第4話

 食事をすませ、しばらく茶を飲み、店を出る。二人は大学の方向へ歩みをすすめた。少し冷たい風が吹いてくる。相変わらず空は鉛色だ。


 十分ほど歩き続ける。道の先から人影が固まって近づいてきた。三人の男が、痩せ細った一人の女性を囲んでいる。


 周辺の通行人を威嚇する空気。


 彼と友人が進むのとは反対方向へ通りすぎていく。男たちは鍛えあげた大きな身体の上にカーキ色一色が映える軍服のような制服を着ている。野球帽型の帽子は目深くかぶっていた。一人は女性の細い片腕を強くつかんでいた。しかし彼女は抵抗する気配を表に出してはいない。ただ外国語らしい独り言を、誰にむけるのでもなく口にし続けていた。


 振り返った彼に旧友がささやいた。


「あれは、民間の警備員だよ。影では突撃隊とよばれているけれどね。止まらずに歩けよ。目をつけられるとやっかいだ。ほら、あそこに監視カメラもあるだろ。ほら、あそこにも」


 あごでしゃくった友人の示す方向へ目を凝らす。鉛色の雲がたれこめる空の下、電柱の上を見上げる。寄生生物のような小型カメラが、不気味な単眼により路上を見下ろしている。


 カーキ色の男たちは、女性をひっぱって、人通りのなさそうな狭い路地へと直角にまがっていった。


 忠告を受けた彼は、それでも男たちが手に握っていた頑丈そうな警棒が目に入っていたので、気になってしかたない。



 そのまま、また一区画をすぎて角をまがる。石畳もある通りに入った。内部はコンクリートによるのだろうが表面はレンガ造りの建物が多い。ちょっとした東欧の街なみを連想させる。


 安心しかけたのも束の間、二人の表情が再び固くなってしまった。


 道路の先に、軍用のトラックが一台、屋根を付けた四輪駆動車が一台、縦に連なって道の脇で駐車している。その周りでカーキ色に統一された軍服姿の男たちが十人ほどだろうか、忙しく動きまわっていた。


「ちっ! また突撃隊だ……どうしようかな」


 旧友が歩きながら舌打ちを鳴らし、聞こえよがしにはきすてた。


 軍服たちが一棟のマンションからダンボール箱をかかえたり、本や書類のようなものも両手に次々と出てくる。停めてあるトラックの荷台へそれらを積み込んでいった。


 彼は、友人の耳に口を近づける。


「彼らは何をやっているんだ?」


「突撃隊の仕事の一つに書籍の取り締まりがあるのだよ。はじめは“児童ポルノ”という、大衆にとって受けのいい名目で漫画を強制没収したり所持者を逮捕連行していたが、その次に小説、そして社会評論から学術書まで、摘発の範囲が広がっていった。音楽の著作権でもよく検挙の道具にされている。政府の気にさわるものならなんでもだ。それであの軍隊気取りだか軍事マニアの連中を手下として働かせている。もちろん紙だけじゃない。電子記録媒体も含まれる。ああやってトラックで運んで、集めて全部燃やす」


「焚書か?」


「ま、そういうことだ。今は逆らうやつはほとんどいない。いや、むしろ今まで平和を謳っていたいくつかの名のある宗教団体なんか喜んで協力しているよ。“神の名のもとに穢れた物を浄化するのだ”とか、異端狩りは連中の専売特許だからな。中世の時代から人間はちっとも変わらないよ。……そいつらが関わったかどうか定かでないが、中国の歴史と文化を専門とする図書館が文京区にあった。それがみんな焼かれてしまった。中国だけでなく世界にとっても貴重なものがたくさんあったのに……」


「人々は歴史を学んでいないのか?」


「歴史ね。歴史修正主義者による洗脳で頭がおかしくなってるかな。でも、無理矢理じゃないんだ。皆、みずから進んでね。面倒くさがって勉強しないから。きちんとバランスの取れた栄養のある食事を取らずに、ポテトチップス、フライドチキン、ハンバーガー、ジャンクフードですませてしまう感覚に似ているかな。そうそう、それでイエスメンという海外のコメディアンが有名ハンバーガーをからかったドキュメンタリーのことを思い出したよ。そこで一流大学のエリート学生たちがもっているダメな感覚も暴かれていたな。日本のコメディアンは強者の提灯持ちをしてヘラヘラしているから期待はできない。おっと違う話しになった」


 どちらが声をかけるでもなく、二人は立ち止まった。その刹那、後ろから車のエンジン音が迫ってきた。大きな黒い影が二人のすぐ脇を走り抜けた。軍用の四輪駆動車だ。緑色に塗装されている。トラックと共に駐車しているものと似ているが屋根はない。


 その走り方は、誰でもひいてかまわないような攻撃性を感じる。軍用車は三人の男を載せていた。速度を落とすなり作業を続ける突撃隊のすぐ近くに停車した。まず、目についたのは、乗っているうちの二人は緑色の迷彩服でヘルメットを頭にかぶっていることだ。そしてライフル銃。銃口は上空を向いている。


 突撃隊の今まで勇んでいた顔色が、おびえたように変わった。それぞれの作業を行っていた足と手がとまるなり、身だしなみを急いでととのえはじめる。野球帽型の帽子も乱れがないようにかぶりなおした。突撃隊の視線は軍用車から降りてきた一人の人物に注がれている。ライフル銃を携えている二人の兵士の方ではない。車から降りてきたその男は、背が高く、無表情な顔の中に宿す冷ややかな目で突撃隊を眺める。身なりの毛色は他とはまるで違う。


 突撃隊が背筋を伸ばしてその男に敬礼した。男は、握りこぶしを口の前にあて、薄いピンク色の唇を結んだまま咳払いをした。そしてまつ毛の長い、切れ長の目で見下す視線を返した。


「んっホン……作業を続けたまえ」


「はっ!」


 突撃隊に命令をくだしたその男は、全身黒づくめの服装である。帽子は野球帽型ではなく、自負と権威のみなぎる、将校とか警察官が被る官帽である。ズボンは、太股の部分だけ幅広い乗馬ズボンである。手足も長く筋肉を鍛えた軍人というよりもファションモデルに近い。そして、埃ひとつ付いていない磨きあげたブーツが暴力の匂いただよう街中で黒光りする。


 指示された突撃隊は表情をかたくしたまま再び動きはじめた。


 通りがかってしまった彼と共にいる友人が、苦い顔をあらわにする。


「ああ、なんてこったい。あんなのが指揮しているぞ。あいつは総理大臣警護隊だ。覚えておくといい、黒い制服が特徴でね。突撃隊とは別格で、あいつらは親衛隊と呼ばれている。見ただけで消化に悪いな」


「どうする? 道を引き返すかい?」


「いやいや、とても回り道になってしまう。それに、迂回しても、さっきのようにまた別の部隊に出くわすだろう。このまま目立たず騒がず、慎んで支配者のそばを通らせてもらおうじゃないか。さ、行こう」


 親衛隊の存在を教えてもらった彼は、うながされるまま、歩きはじめた。余計なことに巻き込まれずどうするべきか。さしあたって視線を他へ向けてみたのだが、奇妙なものが視界に入ってしまった。


 働く兵士たちのすぐ側。石畳の道端に、大きなブルーシートが一枚広がっている。何かをかぶせたらしく、ふくらみがある。ちょうど大人の人間一人が横たわればその大きさである。彼の目はそこへ止まり本能的に歩調が遅くなった。


 それだけではない。ブルーシートから二メートルはなれた路上には、血だまりが見えた。バケツから水をこぼしたように水溜まり状に広がっていた。血の小さな一滴一滴が血だまりからブルーシートの中へと連なっている。


 その平和的な日常ではお目にかかることのない異様な光景に彼は、足を一旦は止めた。


 凝視してみる。


 緊張から胃袋がぎゅっと、しまるような感覚をおぼえ、思わず唾を飲み込む。


 すると黒い制服が、彼と友人、二人の方向へ、獲物をとらえるような鋭い目を向けてきた。


 余所見をする彼から離れそうになった旧友の顔がこわばる。


「いかん。おい、何を余所見しているんだよ。このまま歩いていくぞ。絶対に何も話すなよ黙って歩くんだ。俺に調子を合わせろ」


「あ? ああ……わかったよ」


 友人から耳打ちされた彼は、小声で答える。できるだけ普通の歩き方に努めるが、かえってぎくしゃくした足取りを強調してしまった。靴の中の足が、あぶら汗でじめっとしてきた。


 黒服が視線のおよぶ領域を急ぎもせず、つとめて自然な足取りで通り過ぎる。


 後ろへ振り返りたい気持ちもあった。去りつつも、もしかしたら自分たちを捕まえるために見つめているのではないかという、感覚が恐ろしい余韻として背中の鳥肌が立っていた。


「振り返るなよ。このままあの角をまがればいい」


「……ああ、……ああ、わかったよ」


 兵士たちのテリトリーから逃れられる角がすぐ前に見えたとき。 


「おい! そこの! 止まれ!」


 男の一喝する大声が、やっと逃げられるという彼の背中を後から前へと貫き、通りいっぱいへ轟きわたる。二人は、雷にうたれたように足が止まってしまった。まるで、学校の廊下を歩いていたときに、体罰の大好きな教師から生活指導のことで呼び止められたような学生を思わせた。


「そこのお前! 荷物を見せてみろ!」


 命令しているのは、やはり黒服の親衛隊だ。睨み付けながら右腕を水平に伸ばし、人差し指をさしてくる。すぐさまライフルを持つ部下の兵士二人が、指先の方向へ猟犬のごとく駆け出した。

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