切り地面に叩きつけてしまった。

「列海の龍王や鋼の黄龍という異名は残っているが、仕方あるまい、なにせおまえが死んで千年以上経っているのだ。あの時代の資料はほとんど見つかっていないからな」

「千年……?」

「うむ、千年だ」

「吾輩は千年も眠りこけておったというのかァ――ッ!?」

「いちいちリアクションの大袈裟な王だな」

「先生、絶対楽しんでるでしょ……」

「むしろ楽しまずにどうせよというのだ」

「はあ……」

 オイゲンとてわからないでもないが、もう少し人として優しく接してやってもよいのではないかと思うのだ。悪ふざけをし始めるととことん意地悪くなるのがシュネルドルファーの悪い癖である。

「ええい、よかろう! 千年だかなんだか知らぬが、知らぬというなら教えてくれる! 吾輩はッ! 百島百海を制せし列海の龍王! 鋼に愛されし黄龍、海陽王烈黄であああァァァるッ!!!」

「うむ、知っている」

「平伏さぬかッ!」

「あいにくおれの王ではないのでな。それより、その剣の名前もレッコウといっていたが、自分の名をつけたのか?」

「おう、よくぞ訊いた。この烈鋼のコウは鋼と書き、吾輩のコウは黄色を意味する字だ。ゆえに鋼の黄龍と謳われたのだ!」

「なるほど、だから鎧にも黄色なのか。そういえばこの墓所自体にもやたらと黄色の塗装や装飾品があったな。思えば黄金も置いてあったようだが、このありさまではな……」

 二人の骨のお陰で墓所は天井に大穴が開き、この王の間を中心とした半径三〇メートルほどは見るも無残な瓦礫の楽園である。墓所は現在海陽もジブラスタも管理していない、完全に人の手を離れた秘境の遺跡ゆえに国から賠償を要求されることはないが、この惨状が知れれば世界中の考古学者から殺意を向けられること疑いない。

「フン、財宝などはどうでもよい。そんなことより今海陽はどうなっておる?」

「うーむ、あまりこのあたりの歴史には詳しくないが、とりあえずここはもう海陽領ではない。今はジブラスタという国の領土だ」

「聞かん国だ。風蛮は滅びたか」

「フウバン?」

「ああ、フーバーンのことだ」

「なるほど。確かにとうの昔に滅びはしたが、国名が変わっただけで中身はたいして変わっていないな」

「で、わが海陽は」

「海陽に関しては……」

「どうした。まさか……」

「国は健在だが、今は群雄割拠の戦乱期に入っている」

 レッコウはがっくりと肩を落とした。

「嘆かわしや……吾輩があれほど苦心してまとめ上げたというに……」

「むしろ千年もったのだから偉業というべきだろう。今のところ千年以上同じ国として続いている国は他にないぞ」

「実感が湧かぬな……ああ、このようなことなれば伊守流いするの神には千年王国ではなく万年王国となるよう祈っておくべきであった……」

「今おまえが戻れば救国の英雄になれるのではないか?」

 シュネルドルファーは悪党にしか見えない笑みを向けた。だからというわけではなかろうが、レッコウは腕を組んでしばし考え込む。

 もしこの扇動が成功してしまえば、レッコウは今度こそ間違いなく歴史に名を残すことになるだろう。ただし、魔物として。そして海陽は魔物に支配された国として世界から奇異の目で見られるに違いない。そうなるとむろん、それをそそのかした張本人としても墓所を破壊した考古学界の敵としてもシュネルドルファーの名も悪名として広まることになるのだが、果たしてこの男がそんなことを気にするのかどうか、少なくとも彼の弟子には判断がつかない程度には彼はひねくれていた。

「やめておこう」

「ほぉう?」

 面白そうにシュネルドルファーは身を乗り出す。

「まことに嘆かわしきことながら、今の吾輩はもはや理外の輩だ。このようなおぞましき怪物を民が受け入れようはずもなし、そもそも吾輩は千年もの時を越えて目覚めておる。望む望まざると関わらず時代とは移ろい変わるものぞ。もはや千年の寝坊助の出る幕ではあるまいて」

「意外なまでに冷静な見解だな」

 さすがは物理的に腐っても王か、などと大真面目な顔でつけ足すから誤解されるのだが、これでもシュネルドルファーは彼なりには素直に感嘆しているのである。

「しかし弱った。吾輩、いったいぜんたいこの姿のままでいかにすればよいのだ?」

「さて。もはや人の世の軛から解き放たれたのだから好きにしてよいのではないかな。姿に関しては……さすがに問題か」

「なんとかならぬか、魔術師よ」

「無理だな。おれにはキルケほどの力はないから一度失ったものを元に戻すような自然の理に反するすべはもたん。むしろそれに関してはこちらが訊きたい。あれはいったい何者なのだ?」

「うむ……」

 レッコウは一度解いた腕を再び組み、かつては顎鬚があったのだろうと思わせる動作を見せた。

「あやつとのつき合いはそれなりに長い。アルマなる国から流れてきたというが、まあ早い話が一方的にあやつが吾輩に惚れ、吾輩がふり、それを恨んで幾度も戦いや怪しげな術を仕掛けてきたのだ。伊守流の神のご加護がなければとうの昔に呪い殺されておったところよ」

「最初からあんな化け物じみていたんですか?」

「いや、そうでもない。むしろ器量好しであったゆえ妾でよいならもらってやると、最初は答えたのだ」

「承知しなかったんですか?」

「しなかったのだ……吾輩、このざまでは想像もつかぬであろうが、これでも若きころから大変おなごの評判がよくてな、やつと出会うたときにはすでに一国一城の主となっており正妻も妾もおった。ところがあやつめ、女たちを全員殺しておのれが正妻になるなどとぬかしおったのだ。即刻叩き出してやったわ」

「で、その報復として呪術に妖術か。あの時代のモラルを現代の物差しで測るべきではないにせよ、やはり極端なまでにイカれた女だな」

「いかにも。そうそう、次に会うたときには随分と容貌が変わっておったのであやつと気づけなんだのだが、それゆえにまた恨みを買ってしまってな」

「呪術や妖術は見返りとして術者の大事な物や人間性そのものを奪われると聞く。やはり人が手を出してよい領域ではないのだ、あれは」

 三人は一様に腕を組んでうんうんとしみじみ頷き合った。

「しかしその姿をなんとかできるとしたら、それもまた外法の類しかあるまいな」

「それは御免こうむりたいものだ」

 レッコウは清々しいまでにきっぱり言い放った。

「人の姿を取り戻すために外法の力を借りるくらいならば、人として再び死ねる方法を探そうぞ」

「ほう。よいではないか、それで」

「ム?」

「このままでは永遠にその姿のまま現世を彷徨わなければならんかもしれん。であれば、呪いを解く方法を探すために生きるというのが人としての道理というものだろう」

「ウム……その言やよし!」

 バン、と膝を叩きたかったのだろう。実際叩きはしたが、骨と骨とで思い切りやってしまったのでしばしレッコウは悶絶した。その様がまたシュネルドルファーにはツボだったらしく、こちらもしばらくの間笑いをこらえるのに必死であった。

 そして復活したレッコウが、海陽語で何事か呟いてから、いったのだ。

「これもまたなにかの縁と心得る。魔術師よ、吾輩を連れてゆけ!」

「構わんぞ」

 オイゲンは是とも否とも反応しなかった。術者であるキルケが死んだにも関わらずレッコウに変化がないと判明した瞬間から、シュネルドルファーはそのつもりでいると悟っていたのだ。レッコウが言い出さなければシュネルドルファーから切り出したに違いない。それくらい彼がレッコウに興味を抱いていることは弟子の目には明らかであった。

 そういうわけで、二人旅が三人旅となり、まずはレッコウの恰好をどうにかしようと街へ繰り出したのである。

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