サイコゲーム
丸山弌
サイコゲーム
プロローグ
【5265666572656e636520706f696e74】
死体回収員の
(日本は、いつまで経ってもくだらない社会を抜け出せていない)
どこかで、誰かの上司の罵声がした。
「なんでこんな事をしたんだ! 意味がわからない!」
どこかで、匿名の嘲笑が聞こえた。
「コンビニにこんな奴いたんだけど、ホント非常識w」
どこかで、弱者がさらなる弱者を見下した。
「客にむかってなんだ? その態度は」
冷え切った社会だった。
もはや生き辛さを訴えるだけでも、それは他者への攻撃に仕立てあげられる。零れた涙が凍りつき、無数の細い針となって見知らずの誰かに突き刺ささっていくかのようだ。
瀧也の目に映った若い男――
人込みに紛れ込むサラリーマン姿の由宇は交差点を渡り、瀧也のバンを横切っていく。彼が地下鉄の階段を下りていくまで、瀧也は何気なくその様子を追っていた。ポンポンとタバコを弾く。
(それが〈サイコゲーム〉によってどう変わったのかな)
彼は注目すべき人間なのだ。偶然目に入った街の風景の一人ではない。
*
【4d6f6e69746f72696e6720737461727420】
*
日本に転機が訪れたのは、政府が民間企業開発のAI“
うだうだとスキャンダルに熱心な政治家を
地上へあがった由宇がビジネスバッグを揺らしながら歩いていると「勘弁してくれ……」と、路地の隅からか細い声が聞こえてきた。人知れず〈ゲーム〉がおこなわれようとしているようだ。プレイヤーは中年のサラリーマンと若いOLだった。
「君はおれの部下なんだから、わざわざこんなことをする意味がないだろう」中年サラリーマンは弱腰でOLに言う。「こんなくだらない〈ゲーム〉は辞退しよう」
一方のOLは、冷めた表情をしていた。
「もう三年近く一緒に働いているんです。簡単じゃないですか。私の気持ちくらい、わかりますよね?」
どうやら同じ職場内でマッチングされた〈ゲーム〉らしい。
上司の中年サラリーマンは弁明を口にしようとしたが、その言葉をOLが奪った。
「わかるさ! だからこそこんな〈ゲーム〉なんてやる必要がないんだ!」
上司の口調を真似たOLが、軽い茶番風にそう口にする。OLが上司を演じている。〈ゲーム〉がはじまったのだ。
上司の方は口をパクパクさせながら、薄くなった後頭部に冷や汗を浮かべる。
OLは上司口調で続けた。「頼む! このままゲームを開始したら私は死んでしまう! 助けてくれ!」
男は声を震わせながら答える。「前に……自分がそう助けを求めた時に……あなたは助けてくれましたか……」
「何度も言うが、あれは君個人の能力が足りなかったために起こった事だ」
そうスラリと答えたOL。恐らくこの男から何度もそのように罵られていたのだろう。一方の本人は地面に膝を落とし、顔を青くしている。その時の彼女の反応をただ必死に思い出しているのだ。
「時間が重なった三つの会議すべてに出ろと命令をしたのは、あなたですよね……。そんなの、どうやって出席すればよかったのですか……」
「効率よくやればよかったんだ! 能力が足りないんだよ! だが、おかげで君が身体を許してくれたのは大きかった。君は優しい子だからね。私が君を助けるかわりに、君の罪の意識をおいしく味わう事ができた」
「やめてくれ……本当にすまなかった……」とは男自らの言葉だ。
OLも素に戻る。「本当にそう思っているなら、私のその時の気持ちくらいわかるでしょう? 続けないと、死んでしまいますよ」
男はしばらく沈黙し地面を睨んでいたが「こんなゲームに何の意味があるんだ!」と、突然立ち上がり、OLの肩をつかむ。「ふざけるな! 私は会社に必要な人間だぞ! 妻も子供もいる! こんな茶番に付き合ってなどいられない!」
対して、OLは冷静だった。
「私、舐めるの上手だったでしょう?」と――男を見上げるOLの口調は優越的で挑発的だったが、どこか悔しさも孕んでいる。「またしてほしいですか?」
「頼む、助けてくれ……」
「お気持ちお察ししますが」と、毅然とした態度のOLは男の手を肩から振り払う。そして一歩二歩と後退し、社交辞令的な一礼をした。
男はそんなOLに掴みかかるが――その時、ピンと糸が切れたように男の身体が崩れ落ちた。体重70キロがOLにのしかかってバランスを崩したので、由宇はそこで彼女にかけ寄った。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません……」
男の身体はまだ温かかったが、目を見開き絶望の表情のままこと切れている。〈サイコゲーム〉によって命が奪われる理由は複数あるが、今回の場合は〈ゲーム〉継続の放棄がその決定打だろう。プレイヤーだけに聞こえる声を、この中年サラリーマンは拒否し続けたに違いない。由宇はそれを力づくでOLから引き剥がした。
OLは立ち上がろうとしたが――それよりも、次の瞬間には涙が溢れだしていた。
「大変でしたね」と由宇は優しく手を差し伸べる。「〈ゲーム〉で相手が死ぬのは?」
「はい、はじめてです……」
「辛いですよね。僕もそういう時は仕事を休んで気分転換する事にしています」
「お気遣いありがとうございます。でも、この人がいなくなってきっと職場はすごく忙しくなると思うので……がんばります」
「……無理しないように」
「あの」
「はい?」
「この人……、この人のこれは、どうなるんですか?」と死体を指さすOL。
「回収員が来るんですよ。五分ほどです」
「詳しいんですね」
由宇はその言葉ににっこりと笑みだけ返した。そしてその目の前でOLもこと切れた。目玉がぐるりと回って、ゴッと身体が地面に倒れる。
由宇は鼻で軽いため息を吐いてから、女性のそれを見下ろした。女性の手の甲で発光しているデバイスは白いライトで〈
しばらく待っていると死体回収班が到着する。彼らは三人一組のチームで、そのうち二人が白いバンから木造りの簡素な棺をおろしている。もう一人は、由宇の元にやってきた。
「よ。またお前か」と、回収員の男性が言う。
水流
「これで何回目かな」
由宇はかぶりを振った。「今日はおれじゃないです」
「そうだったか。悪かったな。おれはてっきり――」
「そう思われても仕方ないです」
「二人分か」
瀧也の後方から棺が運ばれてくる。瀧也は二人の回収員に指示を出し、二つの死体を手際よく運ばせた。
「由宇って言ったな。悪いが、おれはお前に注目している」
「おれはなにも」
由宇の言葉に瀧也は小さく笑い、踵を返してバンに乗り込んだ。
由宇も、路地から大通りへと歩みを進めた。街の音が少しだけ大きくなり、平和な都市と車の行き来が目に入る。
共に歩む思いやり社会の実現に向けた政策――通称、サイコゲームプラン。
簡単に言えばそれは“相手の気持ちがわからなければ死ぬ制度”だ。
マッチングされた他人同士が相手を演じ、演じきれなければ命を奪われる。もちろん、他人と一瞬で心を通わせるなど人間には到底不可能であるため、重要なのは、相手を知らない状態でもいかに相手を理解しようとしているかという事だ。
最も目立って死んだのは、「意味がわからない」と偉そうに無知を晒す人間たちだった。次いで、良識を押し付け他人の愚行を晒していた人間が消えていった――これは死によって消えたというよりも、それぞれが個人レベルで自身を省み戒めはじめた結果によるものと社会学者は分析している。同様に弱者を虐げる弱者も激減した。
日本は変わりはじめていた。
確かに他人は理解しがたい。理解しがたいが――生き残ったのは、異なる経験や価値観を受容して理解を示し、相手の立場に立ち、他人がなぜそのような行動をしているのか考える事ができる人々だ。
しかし一方で、由宇が死体回収員の瀧也に目を付けられてしまうのも無理はなかった。
ここまで由宇の〈ゲーム〉相手は、今までそのすべてが死んでいるからだ。
サイコゲーム:START
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