第五章 ギソウタンマツ

第18話 幻影を追って

 ちさと瀧也タツヤは再び中華街へやってきた。

 この街でもやはり、危険分子レインたちは白昼堂々と迫害を受けている。

 大通りを進み、記憶を辿ってキネコが消えていった路地へ入る。ひとつ角を曲がると、前に瀧也が回し蹴りを食らわせた中国人三人組が今も同じように通路を塞いでいた。

 ビールケースに腰かけてだべっている三人組がちさと瀧也に気付くと、さっそく中国語で大騒ぎする。

「待て! おれたちは偽装端末の設計者を探しているんだ!」

 日本語が通じるかはわからないが、瀧也はそう伝えるしかなかった。中国人の一人が言った。

「あの方に会いに来たですか?」

「……そうだ」

「誰からの紹介ですか」

雫草しずくさ葉子ヨウコ」とちさが答える。

 三人は顔を合わせ――そのうち一人が古臭い民家の裏口を開けた。

「案内はないです。わかるからて聞いています」

 扉の先はどこかの中華料理屋の厨房だった。怒号のような中国語が飛び交い、炒め物とフライパンの音がする。その中に一匹、空中に浮かぶキネコがちさの目にいた。振り返って尻尾を振り、自分たちを待っている。

「大丈夫です」ちさは頷いた。

 ごま油や八角の独特な匂いが漂う中に、ちさと瀧也は入っていった。キネコが移動する。厨房を抜け、ドアの先へと溶けていく。それを開けると、再び小汚い路地にでた。ぴょこぴょこと駆けていくキネコはさらに先の路地を曲がり、それをちさが追いかけると次もまた角を曲がっていく姿を残して消えていく。キネコの案内は、何度も何度も角を曲がり、時には同じ路地をまた通ったりもした。

「まだつかないのか? キネコはちゃんと案内をしてるんだろうな?」

 また同じ道に出た時、瀧也はいぶかしげに言った。

「だぶん……」ちさとしてもキネコを信じるしかない。「さっきはあそこを右に曲がったんですけど、今度は左に曲がりました……」

 本当に大丈夫だろうか。瀧也には見る事のできないキネコをちさは追いかけ、角を左に曲がる。

「あっ」

 一瞬だけ瀧也の視界から外れたちさの声。ネズミやゴキブリでもいたか? 敵性中国人か? まさかスーリか?

「どうした」

 一歩の速度を一瞬だけ早め、瀧也はちさを追いかける。すぐに、ちさの声の意味が分かった。

「行き止まりだ……」

 路地は壁に遮られ、すぐそこで途絶えている。

「キネコは?」

「消えちゃった……」

「到着したんじゃないか?」と周囲を見渡す瀧也だが、入り口のような扉はない。「なにか見落としたりはしていないか?」

「でも、確かにキネコはこっちに――」とちさが瀧也を見上げた時、二人の手の甲にある紋白端末が発光していることに気付いた。

「これは?」

 瀧也は驚いて手を持ち上げる。発光する紋白端末は徐々に強さを増し、やがて目を開けていられないほどにまで明るく輝きだした。昼間だというのに瀧也とちさの影がビルの壁に映り込む。直視できない光に思わず手首をひねって光を地面の側へ向けるが――白すぎる輝きは掌全体の細胞の隙間から幾重もの光線となって零れだし、もはや手首より先は光の球体となった。あまりの輝きによってそれはいよいよ音を生じさせ、瞼を閉じても眼球を穿つ域にまで至っていた。

 キィィィィィィィィン――――

 紋白端末から生じた光は素粒子レベルで物質を貫通し、目に見える放射線となってすべてを白く染め上げていた。脳にまで光が差し込んでいる。もうだめだ、崩壊する。

 瀧也がそう思いかけた所で、辺りは途端に静かになった。お香の匂いがする。

「君たちが歩いてきた道順は――」

 聞き慣れない声が聞こえ、瀧也は強く閉じた瞼の力を緩めた。まだジンジンと水晶体付近に痛みを感じつつ、ゆっくりと網膜の映像を開いていく。

「――君たちが描いてきたものは、ある特殊なルーンだ」

 赤と緑の原色で彩られた龍の像が天井を泳ぐかのように吊り下げられている。床には赤い絨毯が敷き詰められていて、壁は一面、中国伝統の絵画で隙間がない。旅館エントランスのようにも思えるその広い部屋の中央に、男はいた。

 彼は僧侶のような坊主頭にオレンジ色の僧侶服を身に纏い、座禅を組んで座っている。

「ルーン……?」

 中華街の路地からの瞬間移動――あるいは幻覚の類だろうか。後者の方が現実的のようにも思えたが、目の前の風景や人物、匂い、耳に届く言葉すべてを疑いながら、瀧也はちさの身体を自身に引き寄せる。

「ここは?」

「どこでもいいだろう。君たちはここに来た」男が答える。「私がチョウだ」

「おれたちは偽装端末を探している。四つ欲しいんだ。あなたが技術者か?」

「私の事を知らずに来たようだな」

「悪いが振り回されている身でね」と瀧也はちさの頭に手を乗せる。

「おもしろい」

「駆け引きが必要か?」

 そう言う瀧也の顔をちさは見上げてみた。鋭い目つきながら余裕ある表情だ。

「どうだろうな」凋もゆとりある笑みを浮かべてる。「このあと、食事でもどうだ。華龍樓かりゅうろうで待っている。正門から入ってきてくれ。ただし、尾行同伴は困る」

 ジャリっと背後から足音と人の気配。

 瀧也は振り向いた。途端に風景が路地に戻る――やはりホログラムだった。しかしあの匂いや室内の温度感もすべて偽物だったというのだろうか。

 現実に意識が戻ってきた瀧也の前に――路地を塞ぐ形で、男と女が一人ずつ立っている。一人は見覚えのあるハーフ女性、スーリだった。もう一人は彼女よりも遥かに高身長で大柄な男性だ。恐らくは色気か何かで従えた彼女の下僕ボディーガードといったところだろう。

「こんな汚い路地をウロウロして、それで私たちを撒こうとでもしたつもり?」

 男を惑わそうとしているかのような湿度のあるスーリの言葉だ。

「まぁでも、人気ひとけのない路地と周囲の騒ぎがちょうどいいの。行き止まりみたいだから、袋のネズミにさせてもらったわ」

「そんな口調でしゃべる女とははじめて会ったな。実はオカマか?」

 瀧也は相変わらず余裕ながら強靭だ。ちさを自分の後ろへ隠し、ポキポキ指を鳴らす。

「力づくで確かめてみてよ」とスーリがウィンクをかます。

 その隣にいる男が動いた。ジーパンにパーカーとどこにでもいそうな服装をしているが、背丈は瀧也をゆうに越えていて、二メートルはありそうだ。手足も胴も胸も太く厚い。それになによりヤンキーのような細いつり上がりの目と、眉間に皺を寄せて瀧也を睨みつけている様子があまりの怖く、ちさは身体を震わせた。

 男はドスンドスンと大胆に間合いを詰めてくる。瀧也と重量ウェイトの違いは明らかで、喧嘩も慣れていそうだ。

 瀧也は左足を一歩踏み出して拳を持ち上げ、迎え撃つ構えを取る。男は構わずさらに距離を詰め、それに怯んだ瀧也は踵を返した――かに見えたが、そこから身体を回転させながら放たれた回し蹴りが、男の高い位置にある頭部に放たれた。前回も中国人たちをまとめて撃退した瀧也の必殺技だ。しかし男は辛うじてその不意打ちに反応し、瀧也の片足を片腕で受け止めた。

「うぇ、マジか」

 瀧也は慌てて足を引く。対して男は右手を振りかぶり、バレバレのストレートを瀧也に放った。瀧也はそれをパンと手ではたいていなすと、カウンター気味に脇腹にアッパーを叩きこむ。今度は手ごたえがあった。ところが男の反対の手が飛んできて、慌てて脇をすぼめてガードする――とはいえ重い一撃だった。拳を受けた肘がびりびりと痺れ、思わず今度は本当に距離を取る。相手の男もガハガハとむせ込んでおり、ダメージは受けているようだった。

「男が戦う姿って素敵ね」

 スーリがクスクスと笑っている。

「混ざって来いよ」

「こっちは女子会でもしてようかしら。ねー、ちさちゃん」

「ちさに近づいてみろ、ただじゃ済まさねーぞ」

 瀧也がスーリを指さして警告を入れる――とそこへ男の拳が右、左と飛んできた。ぶんぶん大ぶりな軌道なので見てから躱すことは造作もないが、その一発一発が致命的だから油断はできない。こちらはリスク覚悟で何度も懐に潜り込んでブローを食らわしていかなければならないのに。

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