6.

5月31日 午後6時32分



 市の南西、壁のようにそびえる山々に太陽が隠れ、濃紺の空がゆっくりと頭上に降りてくる。玄関から漏れる明かりに照らされながら、アリアは少し肌寒さを覚えてベレー帽をかぶり直した。


 「今日は本当にありがとう」


 アリアが固辞したにもかかわらずサンダルのまま付いてきた創介から、手提げの紙箱を手渡された。

 どうやらお土産のつもりらしい。


 「余り物で悪いけど、揚げ芋のドーナッツ。じゃがいもをホットケーキミックスと牛乳、それに卵であえたものを揚げた、彩夢ちゃんイチオシのお菓子だから良かったら食べて」

〈またしても手作りのスイーツとは、気が効くのを通り越して気に障るヤツめ!!〉

 一方、その彩夢はといえば、玄関の引き戸の影から恨めしそうにこちらを覗いていた。

「お礼を言うにはまだ早いですね。所詮、女子高生のたわごと……九野さんのお父さんが簡単に信じてくれるとは思えませんし、そもそも私の推理が間違っているかもしれませんよ?」


 意地悪でそう言ったものの、アリアはこれまで自分の推理を疑ったことは一度もない。〝名探偵〟が事件に巻き込まれ、然るべき手順で推理したのだから、それが真相に決まっている。逆説的ではあるが、それがアリアにとっての〝たった一つの真実〟というやつだった。

 そんなアリアの本心を知ってか、知らずか、創介は軽く肩をすくめただけで、穏やかに笑っていた。


「どのみち自分一人じゃ、警察の捜査をただ待っているだけだったんだし……それなら、自分にとって都合の良い方を信じてみてもいいんじゃないかな?」

「ンま、信じるのは自由ですケドネ……」

 相変わらずヘラヘラしている創介の表情にすっかり毒気を抜かれてしまったアリアは、唇を尖らせながらそう答えた。


「それより探偵さん、さっきの話で一つ疑問があるんだけど」

「……何ですか?」

 アリアは文字盤に蜂の意匠をあしらったオリビア・バートンの腕時計を見ながら、メンドくさそうに聞き返した。

 寮の門限までさほど猶予が残されていないとは言え、お土産まで貰ってしまったので無下にもできない。


「探偵さん、本当はんじゃない?」

 

 突然、体の無防備な部分に触れられたかのようにアリアの全身が強張った。

 勘なのか、偶然なのか分からないが、創介読みは正しい。

 アリアは米田真美を犯人とする理由をあえて順序逆に説明したのだ。


 「……その根拠は?」


 創介の意図を計りかねて、つい言葉が硬くなる。

 しかし創介はアリアに睨まれているにもかかわらず、照れくさそうに頬をかいた。


「いや~自分もたまに彩夢ちゃんから推理小説を借りて読んだりするんだけど……登場人物のちょっとした言動で、事件が起こる前にコイツが怪しいって閃くことがたまにあるんだよね。そう思って、話を読み進めていくと不思議と動機とか、トリックも分かったりしちゃって……探偵さんもやっぱりそうなのかなと思って?」


 どうやら本当に純粋な好奇心と共感から発せられた質問だったらしく、アリアは安堵とも呆れともつかない小さなため息をついた。


「それは推理小説だからですよ、九野さん。初めから事件が起こると分かっているから、些細な事にもよく気が付くんです。実際、世の〝名探偵〟たちもそういった些細な事から、犯人に目星をつけていきますし……」

 そこまで話すと、アリアはなるべく声が固くならないように意識する。

「もしも日常生活で『今日、これから事件が起こるかもしれない』なんて思ってるヤツが居たら、どう考えてもビョーキだと思いますけど?」

 そんな事を考えているくらいなら、脳内彼氏や友達とデートや遊びに行く妄想をしている方が、まだいくらか健全だ。

 アリアが自嘲気味に口元を歪めると、創介は小さくうなずいた。


「それもそうか……いや、ゴメン。つまんない質問で時間を取らせて……暗いし、駅まで送ってこうか?」

「や、大丈夫。道は覚えてますから……」

 アリアは軽く会釈すると夜の住宅街にローファーの先を向けた。


 アリアとしては、一刻も早くこの〝名探偵〟と容疑者の奇妙な関係を終わらせたい。先ほどの創介の質問で、その想いは一層強くなっていた。

 もっとも、向こうは医大生で自分は全寮制の女子校に通う高校生。

 二百万人近いこの街で再び点と線が繋がる確率は、アリアが殺人事件に巻き込まれるよりも低いだろう。


〈あとはこの証拠物件さえ、お腹の中に隠蔽すれば迷宮入り間違いなし……!〉


 アリアは通学カバンと一緒に両手に提げた紙箱の重さを感じながら、ナトリウムランプのぼんやりとした明かり照らされた住宅街を歩いていった。

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