第7話、虹の暗示とプライベート第一主義



―――そこがどこなのかは分からない。


それでも、知己はこれが夢の一種だということを自覚していた。

動くこともできず、しゃべることもできず、視点だけがそこにある……。



 

そんな知己の目の前で二人の少女たちが、何やら言い争っていた。


一人はセミロングの金髪の、何故か毛先だけが黒い紅い瞳の少女。

もう一人は、つやのあるダークブラウンの髪をツインテールにした、青い瞳の少女だった。



「お願いだよ! ボクの力だけじゃ足りないんだ。君の力を貸してよっ」

「くどい。私はあのお方の側から離れるわけにはいかないと、言ったばかりだろう?」


熱く叫ぶ金髪の少女に対し、ツインテールの少女はあくまでドライだ。



「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? このままじゃ、世界が終わっちゃうかもしれないんだよ? その、君の大切な人だって、ただじゃすまないんだよ!」

「それでも構わない。あのお方の側にいることだけが私の全て、なのだから」

「こ、この分からずやっ! もういいよっ、君には頼まないっ! ボク一人でやるもんっ!!」

「期待しているよ。あなたならきっとうまくいく」


とうとうへそを曲げる金髪の少女に対し、ツインテールの少女は、柔らかな笑みを浮かべてそう言う。



―――そして、それで終わりであるかのように、

二人の声も、周りの景色も…だんだんぼやけて、消えていってしまって……。





             ※     ※     ※




 


「み、みゃんっ!?」


知己は奇怪な叫び声をあげて、バネ仕掛けのようにがばっと起き上がる。

そして、きょろきょろと何かを探すように辺りを見回し、法久が目に入ると堰切ったように叫んだ。


「の、のの法久くん! み、見たか!? み、みみみみゃんぴょうだっ! 己、初めて本物見たかもしんないっ!」

「お、落ち着くでやんすっ、いくら知己君がかわいいものが好きだからって、現実と妄想を一緒にしちゃ嫌でやんすっ、あれは黄色い猫でやんしたっ!」

「ええっ? 違うだろっ、だってあの桜色のほっぺは間違いないって!」


感極まった様子で打ち震える知己に対し、半ば冷めた声色で言葉を返す法久。

自分を好きなものを目にすると、ああなのだろうかと思うと自制したくもなる、そんな有様であった。


「ううむ、未だ百戦無敗だったともみんを地に付けさせるとはっ」

「いや、どこからそんな肩書き持ってきたのか知らないですけど、あれは好い一撃でしたっ」


知己が倒された? のがショックだったらしく、そう漏らす榛原に対し、知己は明るい調子のまま敗戦チームの監督のような言葉を返す。


「分かったでやんすから、分かったでやんすから。それで、その紙はなんだったんでやんすか?」


そしていい加減うんざりしてきたのか、そう言う法久に知己はようやくはっとして現実に帰ってきた。



「あ、見てくれよ。これ絵、みたいなんだけど……」


知己はそれをデスクの上に広げ、二人に見えるようにしてやる。


「こ、これは」

「何でやんすか? 虹の壊れた絵? これはまた前衛的というか何と言うか……すごくうまいのはおいらにも分かるでやんすけど」 


法久の言葉に、知己は同意の頷きを返す。 

この画用紙の書かれた紙は、法久の言う通りどこかの格調高い屋敷の庭園と、抜けるような青空をバックに、一面に描かれた虹が乱反射するプリズムのように、粉々になっている様が描かれていた。


使っているのは、水彩の絵の具だろうか。

実際にこんな景色があって写真を撮ったと言われても、頷いてしまえるほどのうまさだった。

同時にそれは、果てない不吉さを連想させられる……。



「ここは、カナリの屋敷か?」


そして、それを見てからおののくように押し黙っていた榛原は、ぽつりと漏らした。



「カナリ……それって、AAA(トリプルエー)クラスの?」


『パーフェクト・クライム』の事件が起きてから、力を持つ者の誰もが、それを使役した可能性のあることを恐れ、それ以前から大きな力を持っていた者たちの大半が国に管理され、その中でも、事件がきっかけでカーヴの力が暴走し、特に手に負えない者たち……拘束し幽閉する以外にないような者たちをAAAクラスと呼んだ。

最も元々はカーヴ能力者の中でも、トップクラスの実力を持つものの総称だが。



「なんで、そんなこと分かったでやんすか?」

「一応これでも、彼らを管理する立場にあるからな、行ったことがあるんだ、ここには」


榛原は法久の問いに、その絵から目を離さないままそう述べる。 



「じゃあ、この絵はそのカナリって人が描いたってことでやんすね」

「……」


それを聞いた知己の表情も硬くなる。

この絵が何を意味しているのか、描いた人物が何を言いたいのか、何となく予想がついたからだ。

そんな知己の考えを代弁するかのように、榛原は語りだした。



「虹は、世界が平和であるための、神が創りたもうた平和の象徴。それを壊すと言うことは、そのための警告。あるいは、意思表示か」

「この絵はおいらたちへの予告状? じゃあ、さっきの猫は」

「ただの猫ではなかったのだろうな。カナリの使い魔(ファミリア)か」


口惜しそうに、榛原は法久の言葉に答える。

この絵だって、ただの嫌がらせの範囲である可能性は充分にある。

しかし、そう思うたびに『パーフェクト・クライム』の影がちらつくような気がするのだ。

その絵を見ていると、どうあってもそれが破壊の意思に見えてならなかった。


そうと知っていれば逃がしはしなかった……と榛原が言いかけた時。

その視線に入ったのは、何かをこらえるかのように、俯いている知己の姿。


「ふざっ……」


空気が漏れ出したかのような呟き。

やがてそれは抑えきれなくなって、ついには爆発した。



「ふざけた真似をっ! こんなこと、絶対己がさせねーぞっ! しかもこんなっ、悪事にっ利用するなんてっ! あ、あんなかわいいのをっ!!」

「おお、ともみんが燃えているっ」

「方向性が若干そっぽを向いてる気もするでやんすが、やる気のあるのはいいことでやんすね」


榛原は圧倒されるように、法久はしみじみと、そう呟く。

こんな状況においてどこかしら二人に余裕が見られるのは、やはりそこに知己という人物がいるからなのだろう。

 

事実、『パーフェクト・クライム』の力が放たれた時、その場所にいたにもかかわらず、法久が今こうやって立っているのも、その力によって壊滅状態に陥ったそれぞれの派閥が榛原のもと、一つになれたのも、結局はそこに知己がいたからに他ならない。


本人は否定するだろうが。

知己はまさに、晶や勇の言っていたヒーローと呼ばれる人物に、最も近い存在だと言えるのだ……。



「法久くん、己たちの最高タッグの力で、この世界を壊そうとしてるやつらに、目にもの見せてやろう!」

「もちのろんでやんすっ!」


知己と法久は、そう言って互いに拳を打ちつける。

そんな、今まさにこれから乗り込んでやろうといった雰囲気とノリに、慌てたのは榛原だった。


「ちょっと待てって、さあこれから決戦だみたいな所で悪いけどな。カナリの所には、今阿蘇たち『魔久班(チーム)』が向かっているんだ、だからこの件は彼らに任せようと思うのだが」

「う、そうだった」

「ついノッてしまったでやんす」


さっき誓ったばかりの事を思い出し、反省すると同時に冷静になる。



「己たちには己たちの、しなくちゃいけないことがあったんだよな」

「『もう一人の自分』のこと、でやんすね」


そう言って二人が見た視線の先には、特に変わった様子は見受けられない、高そうなデスクがある。


二人には見えないのでどうしても失念しがちだが、そこには榛原の、『もう一人の自分』が存在しているはずだ。



「そうそう、でないとオレが立ち仕事から解放されないからなー」


切実にそう呟く榛原。

どうやら怖くて、そこに座って仕事する気にはなれないらしい。

それは想像して見ても至極もっともな事だったが、それを聞いた知己は、あることを思い出した。



「あれ? そう言えば会長、己たちを招集した理由って、もう一人の自分を調べるのとは違うって言ってませんでした?」


7割本気の盛り上げパフォーマンスの時、確かそう言っていたのを、知己は覚えていた。

榛原はそう言えばそうだったなと言わんばかりに手をぽん、と叩いて答える。



「おお、そうだった。ともみん用の新しい得物と、法久君に頼まれていた、グレートなアイテムの完成を報告したかったのだった」

「えっ、本当ですかっ? 己でも扱える得物っ!?」

「まあ、まだ少し問題があるかもしれんが、知己なら使いこなせるだろ」


嬉しそうに身を乗り出す知己に、あだ名も忘れて苦笑を浮かべる榛原。


榛原のカーヴの力は【武器創像】と呼ばれている。

力を持たない『ファン』や、能力を失った者にも使いこなせる、様々な武器、アイテムを創り出せる能力だ。


榛原が、一昔前まで一つの派閥の長として、圧倒的な支配力を持って君臨していた、最たる理由でもある。


榛原の表情が複雑なのは、そんな若き頃の過ちとも思っている自らの力を頼ることからでもあったが。

実のところ、知己が榛原からもらったその武器を、片っ端から壊してしまう所にある。

新しいおもちゃを与えられた子供のような溌剌とした表情を見せる知己を見ていると、何も言えないのが常だったが。



「つ、ついに完成したでやんすか、あ、アレがっ!」


続いて、感情を搾り出すようにそう呟く法久。

それを聞いた榛原も、得意げな顔をして言った。



「ああ、ついにできたぞ、究極のアレがっ!」

「アレ? って、何?」


知己が思わずそう訊くと、法久はにやりと笑みを浮かべて言った。



「それは……ネモ専用ダルルロボでやんすっ!」


―――ダルルロボ。

言わずと知れた人類の夢な、宇宙空間でも戦える人型戦闘ロボット。

今度は知己が呆ける番だった。



「そこはかとなく偏った知識の泉の香りがするけど……とりあえず、人の名字読み替えて使うのはやめないか?」


知己が結構切実にそう言うが、法久が聞き入れる様子はまったくない。


「そうは言っても、その名の通り知己くん専用でやんすからねえ。それより、それはどこにあるでやんす? 匠の技が光る洗練されたボディを、早く拝ませろでやんすっ!」

「己、専用ね」


そう呟いて、知己はしぶしぶながらも納得してしまう。

何故なら法久は、自らのカーヴの力にまで影響が出るほどの、ダルルロボ好きだからだ。

いつも下手の法久もダルルロボのこととなると、口調が荒くなる。


「ま、任せとけ、今地下に置いてあるから、とにかく落ち着くんだっ」


榛原が法久に気圧されつつ、そう言った時だった。



響いたのは、知己の携帯がメールの受信を知らせる音。


流れるメロディは、『そこに青空があるから』。

知己が、たった一人の人物にしか設定していないメロディだった。

すぐに取り出した携帯のディスプレイに映し出されたタイトルは、


『大変なのだっ!!』の一言が書かれている。



「……ちっ」


知己は、耳元でそう叫ばれたかのようにそれに反応して、慌てた様子も隠さずその内容を見る。


その内容は、  


『知己ーっ大変なのだっ、ピンチなのだっ、今すぐ来て欲しいのだっ!  みや』 


といった一文。

それを見た瞬間、みるみる知己の怒りボルテージが上昇していく。



「って、何がピンチなんだよっ、中身を言えっての! 語尾つけてる余裕あるくせによっ!」


ある意味理不尽な内容のメールに、知己は叫び声をあげてしまう。


「わわっ、ご、ごめんでやんすっ!?」


語尾、に反応したのか、何故か誤りだす法久。



「ど、どした?」


そして、そんなただならない様子の知己が当然気になって、榛原もそう問いかけてくる。


そこでようやく知己は自分が叫んでいた事に気づいた。



「い、いえっ……な、ナンでもっ!」

「………」

「………」


知己はそう言うが、その尋常ならざる狼狽っぷりはおさまる様子がない。

思わず二人は黙り込む。


「ほ、ほらっ、行きましょう? えっと……どこだったっけ?」


完全に心あらずの状態でそう言う知己。

今の状態で、たとえば自動車免許の実技試験なんぞ受けたら、間違いなく転げ落ちる事請け合いだ。


そんな様を見て、榛原と法久の二人は、そろって溜息をついてしまう。

しかし、それは意外にも軽いものだった。



「行ってくればいいでやんす。今日明日くらいは、ほとんどおいらの仕事になるでやんすし」

「で、でもこれからみんなで頑張ろうって時に」

「いいんでやんす。実は知己くんがいないほうが仕事もはかどるでやんすから」


知己が言いかけた言葉をぴしゃりと遮り、法久はそう言い放つ。


「セリフだけで判断すると、ひどい言われような気もするが……そうだな。うちのエースがそんな精神状態じゃ救えるものも救えまい、行ってすっきりしてこい」


一見辛辣に見えるそんな言葉だったが。

別に法久は知己を貶しているわけではない。

もともと、人の悪口を言うような人物でもなかった。


だからこそ二人にそう言われ。

知己は観念したように、それでもはっきりと……言った。


「ああ、ありがとう。ありがとうございますっ! ちょっと出て来ますっ!」


知己は二人にそれぞれ感謝の言葉を述べるや否や、ダッシュで会長室を飛び出していってしまって。


後には、仕方ないなと思いながらも、穏やかな表情の榛原と法久が残されたのだった……。



             (第8話につづく)










      知己は言う。

     

     「己は英雄(ヒーロー)にはなれない…。」


と。



それは、何より世界よりも、大切な人がいるから出る言葉。



そんな知己が、この世界の命運を握っているということを……



真の意味でそれを知る者は、未だ誰もいなかった………。

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