第2章 転 平野にて山を睨む

「あ~~~~~~~――」欠伸をかみ殺した転が机に突っ伏していた。「どうしてこう、学校の噺家さんたちのお話は眠くなるのでしょうか……」

「……それはころちゃんがセンセたちを噺家さんだと思っているからじゃないかな?」

「それは理由にはなりませんよ。私、落語を聞いて眠くなることはないですし」


 中村宅で食事会をして1週間の時が経った。

 その間、菊江の計らいにより、転は全生徒に生徒会長として紹介され、数か月生徒会長がいなかったがために溜まっていた事務関係を全て消化していた。


「そもそも、どうして生徒会長がいない間に書類を貯めるんですか……前任の方や他の人間にやらせれば良いでしょう」

「いやまぁ、生徒の数も多いし、途切れなかったんじゃない?」


「……これから、全生徒は私のスケジュールを頭に叩き込み、校内で私が怠そうにしていたら仕事は1か月後に回すように配慮するような校則を作りましょうか……」

「そんな、ころちゃんのためだけにある様な校則認められるわけないよぉ」

「何故ですか、私は生徒会長です。会長です――偉いんです。私のために、私のためだけのルールを作って何が悪いのですか」


「悪いよぉ。生徒会長は生徒の代表で、生徒のためにあるべきなんだよぉ」

「嫌です!」はっきりと拒絶した転。そして、そんな会話を聞いていた別の生徒たちが苦笑いを浮かべているのを転は怠そうに睨み、ため息を吐いた。「そもそも、私が知りもしない他人のために動くと思いますか? 嫌ですよ、名前も顔も知らない人に力を貸すのは」


「……ころちゃん、ほんと何で生徒会長になったの?」

「コネです!」

「言い切った!」


 食堂の一角――そこに転たちはいる。

 まだ昼食の時間ではないが、ここはどの時間でも解放されており、休み時間に休憩する者や飲み物を飲む者、課題をやる者、次の講義まで時間があるために寝る者などのエトセトラ――様々な使い方をする生徒の中に、転も机に突っ伏していた。


 そんなだらけた転を横目に、華秀は向かってきた人影に手を上げた。


「アキラちゃんマヤちゃんこっちこっち――」華秀はぴょんぴょん飛び跳ねながら、歩いてきたアキラとマヤに手招き。「マヤちゃん大丈夫?」


 この時間の前、転たちは一緒に講義を受けていたのだが、マヤの顔色が優れなかった。

 そのため、アキラは講義を途中で抜け出し、マヤを保健室に連れて行き、少しの間横になるように面倒を見ていたのである。


「もう、真っ青な顔してたから吃驚しちゃったよぉ」

「心配かけてごめんね。何だか、最近体調が優れなくて」

「マヤちゃんが謝ることじゃないよぉう。調子悪い時は誰だってあるし、それを咎める人なんていないよ。がうがぅ」

「うん、ありがとう」


 弱々しく微笑みマヤに、顔色を窺うように華秀が顔を覗き込み、額をマヤの額にくっ付ける。


「う~ん……これで熱があるかわかる人って凄いよねぇ」

「ヒデ、わかんねぇのにくっ付けたのか?」ニヒヒ。と、歯を見せてアキラが笑い、華秀の頭を突いた。


「う~……気持ち良くない? こうやっておでこくっ付けると」

「あ、わかる。それに、土屋ちゃん体温高いからなんか落ち着くし」

「お子様体温ですからね」

 すかさず、転がツッコむ。そして、アキラの顔をじっと見つめ、ぐいっと顔を近づけた。


「ところでアキラさん」

「お、おぅ、なんだよ」

「マヤさんの顔色も優れないように見えますが、あなたの顔色もそこまで良くないですよね?」


 転の言う通り、アキラの顔色も、どこか疲労の色に染まっていた。

「あ、ああ――最近、ちょっと夜更かししてて」

「あら、いけませんよ? 睡眠不足は健康面だけではなく、お肌やその他にも影響が出てしまうのですから」


「そうだよ、ころちゃんなんて休日はおやつの時間まで寝てるんだもん。だから見てこ、お肌モチモチぷりぷり――」

「華秀さん、余計なことまで言わなくていいんですよ」

「ころちゃんだって、さっきあたしのことお子様体温だって言ったからねぇ、がうがう」


 転と華秀が互いに頬を抓り合っている光景がある横で、マヤがアキラを泣きそうな目で見ていた。


「ん? どうした」

「ううん……ごめんね、私、アキラちゃんが調子悪いの、気が付かなかった」

「あんだ、そんなことか」アキラは、まるで我が子を撫でる母の如く、慈しみ溢れた表情でマヤを撫でた。「私はそんな顔に出ないからな。それに大したことじゃないし、そこの生徒会長が敏感過ぎるだけだって」

「そう……なの?」

「そうだよ」


 立ち上がったアキラが、その場でシャドーボクシングのように、拳を空(くう)に振るい、元気だ。と、笑った。

「マヤはそんなこと気にしなくていいんだよ。私は、マヤが幸せそうにしてくれればそれで良いからな」


「あぅ……」マヤが照れながら顔を伏せたのだが、すぐに表情を暗くした。「アキラちゃん、まだ昔のこと、気にしてる?」

「あ~! あ~! そんなんじゃないから」アキラは転と華秀をチラチラと覗き見ながら、まるで聞かれたくない話題だとでもいうように、マヤの言葉を遮った。「そうじゃない。そういうの抜きで、私はマヤのこと心配してるだけ」

「……そう」


 2人にしかわからない内容なのだろう。

 転はわざとアキラとマヤから視線を外し、手近にある華秀の頭をツンツン。と、つつき、当たり障りのないような声を発していた。


「ねぇねぇころちゃん」

「なんですか?」

「あたしもイチャイチャしたい。目一杯甘やかすと良いよ」

「……わかりましたよ」

 転は立ち上がり移動すると、華秀を抱き上げ、そのまま椅子に座る。所謂、抱っこである。


「ほ~ら、良い子でちゅねぇ。ミルクですか? お漏らしですか? ちょっと待っていてくださいねぇ」

「ぶっコロちゃん――あたしがしたいイチャイチャはそんなんじゃない!」

「高い高いですか――」

「この抉れおっぱい! そんな胸で子どもが喜ぶと思うなぁがぅがう――」


「スカイハ~イ」

「ぴゃぁぁぁぁぁぁ!」

 華秀を掲げていた転だったが、胸を貶されると青筋を立てながら華秀を上に投げた。

 投げられている華秀はもちろん涙目で、下ろして、下ろして。と、何度も転に頼む始末であった。


「あ、あはは――」マヤが苦笑いを浮かべた。

「私たちにはない関係だな」

 アキラもマヤも、転と華秀のやり取りで、どこか重くなり始めた空気を払拭していた。


 しかし、突然現れた影により、アキラとマヤで一喜一憂――。

「マヤちゃん――」伊彩 ツカサが心配げな表情で現れたのである。

 ツカサの友人であるコウとシゲノリもいた。


「マヤちゃん、具合が悪くなって講義途中で抜けたって聞いたけど」

「う、うん、大丈夫だよ。アキラちゃんも付いてくれてたし」

「そっか」ツカサはアキラに向き直ると深々と頭を下げた。「アキラちゃん、いつもマヤちゃんをありがとうね」

「あ、ああ――幼馴染ですし、気にしないでほしいッス」


 と、ツカサに言うアキラなのだが、その視線は度々コウとシゲノリに向けられており、2人が下種っぽい笑みを浮かべる度、肩を跳ねさせた。


「………………」転は、そんな3人を黙って見つめていた。

「あ、ああ、そうだ。ツカサ先輩、マヤ、まだ調子良くないと思うんで、一緒にいてあげてくれないですか?」

「ああ、もちろん」

「あぅ……アキラちゃん――」

「ほらほら、マヤもたくさん甘えておいで」

「……うん!」


 そうして、ツカサがマヤを連れて食堂を出ていくのだが、コウとシゲノリが残っており、相変わらず下品な笑みを浮かべていた。


「……そんじゃ、私もちょっと用があるからこれでな」顔を伏せ、何かに耐えるような表情のアキラが、力なく笑い、転と華秀に手を振り去って行った。


 その際、コウとシゲノリがアキラと同じ方向に足を進めており、転はそれを訝しがりながら眺めていた。


「……ねぇころちゃん」

「え? あ、はい。何でしょう?」

「アキラちゃん、マヤちゃんに、『も』甘えておいでって言ってたけど、あたしがころちゃんに甘えてるように見えたのかなぁ……がぅがぅ」

「………………」転は、まるで華秀には悩みなどない。とでも言いたそうな、多少可哀そうなものを見るような瞳で、頭を撫でた。「華秀さん……」


「う~むぅ?」

「そんな蚊ほどどうでも良いことは考えなくても良いのですよ」

「なんでよぉ、もうちょっとあたしを気にしろぉ~、が~ぅ~」

 転は暴れる華秀を抱きしめて宥めながら、アキラが去って行った方向をいつまでも眺めた。


 すると、その方向から缶ジュース、お茶、コーヒー、紅茶を抱いた義平が、銀子を連れて歩いてきた。


「おぅ、暇してっか?」

「華秀さんと戯れるので忙しいですわ」

「それを暇って言うんだ――ほれ、飲むか?」

「ええ、いただきます」紅茶を手渡された転は、まだ気になっているのか、義平越しに同じ場所に視線を投げた。


「……あれが真鍋 アキラか?」

「ええ、そうです」

「ふ~ん……どっかで――」義平は呟き、コーヒーの缶を開けながら、転の視線を追った。「まぁ、この学校にいるんじゃ、見たこともあるか」


「それで、何か御用ですか?」

「ん? ああ、そうだったそうだった。ち~っと、手伝ってくんねぇか? もちろん礼はする」


「私がそういうのをやると――」

「お礼!」華秀が顔を勢いよく上げた。「良いよ良いよぉ、ころちゃんも良いよねぇ?」

「え? いや、私は――」

「決まりぃ、がうがう! さ、さ、行こうよころちゃ~ん」

「ほい、労力確保――ほれ、ついて来い」

「だ、だから私の話を――」


 しかし、転の制止の声も空しく、華秀と義平の2人に引きずられていく転なのであった。

 ちなみに、銀子はオドオドした雰囲気でいるだけであった。

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