7.(後編)
「〝シュレーディンガーの密室〟……」
創介の話を聞いていたアリアが不意につぶやいた。
「え? しゅれ……なに?」
聞き慣れない言葉に創介がオウム返しに問いかけるとアリアは慌てて首を振った。
「いえ、何でも……」
アリアは誤魔化すようにミルクティーを口に含んだ。
甘くなめらかな舌触りの紅茶がカラカラに渇いた喉を潤してくれる。
アリアがガラス製のティーカップをソーサーに戻すと涼やかな音を奏で、まるでそれを合図にしたかのように話し始めた。
「それで、家政婦が見たという目撃証言と九野さんの目撃証言は真っ向から食い違い、また死亡推定時刻はどちらの証言も支持していたにもかかわらず、警察はまだ子供で被害者たちとの関係性も深い九野さんの証言より、完全な第三者である家政婦の証言を採用したというわけですか……」
「相変わらず凄いね……! 今の話だけでそこまで推理できるものなの?」
創介はまだ警察から受けた取り調べやその後の捜査については何も話していない。
にもかかわらず目の前の少女は新聞の小さな記事や創介の話の行間から、事件のあらましを正確に読み取っている。
創介は改めて根岸アリアという女子高生が持つ類まれな推理力に驚くと同時に淡い期待を寄せた。
〈この娘なら、両親の事件の〝謎〟を解いてくれるかもしれない……〉
「別に……既に被疑者死亡で書類送検も済んでいる事件をひっくり返すというのなら、そのくらいの無理筋が必要だと思っただけです」
アリアは表情をさとられまいとカップを傾け口元を隠す。
「探偵さんの言う通り、とっくに犯人は送検されているどころか死んじゃってる事件だ。どんな真相であれちゃんと納得したいっていう個人的なワガママだから、気軽に……茶飲み話程度に考えてくれればいいよ」
そう言って、創介は手土産に持ってきた紙箱を目の前で開けてみせた。
「こ、これはっ……山吹色のお菓子!?」
まるで十五夜のお月さまのようにまん丸としたどら焼きが箱の中、綺麗に並んでいた。一つずつ中身の餡が違うらしく、スタンダードな粒餡とこし餡、抹茶栗餡やマスカルポーネチーズ入りのティラミス餡なんてものまである。
〈まさかこれも手作りだって言うんじゃないだろうな……?〉
アリアはおもわずどら焼きから視線を外し創介の顔をまじまじと見つめた。
この大学生の場合、平気でそういうことをしそうだから困る。それに口では『気軽に』なんて言っているけど、未だに両親の性を名乗っていることからもこの事件が創介に暗い影を落としているのは明白だ。
だがアリアはそこには触れずに調子を合わせる。
「ンまぁ、とっくに終わってる事件ですし? 推理と言うか、私の妄想でよければいくつか話してもいいですよ?」
自分と同じような家庭の問題を抱えている創介に同情したというのもあるが、目の前のスイーツに魅力を感じたというのも動機として決して小さくはない。
〈この前の揚げ芋もンまかったし……〉
「ありがとう探偵さん」
アリアの下心には気付かずに、創介は朗らかに笑った。
「……コホン! じゃあまずは家政婦犯人説から考えてみましょうか?」
「え? ウチの家族とは縁もゆかりもない第三者だけど……?」
「何言ってるんですか? 『一番怪しくない人物こそ疑え』……ミステリーの鉄則です!」
こうしてアリアの喫茶店デビューは謎と怪奇に満ちた血生臭い事件の話で盛り上がっていった。
古い喫茶店の店内にはジャズがかかり、手元には一杯の紅茶と美味しいお菓子、そしてミステリーがある。
アリアはこんな午後のお茶も意外と悪くないと思ったのだった。
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